ひきこもってる場合じゃない! 2
「なになに? 今夜のしんたんのお家はやけに賑やかねん? これから五人でナニするのん?」
窓の桟のところへ腰かけながら、「ぷー、くすくす!」と含み笑いするエネマラ。
なんてタイミングで登場しやがった!?
慌ててエネマラのもとへ駆け寄り、外へ押し出す。
「帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰ってください!」
「なによぉん、いきなり追い出すことないでしょう?」
「取り込み中なんだよ!」
「せっかくあの魔法騎士の子とナニしてきたか教えてあげようと思って来たのにぃん」
いまこの場で一番触れたくない話題に触れてきやがった。
「カトル様のことか!?」
箱の中から飛び出してきたミリヤが、ぼくの襟首を掴んだ。
「おいオーノー! なんでサキュバスが、カトル様と会っている!?」
「……」
「汗ダラダラ流して黙ってないで答えろ!!」
「しんたんの仕事の話を盗み聞きしたアタシが、カトルたんと×××してきたのよん♪」
「なっ……!!」
エネマラの決定的な一言に、ミリヤがへなへなとその場にしゃがみこむと、一重まぶたの目に浮かべた涙をポロポロと流し始める。
「カトル様は、私のことを何とも思ってなかったんだ――」
いくらなんでも正視に耐えがたかった。片想いの相手が寝取られたと知ったら無理もない。たとえそれがサキュバスに誘惑されたとしてもだ。
が、ぼくは、あるおかしなところに気が付いた。
「ちょっと待て、エネマラ。おまえ、カトルを誘惑した割に、ここへ現れるには時間が早すぎないか?」
ぼくはエネマラが侵入してきた窓の外に広がる、夕方の街並みを見た。
「いつもなら夜通しかけてエロいことするのに、夕方で切り上げるなんて、らしくない」
エネマラが唇の端をにや、と持ち上げてほくそ笑んだかに見えたが、目だけが笑ってなかった。
「……まさか自分の淫乱さのせいで、ウソがばれるとはね」
エネマラが、むきだしの胸の谷間から長いキセルを取り出してくわえると、指先に立てた炎で火をつけた。すぱ、すぱ、とゆっくり吸い、色っぽい唇から煙を吐く。
「あのガキ、『ぼく、誰のことも好きじゃない』って、アタシを屋敷から追い出しやがった」
その言葉に、さっきからずっと泣いていたミリヤが、ぴたりと泣き止んだ。
すっかりやさぐれたエネマラが、目の前のミリヤをぎろりとすごい目で睨んだ。
「なんなの、あいつ! こんなにおっぱいドキューンで! こんなに腰ズキューンで! こんなにお尻ドーン! なアタシより、こんな干物女のほうがいいわけ!?」
「よかった!」
「干物女」呼ばわりされたにも関わらず、ミリヤが、涙で真っ赤だった目を拭ってジャンプした。
「カトル様は私のことちゃんと好きなんだぁ――!! 干物でよかった――!!」
ついに自分のこと干物って認めちゃった!?
ミリヤが狭い事務所内をぴょんぴょんジャンプすると、床がミシミシときしんで、カリアから「ちょっと! バスコに怒られるからやめてよ!」と怒鳴られてもやめなかった。
「ちょっと待て」
が、ぼくはまたしてもあることに気が付いた。
「カトルは、『誰のことも好きじゃない』って言ったんだよな」
「あ」と真顔になったミリヤが、動きを止めた。
さっきまでアゲアゲで喜んでいたミリヤが、いきなり頭をもたげてその場に四つん這いになった。なんつうわかりやすい落ち込み方だ。
「私じゃないの……? カトル様が好きなの、私じゃないの……?」
ミリヤが顔を上げた。
「教えてくれ、オーノー。カトル様は、誰が好きなの?」
ぼくが知るはずなかった。
でも、知っている人間なら知ってる。
「直接聞くしかないだろう」
「だ……誰に……?」
「カトルに」
ミリヤが「は!?」と目を丸くした。
「なななな何で!?」
「何でって、ミリヤが知りたいからだろ?」
「どどどどうやって!?」
「どうやっても何も、『私のことが好きじゃないの?』って――」
「そそそそんな恥ずかしいこと聞けるか!! 貴様、バカか!?」
「だってそれ以外で知る方法はないぞ?」
「そ、それはそうかもしれんが……!! うぅぅぅぅ……! やっぱり、いい! 聞かない! そんなことを聞くくらいなら一生知らないままでいい!」
ミリヤは立ち上がると、箱の中へ入って蓋を閉じてしまった。
「もう、いい……。私は、カトル様の恋人になるの、やめる……」
箱の中から、涙と鼻水を吸いながら話すミリヤのくぐもった声がする。
「ようやくわかった。私には、カトル様と付き合う資格なんてない。
私には、何もない。カトル様は剣の腕なら誰にも負けないし、顔も美しいけど、私は別人になりすます変身の魔法しかない。
カトル様が、私なんかを相手してくれたのかも、私が美少女に変身していたからだ。自分でも、誰もが振り向く美少女に変身してたって自信があったし、何の不思議もない。私は、カトル様を騙したんだ。
それなのに、話してみたら楽しくなって、調子に乗って交際を申し込んで、文通までしてしまって……。
私がカトル様に宛てた手紙に書いたのは、私の変身の魔法が家庭教師に褒められたとか、お父様やお母様がどれだけ王宮で高い地位にあるとか、自分がどれだけすごいかわからせようとすることばかりだ。
私は空っぽだ。
私は、自分以外の誰かに変身しなくちゃ誰とも会えないようなひきこもりなんだ……」
ミリヤの告白を最後まで聞いていたぼくらは、すぐにかけてやる言葉が見つからなかった。
と、思ったら、例外がひとりいた。
「顔がいい男に惚れるって、そんなの普通じゃないのん?」
エネマラが、キセルから吸ったたっぷりとした煙を吐きながら言った。
「人間って面倒くさいのねん? 空っぽだとどうして恋をしちゃいけないのん?」
キセルを窓の桟にコンと打ち付けて、火の点いたタバコを落とす。
「アタシはいい男がいたら真っ先にやっちゃうけどねん? そいつのしたいこと、ベッドの中で全部やってあげるけどねん? それでアタシにメロメロになってくれるなら安いモンだわん」
箱の中からミリヤが怒鳴った。
「貴様のようなサキュバスと一緒にするな! に、肉体関係が結べればそれで満足じゃないのだ! 私はカトル様と心のやりとりがしたいのだ!」
「あんた、バッカねぇん。アタシが、この身体を使ってモノにしてるのは、あんたの言う心そのものよぉん? 男のどんな好みの姿にも変身できるのにしないなんて、あんたは自信がないっていうより、今の自分が嫌いなだけよん。自分自身が理想通りの人間じゃないって、駄々こねてるだけ」
黙りこくったミリヤが、返す言葉をなくして箱の中で悔しそうにしているのがわかった。
「ダメな自分のことを、好きになればいいんじゃないか?」
黙っていられなくて、ぼくは言った。
「相手を知れば知るほど、逆に、自分のこともどんどんわかってくるんだよ。自分のダメなところもわかってきて、そいつと向き合うことになる」
ミリヤは、変身の魔法を使って完璧さを装いすぎて、自分のダメなところに今まで気が付かなかったんだ。そのツケが、いま回ってきた。
「ダメで何がいけないんだよ? ダメを赦せばいいじゃないか? そうしたら自分のことを好きになって、カトルのことも好きになれるよ」
「それに」と、ぼくは続けて言った。
「カトルにだって、ダメなところはたくさんあったぞ? 詳しいことは言わないけど、あいつだってミリヤに負けないダメ人間だ。そんなやつを好きだって言ってるのは、ミリヤくらいだぞ?」
自分でもかなり恥ずかしいことを言ってる自覚はあったけど言わずにはいられなかった。
ぼくは、カザリンガへ召喚される前に、自分が傷つけて、ひきこもりにしてしまった幼なじみを思い出す。
明里は、日本で今もひきこもっているのだろうか。
なんであのとき、今ミリヤに言ったことを言えなかったんだろう?
ぼくはずっと後悔している。
「オーノー……」
箱の中からミリヤの声がして、閉まっていた蓋にわずかな隙間ができ、ミリヤの顔が覗いた。
「私……カトル様に本当のことを言いたい……」
「よっしゃあ! それならアタシ、今からあの坊やのところへ夜這いにいくわん!!」
なけなしの勇気をふりしぼったミリヤに、一番にテンションを上げたのは、よりにもよってエネマラだった。
『はぁ!?』と、エネマラ以外の全員が驚愕した。
「お、おまえ、どういう神経してるんだ!? さっきミリヤに渇を入れてくれたのは何だったんだよ!?」
「えー? 別にアタシは思ったことを言っただけで、干物ちゃんに優しくしようだなんて考えてないわよん? アタシを誰だと思ってるの? おいしそうな恋があったら横からぶんどる、サキュバスよん?」
「お、おまえ最低のゲスだな!」
「ありがとー!! 最高の褒め言葉よ――ん!!」
エネマラは背後の窓の外へジャンプして、すっかり夜になったタンローズ地区の下町へと躍り出た。背中のコウモリの羽を広げ、「あはははは~ん♪」と脳天気な笑い声をあげながら、空中をすいすい旋回していた。窓の下のメインストリートの通行人が「お、淫魔のエネマラだ」、「相変わらず乳でけー」と見上げていた。
「最悪だ」
事務所の中がしーんと静まりかえったなか、ぼくは、ぺろっと舌を出しながら言った。
「このボケナス!」
「状況がさらに悪化したではないか!」
「しんたろ様のバカ!」
「しンたろ様のあほー!」
カリア、ミリヤ、カリナ、ココから、一斉に罵倒された。
でも、ぼくは凹んでなんかない。
ミリヤの手を引っ張って言った。
「そんなことより、カトルの屋敷に行くぞ! エネマラに襲われる前に、カトルに告白するんだ!!」