ひきこもってても、いいんだ
「こらー!! しんたろ!!」
二階からカリアの怒鳴り声が落ちてきた。
「いつになったら紅茶を持ってくるの!? はやくしろこのグズ!!」
「せっかくいま、いい感じで回想にふけってたのに……」
ぼくが心からうんざりした顔になったのに対し、バスコはどこか母親みたいな微笑を浮かべた。
「ふふ、お嬢はタローのことを信頼しっぱなしだな」
「だから、どこが!?」
こういう身内の欲目は、早めにつっこんでおかないと後々とんでもないことになる。
「信頼しっぱなしって割には扱いがヒドすぎるよ!? カリアはふかふかベッドで寝て、ごはんは三食バスコの手作り食べて、本やら姿見のクリスタルやら服やら無駄遣いしまくってるじゃん! ぼくはクッションが死んだソファで寝て、ごはんはクソまずい外食ばっかで、遊びはカリアの下着を売ったお金で買う本くらいだよ!?」
「おい、タロー、いま聞き捨てならないことを暴露しなかったか?」
したけどそこは流してぼくは言い切った。
「カリアは、本当にぼくを信頼してるのかな?」
ぼくの言葉に真顔になったバスコに、続けた。
「探偵事務所を始めようなんてアホな思いつきをしたのも、ぼくの腐った引きこもりの目を一発で見抜いたからじゃないの? 同類だから、うまく利用できると思ったんじゃないの?」
自虐もここまでくるとさすがに胸が痛いが、反面、言ってて気が楽になるのも事実だった。なにしろ全部本当のことだし。きっと教会の懺悔室で人に言えない告白をするのはこんな気分なんだろう。
「正直、カリアが魔法の力を取りもどして、ひきこもりから脱出できるとは思えないよ」
そのいやみったらしい言葉の裏には、ぼくが使い魔としてカリアの失ったものを取りもどせそうにないと言う泣き言も含まれていた。
ぼくは最低だった。
が、バスコは真顔のままはっきり言った。
「いいじゃないか。引きこもったままで」
耳を疑った。
「なんで!? ずっと引きこもってていいわけないじゃないか!!」
「それのどこがいけないのだ? たしかに私は、お嬢が一言も口をきかなかったことは心配だったが、引きこもったことを心配したことなど一度もないぞ」
「このまま一生外に出ないで生きていけるわけないじゃないか! バスコだって歳を取っていつかは死んじゃうんだし、そうなったらカリアは独りぼっちだろ!?」
「お嬢が独りぼっちなのは当たり前のことだ。というか、私も、タローも、独りぼっちだ。赤ん坊のときならいざしれず、物心ついた瞬間から私たちは独りぼっちになるのだ。自分の中のすべてを受け止められる他人などいないし、私たちだってすべてを明かしたくてもうまく説明できないだろう」
バスコが厳しい顔になって言う。
「それでも、私たちは生きるために戦う。お嬢だって、あの部屋にしがみついて、毎日戦っている」
「戦っている、って、言えるのかな……? あれで」
「現に、お嬢はタローが召喚されたのをきっかけに、私と再び話すようになった。それはお嬢の戦いの戦果だ」
「戦果ってほどのモンじゃないと思うけど……」
「タローも、ニホンではずっと引きこもっていたと言うが、この世界では外に出て立派に仕事をするようになった。タローにも戦果があがったじゃないか」
「ぼ、ぼくは自分の部屋から、カザリンガにひきこもる場所を移しただけって気がするよ。ここなら、昔のぼくを知ってる人間なんていなから、気持ちも楽だし」
「そうやって他人と距離を置くことが必要なときもある。タローもお嬢も、それが必要だったのだ」
「……それに、探偵の仕事は、仕方なくやってるんだよ」
「仕方ない、ということは、やらなくてはいけないこと、ということだ。私だって傭兵時代、殺したくもない人間をさんざん殺してきた。……そもそも私は傭兵の仕事など本当はしたくなかったのだ」
「そうなの!?」
驚くぼくを前に、バスコは厳しく引き締めていた顔を緩めて、にっこり笑って自分の店の中を見渡した。
バスコの立つカウンター向こうの背後には、ガラス瓶に入った色とりどりのお酒、巨人の腕みたいな大きな木の梁が横たわる高い天井からはガラスのランプが吊られ、壁際にはバスコが傭兵時代にあちこちの戦場へ遠征したときに集めた地方の工芸品や思い出の品々、それにバスコが戦場で実際に使っていた剣や盾や鎧が飾られている。
まさにファンタジー世界の酒場だ。
「私はもともとこういう店をもつのが夢だったのだ」
「……どうして最初から酒場の仕事をしなかったの?」
「戦闘部族に生まれた私は戦いしか知らなかったからだ。はじめて酒場を訪れ、仲間と酒を飲み、歌い、バカ騒ぎをする楽しさを覚えたのは、一四歳になってカザリンガへ上京したときだ」
いまのカリアと同い年のころか……。
「それまでの私は、死にたくなかったから傭兵の仕事をしていたにすぎない。傭兵の仕事をしなくては飢え死にするし、傭兵の仕事で手を抜けば敵に殺される。……それまで生きていて楽しいことなどひとつもなかった」
その気持ちはなんとなくわかる。
ぼくも、自分の通っていた進学校では、楽しみなんてひとつもなかった。
……いや、楽しみならひとつだけあった。
明里と一緒にいるときだけが、ゆいいつ楽しかった。
”あんなこと”が起こるまでは。
「でも、そのやりたくもなかった傭兵の仕事をしていたおかげで、こうして店を開くことができた。傭兵の仕事は決してムダじゃなかったのだ」
「それはただの結果論だろ!? カリアがこのままひきこもり続けて、ぼくは探偵業を続けても、未来なんてないよ!!」
「ならタローの未来ってなんだ? 今の自分が本当の自分じゃないと言い切れるなら、明日への道もわかるだろう?」
痛いところを突かれて「うっ」と答えに詰まった。
いまのぼくの明日とは、日本に帰って明里と仲直りすることだ。
カリアそっくりの顔をした、ぼくの幼なじみと。
「や、やりたいことなんてないよ!」
ウソをついた。
やりたいことを人に宣言すると、叶わなかったときに悲しすぎる。
今までぼくは、心から願ったやりたいことを叶えたことはなかったし、いまのところ叶う気配もない。
するとバスコが苦笑しながら頷く。
「じゃあ、いまやるべきことをやれ。そうすれば最後は必ずうまくいく」
本当かなぁ……、と、ため息をついたそのときだった。
「しンたろ様!!」
バスコの酒場の入り口であるドアが開かれる鈴の音と一緒に、「しんたろ」の「ン」にアクセントを使った、ひどく訛った女の子の声がした。
それは魔法も使えない魔法使い探偵への依頼人だった。