魔法使い小野真太朗 2
「要するに、今回の依頼人は、自分の残念な姿をさらしても片想いの相手に振られないようにしたいわけね?」
カトルをチャラ男と断定したカリアが肩をすくめた。
一日中ひきこもってたやつに一言でまとめられると非常に腹が立つ。
ぼくは気を紛らわせるため、事務所の窓の向こうに見える夜のカザリンガの街へ目をそらした。
午前〇時をまたいだ時刻なのに、二階にある探偵事務所の窓からは、夜の闇のなかでぼんやりした光に浮かぶタンローズ地区のメインストリートが見渡せる。
スラム化が進んで街灯もないこの地区では、魔法使いが違法に品種改良した『キミドリホタルガ』という蛾が大発生していた。
ぼんやりと黄緑色に発光する羽をもつキミドリホタルガが、ゴミだらけの路上や傾いた建物を幻想的な光で照らしているのだ。
キミドリホタルガは一昼夜で死んでしまうにも関わらず、この黄緑色の光が夜のタンローズ地区から失われた日はない。この下町に溢れ返るゴミと魔力をあさって、自然繁殖しているそうだ。
この蛾が放つ黄緑色に光る鱗粉は、体質の弱い人間が吸うと病気になるそうだけど、この下町の人間はみんな平気みたいだ。
今夜も仕事帰りの労働者や、剣をぶらさげた傭兵、魔法使いの笑い声が響き渡り、いつものタンローズ地区の夜を彩っている。
当然、そんな人々のなかに、元ひきこもりのぼくや、現ひきこもりのカリアも含まれているのだけど、悪い気分じゃなかった。
どれだけ汚れても、傷ついても、この町のように平気でいられる気がした。
「まったく、くだらない依頼。好きな男のことくらい自分でなんとかしなさいよね」
夜の町を眺めながら、ぼくはカリアに言った。
「そういうこと言うな。せっかくの依頼だぞ」
「だってそうじゃない。ミリヤは自分が残念な貧乳女ってわかってるから、巨乳の美少女に変身したんでしょ? それを今さらになってやめたいだなんて、人生なめてるにもほどがあるわ」
そろそろ本格的にむかついてきた。
ベッドに寝転がるカリアのほうを振り向いて言う。
「……おい、もう少し別の言い方があるだろ?」
「なによ? 依頼人のことかばうの? あんたも巨乳好き?」
「ぼくは巨乳好きじゃない! ――じゃなくて! 依頼人をかばうとかそんなんじゃなくて、もう少し相手の気持ちを考えたらどうだって言いたいんだ!!」
「やっぱりかばってるじゃない!! 今日会ったばっかりなのに、わかったふうなこと言って! ていうかあんた貧乳が好みなの!? やだ変態!! 最悪!! 今度から廊下で寝てよ。カリアのこと夜這いしたらバスコに切り刻ませるからね」
もう限界だった。
「誰がおまえなんか夜這いするか!! ぼくの好みはBカップ以上Cカップ未満の微乳だ!! おまえはどう見てもAカップどまりだろうが!!」
「なによその『えーかっぷ』って!? あんたの世界のおっぱい基準なんて知らないけどあんたが変態だってことだけはよーくわかったわ!!」
「ぼくの性癖はいたって標準だ! そしておまえの胸は標準以下だ!」
「こ、こ、この変態がぁぁ――!!」
ぼくがソファから立ち上がり、カリアが枕を振りかぶったそのときだった。
「で、依頼は受けるんですかぁ?」
ぼくが座るソファの手前にあるテーブルに置かれた小瓶の中から、カリナが言った。
ケンカする手を止めたぼくとカリアに、カリナが言う。
「今日もらった報酬はすっごく高かったですよぉ。きっと正式な依頼料はもっと高いはずですぅ」
「こ、こらカリナ!」
このタイミングでカネの話をするなよ! と言いかけたときには遅かった。
「しんたろ!!」
カリアの投げた枕が顔面にヒットして、「もがっ!」と息が詰まった。
「あんた、お金のこと黙ってるつもりだったわね!?」
「あれ? あれ? 言っちゃまずかったですか?」
「カリナは悪くないよ。悪いのはカネにうるさいカリアのほうだ」
「ひとを守銭奴みたいに言うな!!」
困惑するカリナと、ぶち切れるカリアを横目に、ぼくはズボンのポケットから取り出した金貨袋の中身をテーブルにひっくり返した。
「ユニコーン印の銀貨が三枚」
「それって多いの?」
「超太っ腹だよ。これだけあれば、半年はバスコに借金のことで何も言われない」
「なんで借金返済に回すのよ。それだけあれば当分は好きなもの買えるでしょ? そろそろ新しいパジャマがほしかったのよね」
「そう言うと思って黙ってたんだよ。カリアに家計を任せたらぼくは借金のカタに魔法使いに売り飛ばされるんだからな」
「ふん、まあいいわ。使い魔のあんたがいなくなったら下働きする人間がいなくなるわけだし、我慢してあげる」
「どっかのひきこもり魔法使いと違って、ミリヤの家は金持ちで助かった」
「誰がひきこもり魔法使いよ! はした金でいちいちありがたってんじゃないわよこのビンボー人!」
「ビンボーなのは誰のせいだっ!?」
うぅぅ~~! と、ぼくとカリアが睨み合っていると、
「とりあえず、これで依頼は受けても受けなくても、お金の心配はなくなったわけですぅ」
カリナが、ケンカする野犬をなだめるように話をまとめてくれる。
「あとは、カリア様と、しんたろ様に、依頼を引き受ける気があるかないかですぅ」
この子は本当によくできたホムンクルスだ。カリナがいなければとっくにこの探偵舎は潰れてるだろう。
「……」
「……」
無言のカリアとぼくの目線がぶつかる。この依頼を受けるか受けないか、腹の内を探り合っているのがわかった。
と、したり顔で肩をすくめたカリアが、やけに知ったかぶった態度で口火を切った。
「魔法使い貴族の恋愛を取り持ったら、うちの探偵舎の評判は上がるわ」
「……評判?」
「そうよ。貴族はこういうゴシップが大好きだから、裏で必ず広まるはず。なにより我がエミリオクシズ家は、縁結びの魔法使いだし――」
淡々と、自分の損得勘定について説明しだしたカリアを見ていたら本気で腹が立った。
両親と、魔法の力を失ってひきこもりになったカリアが、それを埋めようと探偵業を必死になるのはわかる。
でも、ミリヤの気持ちを考えもしないのは本気で腹が立つ。
ミリヤの、片想いの相手に振られないようウソをカミングアウトしたいという依頼は、甘ったれにもほどがあると思う。
でもミリヤは、ちゃんと自分が甘ったれだと認識したうえで、ぼくにさらけだした。
ミリヤも、ひきこもりから脱出しようと必死なんだ。それはカリアも同じはず。
ぼくや、カリアや、ミリヤの悩みなんて、周りからしてみればチンケな悩みかもしれない。
でもそれは世界で一番重大な悩みだ。ものすごく狭いけど、これがぼくらの世界のなんだ。
だからぼくという魔法使い探偵が、ミリヤに選ばれた。
いまわかった。
ぼくは、ひとの心を守るために閉じこもることも解放することも自由自在にできる『ひきこもり』という魔法が使える魔法使い探偵だ。
ぼくはいま自分の心を解放したがっているミリヤの力になりたい。あの部屋から外に踏み出したときの彼女の顔が見てみたい。
(自分と同じ、ひきこもりになったミリヤの気持ちなんて、どうだっていいのか?)
「しんたろ!」
カリアが大声をあげて、怒りで話を聞き流していたぼくの顔を上げさせた。
見ると、カリアは頬を膨らませ、眉毛と目尻をつりあげて怒っていた。
「カリアの話聞いてた?」
聞いてなかったよ。
「……聞いてたよ」
「この依頼、断るわよ」
「はいはい、引き受けますよ、どうせカリアは自分のことしか考えて――――いまなんて言った?」
「聞いてないじゃないの! このボケナス!」
「はい、ボケナスです、その点は素直に認めます。……なんで断るんだ?」
「バカ!」
涙ぐんだ顔でバカ呼ばわりされた。
どうやらぼくは何か、大きな思い違いをしてしまったらしい。