エネマラあらわる! 1
「おはようタロー! 今日も目覚めは最悪か?」
「今日も最悪だよ……。まだ鼻の奥で血の味がするよ……」
「だいじょうぶですかぁ、しんたろ様?」
翌朝、カリアに殴られて鼻血を流した鼻の穴に、ちり紙をつめたままバスコの居酒屋へ降りた。
今朝は早くから外出着に着替えて、胸ポケットにはカリナもいた。
「その格好と、胸ポケットのカリナからすると、これから仕事か?」
「そうですぅ! カトル・ガルガンディーナ様のお屋敷へ行くんですぅ!」
ぼくに代わってカリナが元気いっぱい答えてくれる。
今日はミリヤの片想いの相手を調べておこうと、アポなしで突撃してみることにしたのだ。
この世界には電話もメールもないから、手紙か伝令をやってアポを取るのが常なんだけど、そもそも魔法使い貴族にコネなんてないから、基本ぼくの捜査はアポなしの突撃スタイルだ。こんなんで魔法使い探偵をやってこれたのだから我ながら大したもんだ思う。
「ガルガンディーナ家といえば、魔法騎士の名門だな。領地紛争が終結してから騎士の権威はあまり振るわなくなったが、あそこの家は数々の武勲をあげたことで今でも有名だ」
バスコは、カウンター席の向こうにあるキッチンで料理の仕込みをしながら呟いた。今日のメインディッシュはスクワームの丸焼きみたいだ。
スクワームの丸焼きは肉が厚くぷりぷりしていて脂ものってて、バスコ特製のたれに浸して炭火で焼いて食べる。見た目も味もウナギそっくりでやみつきになる。
見た目が人間の腕の太さくらいあるミミズじゃなければ。
「どうしたタロー? 顔色が悪いが、私の話を聞いて緊張してるのか?」
「いや、別に……」
「ならいいが」
だん! とバスコが、ナイフでスクワームの胴体を切断して言った。
「魔法騎士の家はとにかく気位が高いから、気をつけろ。ヘタをするとその場で首をハネられるぞ」
「シャレにならない言い方しないでくれよ。……やっぱ行くのやめようかな」
「今からでも遅くない。やめるか? 傭兵も探偵もひきこもりも、命あってのものだねだぞ?」
「……首をハネられそうになったら、やめる。それまではやめない。いくらランクの高いミッションだからって、やりもしないうちから諦めるとか、ないよ。他人の決めた難易度なんてハナから信用したりしないんだ、ぼくは」
「ふふ、よく言った。ところどころ何を言ってるかわからないが、さすがお嬢が見込んだ男だ」
「それは褒めすぎ。ぼくはいまだに異世界に転移したなんて信じられなくて、オンラインRPGの夢でも見てるんじゃないかと半分くらい思ってるよ」
「夢だから、現実にはできない無茶ができると?」
「前にも言ったけど、ぼくは日本の自分の部屋から、この異世界へひきこもる場所を移しただけだよ。どうせダメだと思ってるから無茶できるんだ」
「ふふん、それこそ素晴らしいじゃないか。傭兵時代の私と同じだ。命を捨てればこそ蛮勇が成せるし、ヘタなプライドがないからこそ逃げて生き延びることも恥じないでいられる。戦場ではタローみたいなやつが長生きするのだ」
なんだか褒められてる気がしないでもなかったけど。
それでも、いまこうして生きていて、夢を叶えて酒場を開いたダイナマイトボディの凄腕の戦士であるバスコからにっこりほほ笑みかけられたのだから、なんだか誇らしかった。
「しんたろ様は、バスコ様に会うといつもこんなアツい話をするんですねぇ?」
「う、うるさいな!」
胸ポケットの中からニヤニヤ笑うカリナに言われて、かっと顔が熱くなった。
「ふふ。それはタローが熱い心の持ち主だからだ。お嬢と同じで、斜に構えたふりをしてるがな」
「な、なんだよ、バスコまで!」
無性に恥ずかしくなって、ぷいっと顔を背けたときだった。
くらっと目眩がしてその場にしゃがみ込んでしまった。
「うぅ、昨日鼻血出し過ぎたせいで、目眩が……」
「大丈夫ですかぁ? しんたろ様」
「心はたくましいが、身体がヤワなところは、ひきこもりらしいな」
苦笑したバスコが、手招きしてカウンター席を指差した。
「とりあえずそこへ座れ」
「う、うん……」
カウンターテーブルを挟んでバスコの真向かいになる席につくと、
「食え」
と、たった今、まな板でバラバラに切り刻んだスクワームの肉の切れ端をつまんで差し出してきた。ピンク色の刺身のようなそれは、バスコの指の中でまだぴくぴくと痙攣している。
「スクワームは生で食べるとすぐに血になる。戦場で出血したときには重宝したもんだ」
「いやいやいや結構です!! 食べたら余計に具合悪くなるから!!」
「ついでに精力もつくぞ? 夜のお供に最適だ。ふふ」
「朝から下ネタやめてバスコ! ぼくに精力なんかつけさせてどうするんだ!?」
「……いちおう言っておくが、お嬢に手をつけたらぶっ殺すぞ?」
「その命を助けたあとで殺すみたいなのやめて!! 何がしたいの!?」
「タローも男ならわかるだろう? ギンギンにたぎる精力があれば、たいていのことはなんとかなる。ほら、はやくこれ食べてギンギンになって探偵の仕事がんばってお嬢には手を出すな」
な、なんて難易度の高い励ましだ! 励まされたのに余計頭が痛くなってきたぞ!?
バスコの差し出すスクワームの刺身を凝視しながら、また目眩がしたそのときだった。
「いらないなら、ちょーだいん?」
くらくらと傾きかけた視界の端から、ひょいっと白くて細長い指が伸びてきて刺身をかすめ取った。
「エネマラ!」
ぼくの隣に、黒革のビキニパンツ一枚だけを身に付けた、淫魔のエネマラが座っていた。