おはようカザリンガ
魔法都市カザリンガを照らす朝日が、事務所のカーテンの隙間から差し込んでぼくは目を覚ました。
「……」
むく、と狭っ苦しいソファから身を起こす。
(眠い眠い眠い……)
日本にいたころ、いつも昼過ぎまで寝ていたぼくにとって、夜明けとともに起きるなんて苦行以外のなにものでもなかった。
本当はいますぐにでも二度寝したい。たとえクソビンボーな探偵事務所の傾いたソファや、毛玉だらけの薄い毛布であっても。
それでも、起きなきゃいけない理由が、いまのぼくにはある。
正確に言うと、ぼくの首に巻かれた首輪に。
「うー、くそ。寝るとき苦しいったらないな、これ……」
忌々しい気分で、安眠を妨害してくれる黒い革でできた首輪を引っ張った。
顎の下に鍵穴の金具がついた首輪は、いくら引っ張ろうとびくともしない。
この首輪には、使い魔を支配する魔力が込められている。
「……しんたろ」
ぼくの起き上がったソファの対面にある、半透明なピンクのカーテンがかかった天蓋付きベッドから、女の子のか細い声がした。
「はいはい」
首輪を外すのを諦めたぼくは、寝間着代わりのボロボロのシャツとズボン姿で、ベッドの脇へ移動する。
咳払いをして、イケメン声優のような声を作ってベッドに横たわる女の子に言った。
「おはよう、カリア。今日もいい天気――ぐぼっ!」
カーテンから突きだしてきた容赦ない手刀が、首輪が巻かれたぼくの喉にぶっ刺さった。
「ぐほぁぁぁ――!! のどがぁぁぁ――!! 首輪の金具があたってのどに深刻なダメージがぁぁぁ――!!」
痛いというより苦さがほど走る喉を押さえながら床を転げ回るぼくに、ベッドから凄まじく不機嫌な声。
「うるさい。まぶしい。眠い。あんた邪魔。太陽も邪魔。主人として命令するわ。今すぐ太陽を消して。あんたも消えて。おやすみ」
ベッドに横たわったまま淀みなく毒を吐き、再び目を閉じて寝息をつく。
さすが我がクソご主人様、カリアロッテ・エミリオクシズである。
「カ、カリアぁ……!!」
げほげほと咳き込みながらベッドの脇へ近寄り、毛布に包まれたカリアを見下ろした。
ピンク色のパジャマ姿を着た小柄な身体、膝の裏側まで届くウェーブのかかったフワフワの亜麻色の髪、白くて小さな顔、か細い手足。
顔は、温めた牛乳みたいな白い肌をしていて、大きな瞳の目尻は不機嫌そうに尖ってるけど、どこか危うい感じがする。ツンと上向きな小さな鼻と、ミニバラみたいな唇が、お人形さんみたいだ。
「……」
喉の痛みも忘れて、「すぅー、すぅー」と二度寝をこく彼女に見入ってしまう。
やっぱり似ている。
何度見ても、明里そっくりだ。
「……なに見てんの!」
「うぉごっっ!!」
じっと見入っていたぼくの顔面に、明里……じゃなかった、カリアの小さな足の裏が叩き込まれてひっくり返った。
日本に残してきた幼なじみに似てると思ったぼくがバカだった。明里なら朝っぱらひとの顔面にヤクザキックなんてしない。してたまるか。
「いきなり何すんだよ、カリア!」
「ひとの寝顔をじっと見てるようなスケベなんて死ねばいいのよ」
「そりゃ言い過ぎだろ! ……寝顔見てたのは悪かったけど」
「あー、もうやだやだ! なんでこんな使い魔とひとつの部屋で寝起きしなきゃいけないの? こんな犬小屋じゃなくて、お屋敷の寝室が懐かしいわ」
「犬じゃねぇし!」
ぼくは忌々しい首輪を指差しながら言った。
「ていうか、その犬と一緒に生活するはめになったのは、誰かさんの魔法が使えなくなったせいだろ?」
ふん、と鼻で笑って言ってやると、カリアが「きっ!」と恐ろしげに眉をつりあげた。
「カリアのせいじゃないわよ! カリアの魔法が使えなくなったのはいまが充電期間だからだし、お屋敷を追い出されたのは、パパとママが死ぬなり財産を奪っていった親戚のクソどものせいよっ!!」
しまった。
軽い皮肉のつもりが、思いっきり地雷を踏んでしまったようだった。
「カリアの魔力が消えなかったら、召喚屋にお願いしてあんたなんか召喚しなかったわよ!! なんで召喚されたのが、よりにもよってニホンなんて聞いたこともない国からやってきたあんたなわけ!? もう少しまともな使い魔だったら、今ごろもっといい部屋でいい朝を迎えてたのに!! あーもう太陽が眩しくて鬱陶しい!! 早く太陽消しなさいよ、このボンクラ!!」
「そんな魔法はこの世に存在しないし、だいいちぼくは魔法が使えません。そもそも太陽消したら困るでしょうが」
「私は困らない」
「困ると思うけどな」
「ついでに、しんたろがいなくなっても困らない。いつまでカザリンガにいるの。早くニホン帰れば? このボンクラ。……ふあ」
枕を抱いて、あくび混じりに言われると非常にムカツク。
「そりゃこっちのセリフだ! ぼくだっていまごろ日本で昼過ぎまで寝てたっていうのに! 自分はダラダラ寝てるだけじゃないかよ!!」
「あーもー、うるさい。朝から魔法も使えない平民とケンカするほどこっちもヒマじゃないの」
「魔法が使えないのはお互い様だろ! ぼくは平凡な日本の高校生だけど、そっちは元魔法使いの現ひきこもりじゃないか!! いい加減ぼくを日本に帰せ!!」
ふぅ、とカリアがため息をついた。
「あんたは私が魔法の力を取りもどす日まで、魔法使い探偵として働くの。そういう契約なの。それが済んだら帰っていいわ」
「じゃあさっさと魔法使えるようになれこのやろう」
「明日ね」
「まだ今日が始まったばっかりなのに明日へ回すとかどんだけダメなんだおまえはっっ!?」