眠りの前に 1
あれから一週間が経った。
「ただいま」
「ただいまですぅ、カリア様ぁ」
「なによ。なにこんな早い時間に帰ってきてんの」
やけに眠い陽気のする昼過ぎに、ぼくとカリナは、カリアの待つ探偵事務所に帰ってきた。
今日は日も昇りきってない午前からカザリンガの街中をあちこち歩き回って、探偵の依頼がないか御用聞きに回っていたのだ。
探偵の仕事だって、ぼんやり待っていてもやってくるわけじゃないから、街のどこかで面倒くさい問題を抱えていそうな魔法使いのところへとこっちから出向く必要がある。
自分からわざわざ面倒くさい目に遭いにいこうとするんだから、仕事の需要はあるんだし、なおかつ誰もやりたがらない。魔法使い探偵という商売が成り立つ理由はこれに尽きるのだ。
ソファに腰を下ろすと、ベッドでごろ寝していたカリアが、昼寝を邪魔されたネコみたいな不機嫌そうに言った。
「で? 依頼はあったの?」
「ない」
「ないですぅ」
顔をしかめたカリアがためらうことなく「ちっ」と舌打ちする。
「なによなによ! この街の魔法使いたちは、みんな平和になっちゃってるわけ!?」
「こういう日もあるんじゃないか? みんな今日のところは平和なだけだよ」
「平和なのはいいことですぅ」
なにげなく言ったつもりの、ぼくらの、のほほん発言にカリアが怒った。
「なに言ってるの! あいつらが平和じゃ困るのよ!」
カリアがイライラしているのはいつものことだけど、他人の平和にまでケチをつけるのはどうかと思ったそのときだった。
コンコン、と事務所の扉がノックされる音。
カリアが、突然の他人の襲来に対応して、すぐさま毛布を被って姿を隠したのを見てから、ぼくは言った。
「開いてるよ」
「失礼するッス、しンたろ様」
開いた扉から、聞くとなぜかほっとする訛りのきいた声の主、ココが入ってきた。今日も清楚なメイド服と、ディンガ族の尖った耳と灰色の肌の組み合わせがキュート。
「どうした、ココ? また何か依頼か?」
「今日は依頼があって来たンじゃないッス」
そう言うと、ココは背後の開けたままにしてあった扉の向こうへと、
「運んでくださいッス」
と声をかけた。
すると、「えっほ、えっほ」と、屈強な身体をした二人の男が木製の大きな家具を運んできた。
男二人が出て行った直後、箱の蓋が内側から開いた。
「久しぶりだな、オーノー」
やっぱり、という展開通り、変身の魔法使い、ミリヤロッテ・トラウメテオが現れた。
ミリヤは変身の魔法を使ってないボサボサ髪にパジャマを着たひきこもりスタイル、かと思ったが、違った。
伸ばしっぱなしの髪をきれいに編み込んでリボンをつけ、フリルとドレスがたっぷりついたかわいいドレスを着ている。よく見ると、うっすらと化粧もしているようだった。
「何をそんなにジロジロ見ているんだ?」
「その格好、どうしたんだ?」
「ほほお、わかるか? さすが魔法使い探偵。洞察力があるな」
誰でも見りゃわかることを得意げに褒めてくるあたり、この格好に気付いて欲しかったんだろうなーというのがわかった。後ろで、カリアが「ちっ」と舌打ちをする。
「どうしてそんな真人間の格好をしているんだ?」
「真人間って言うな! それじゃ私がダメ人間のようではないか!」
「いやいや相変わらず箱に入ってないと外出できないんだから、まだまだダメ人間のままでしょ!?」
「そんなことはない! 私はもうひきこもりはやめたのだ!!」
そう言うと、ミリヤは自分が入っている箱の中に呼びかけた。
「カトル! おまえも出てきて何か言ってやれ!」
「えぇ!?」とぼくらが驚くと同時に、ミリヤの隣からカトルがひょっこり顔を出した。
「おにいちゃん、こんにちは」
照れくさそうに立ち上がったカトルは、別の平行世界から入れ替わった天才魔法騎士のカトルではなく、この世界の、背も小さく肌も青白く前髪で目元を隠した気弱そうなカトルだった。
「何してるんだ!? そんな箱の中に男女二人で一緒になって!」
「やらしぃですぅ!」
「すけべだぞ、おまえら!」
ぼくらが一斉に抗議すると、ミリヤが顔を真っ赤にさせて言った。
「私とカトルは、デートしてたんだ!!」
言われて、しばらくの間、意味が分からなかった。
「……デート?」
「そうだ! なぁ、カトル?」
「うん、デートだよ、ミリヤ」
そういえば、いつのまにか二人が名前を呼び捨てしあってることにも気付いた。
「ようやく、文通からデートへする仲になったってことか?」
ぼくが言うと、カトルとミリヤが同時にうなずく。
「お互いに隠していたことがわかってしまったからな」
「もう文通じゃ、あれこれ話すのに時間がかかって面倒くさいから、デートすることにしたんだ」
ぼくは二人が登場した箱を見て苦笑した。
「なんでデートするのに、二人して箱の中に閉じこもってるんだよ?」
「ふん。私とカトルが二人きりでいるところを他人に見せてやる必要などない!」
「違うでしょ、ミリヤ。今の姿を見られるのにまだ慣れてないからでしょ? ぼくもミリヤも、ずっと本当の姿を偽ってきたから」
「バ、バカ! なんで言っちゃうの!?」
すかさず自分の強がりをバラしたカトルに、ミリヤが顔を赤くした。
ぼくは「ぷっ」と吹き出してしまった。
ひきこもりはやめた、とか言って、まだまだひきこもり時代の後遺症は治りそうもなくて、それでも外に出ようと箱の中に二人で閉じこもって外出だなんて、なんだかおかしい。
こういう痛々しいところも、この二人らしかった。
「なんだおまえら!? 自慢か!?」
頭にかぶっていた毛布をはねあげたカリアが苛立たしげに尋ねると、
「お礼を言いに来たのだ。オーノーと、ホムンクルスのカリナ、それに、カリアロッテ・エミリオクシズ嬢に」
「うん」
ミリヤとカトルが、そろってお辞儀をした。
「鏡の魔法の中から出てきた、ひきこもりの自分のことを受け入れたら、私はずいぶん楽になった」
「ぼくも、別の世界の自分と入れ替わっていたとき、心のどこかで感じてたモヤモヤが晴れた」
「私はずっと他人から『おまえはダメなやつだ』と言われてる気がしてたんだ」
「でも、誰もそんなこと言ってなくて、ダメダメ言ってたのは自分自身だったんだよね」
二人は晴れ晴れとした顔で、自分の中のダメ人間について語った。
それはつまり、ずっと憎んでいた自分の中のダメ人間と向き合い、仲直りしたってことだ。
「オーノー。おまえも自分のことを『おまえはダメなやつだ』と思い込んでいたんだな」
ぼくはうなずくでもなく、「……」と無言のままでいた。
今さら自分の過去を自虐まじりに語るつもりはない。かといって、べらべらと教訓のつもりで語るつもりもない。
「おまえも、私と同じ苦しみを持っている人間だとわかったから、私にも自分のダメさを受け入れられる気がしたんだ」
ミリヤがそう言うと、
「ぼくもそう! ぼくはひとりじゃないってわかったら、勇気が出たんだ!」
カトルも大きく頷いた。
この仕事やってよかったなぁと、素直に思った。
そして、同時に、日本に残してきた明里のことも気にかかった。
明里は今どうしてるだろう。
今の自分がカザリンガから日本に帰れたら、迎えに行けるかな。
そう思うと、ぼくも自分が少しは成長した気がしたし、魔法使い探偵の仕事も悪くないと思った。
と、ずっと、眉間に皺を寄せて、「ジトー」と音がしそうな目で二人を見ていたカリアが、唐突に言った。
「で、あんたたちキスした?」
最悪の発言をした!
が、さらに最悪なことが!
「……」
「……」
ミリヤとカトルが、真っ赤になった顔を見合わせたのだった。
「やっぱり自慢を言いに来たんじゃねぇかァァァァ!!」
目にも止まらぬ早さでカリアが投げた二つの枕が、ミリヤとカトルの顔面にヒットして、二人がのけぞる。
「あんたたたち魔法使いは、幸せになっちゃだめ!! ずっと悩んでなさい!!」
魔法使い探偵にあるまじき爆弾発言をしでかすカリアに、全員が絶句する。
「あんたたちが幸せになると、しんたろにやらせる仕事がなくなるじゃない!! そんなの許さない!!」