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龍神たちの晩餐  作者: 一花カナウ
第一章 メイズ
9/30

身捧げの湖

 長い迷路のような地下通路も終わりが見えてきた。ほとんど明かりがなく、しぶしぶ魔法の灯火を生み出し先を照らす。

 先ほどまでの危機感を帯びた走りではなく、幾分か余裕をもった様子で出口に向かっていた。それまでに数匹の小型の魔物と対峙することになったが、あっさりと粉砕し、今に至る。こんなに魔物が出てくるということは、近くに巨大な魔力を持て余す者がいるということを示す。二人とも適度な緊張感を保ちながら、光の射す中へと駆け込んだ。

 まず目に飛び込んできたのは、深い森の中に浮かび上がる緑の光。対岸が見えないほどに広い湖は、天頂から僅かに傾き始めた太陽に照らされて、その独特の緑を秘めた色に輝いている。湖は茂る陰樹の森に囲まれ、容易に近付くことはできない。とても神秘的な雰囲気を持つ世界が目前に存在した。

 ヘイゼルはシエルを下ろし、立ち止まる。シエルもどこか感慨深げに辺りを見回した。

「ここが身捧げの湖と呼ばれている湖です。まさか私がここに来ることになろうとは思っていませんでしたが……」

 表情を僅かに曇らせる。続く言葉は飲み込んで、他に台詞はなかった。

「心配するな。命がけで呪符を解いてくれた分くらいは、ちゃんと礼をするよ。沈めるような真似はしないさ」

 シエルが生け贄の儀式を連想して落ち込んでいるものと思い、軽く彼女の頭を撫でてヘイゼルは微笑む。

「……あなたを選んで良かったです。とても心強い。本当に……」

 潤ませた瞳を誤魔化すように少女は微笑みを返す。

「ホント、君があそこから出してくれたことは運命だったと思うよ。これで、あの導師と対面できるのだからな」

 ヘイゼルの瞳に炎が宿る。赤の龍の印だ。

「……モルゲンロートの魔導師のことですか? やはりお知り合いで?」

 小首を傾げて問う。気になっていたらしかった。

「直接の知り合いって訳じゃないけどな。コイツにはちょっと用事があるらしい」

 言って、ヘイゼルは自分の赤みを帯びた瞳を指し示す。

「詳しい説明は、事件が片付いてからにしよう。――どうやらおいでになったようだ」

 二人は身構える。シエルは杖をしっかりと構えて予備呪文を唱え始める。

 風の誘いに木々が応える。ざわざわと森が喋り出す。潜んでいた小鳥たちが一斉に飛び立ち、地面を行く獣たちは各々その場を離れようと動く。沈んでいた殺気が急に浮上し、姿形を整えていく――。

 目の前に出現した人型のそれは、真昼であるにもかかわらず、深い闇を背負っていた。凄まじい魔力を放ち、空中で静止している人物。彼から放たれるその場にいたくないような気持ちにさせる威圧感。何もかもが桁違いに思われる、力を持った存在――それが、この世界を司る九つの龍の一つ、黒の龍に守護された魔導師の本来の姿だ。

「先ほどは部下が大変失礼しました、お二方」

 やんわりとして穏やかな、幾分か歳を感じさせる男の声。

「まったくだ。さっさとそちらが出てきてくれれば、話は早かったものを」

 わざとヘイゼルは余裕を演じる。そうでもしないと、逆に冷静さを保っていられそうにないのだ。先ほどの男女の二人組などよりも脅威であることは間違いがない。

(……案外と追い込まれちまっているのかも知れないな)

 ヘイゼルは心の中で舌打ちする。

 例え今は龍の力によって半不死身だとはいえ、死が無くなったわけではない以上、死に対する恐怖は拭えない。赤の龍の力を持ってしても、裏切りの黒の龍の力の前では意味を持たないかも知れない。

(慎重にいかないと――)

 ぎりっと歯を噛みしめ、正面の黒の魔導師を睨む。

「そうですね。あなたの力が封じられているうちに殺しておくべきでした。ちょっと遊びすぎたかも知れません」

 至って動じずに、何でもないかのように魔導師は答えた。ちょうど目の前をうろつく小さな虫を捻り殺すかのような感じに。

「……そうしなかったのは、赤の龍自身を攻撃したかったから、だろう? 俺の存在なんて、代わりはいくらでもいるからな」

 割り切っているつもりだが、ヘイゼルは何とも言えない気持ちになる。隣にいる少女をすぐさま消滅させなかった理由もそこにあるのだろう。

「よくわかっていらっしゃる」

 小さく笑って魔導師は答え、地面に足を降ろす。着地した部分の草はみるみるうちに枯れ、灰になり風にとけていく。

「――ならばそうするまで」

 闇の中にさらに深い、光をも飲み込む目が見開かれた。爆風が巻き起こる。

「ジ・グラウト・アス・グラシス!」

 緑の光を放つ半透明の半球が二人を囲む。衝撃波が全身を襲うが、風の影響はシエルの唱えた防御用呪文のおかげでほとんどない。結界越しに見える外の景色は木々が倒され、消し飛び、色が消えていく様が目に映る。まともにくらっていたらと思うと、冷や汗が流れた。

「ジ・ウィリア・ルシール・グラシス!」

 結界の効果が切れかかると同時に、シエルは杖を構え直し、強化版増幅用神聖魔法を自分たちに掛ける。緑の光が二人を包み込んだ。

「ジオ・スパロ・ストーク!」

 シエルの魔法が効き目を現すとほぼ同時に、素早く印を結び、ヘイゼルは両の手を地面に叩きつける。

 ごうっ!

 地面が魔導師に向かって盛り上がり、徐々に巨大化して突き進む。摩擦によって生じた静電気が大きな電流となって突撃する。

 ずんっ!

 魔導師の前に闇の壁が出現する。何も通すことのない深い闇。新月の頃の空よりもはるかに暗い。

「モノ・マルチ・ライタス・ブラディア!」

 シエルの放つ強い意志を持った声が、空間に作用する。

 魔導師の足下とその頭上に緑の円形の魔法陣が出現したかと思うと、そこから放たれる鋭い電撃の豪雨を敵に浴びせる。

 ざざざざざっ……!

 正面のみに向けられていた防御壁は何の効果も無しに、電撃が魔導師本体を傷つける。

「こんなもの効かぬわ!」

 ぶんっ!

 衝撃波の音とともに魔法陣は破られた。結界も消え、そこには始めと変わらぬ姿の魔導師がある。通ったかに見えた攻撃は、すべて無効化されてしまっていたようだ。

「くっ」

 魔導師を睨み付けたままシエルは唇を噛むと、次の呪文にすぐさま移る。

 増幅用呪文は一発の魔法にすべてを費やした所為で、ほぼ効果を失っている。二人を包む緑の光は心許ない。

「エクエス・ポルタ・ワスターレ!」

 術者の足下に黒い魔法陣が出現する。ヘイゼルの正面に自身の倍はあるだろう扉が現れ開かれると、大きな槍を構えて馬に乗る巨大な騎士が登場し、魔導師に向けて突進を開始する。音よりも速く、目で捉えることさえできない。さすがの魔導師も簡単に避けられぬだろう。

「リ・フロディ・ウォル!」

 ぎぃんっ!

 金属同士が衝突したような音とともに召喚魔は消え、そこに銀髪の男が立った。

「遅くなりました、黒龍様」

 祭壇で対峙した二人組の片方、長い銀髪の男はちらりと後方の魔導師を見ると詫びる。

(なっ……)

 ヘイゼルは困った。ただでさえ苦戦しているのに、ここで合流されては分が悪い。

(落ち着け、ヘイゼル。何か打開策があるはずだ。考えろ、考えろ、考えろ……)

 焦っているためか、良い案は全く浮かばない。赤の龍によって、魔力残量を気にせずに強力な魔法を撃てるとしても、一回に出せる力には人間である以上、限度がある。

(こんなときに限って、俺は――)

 歯を噛みしめるだけで、次の呪文を唱えることさえできない。

「ミステル、お前が来てくれて嬉しいよ」

「ありがたき言葉。必ずや、役に立って見せましょう」

 銀髪の男――ミステルの目が見開かれると、背中から真っ白な蝙蝠のような翼が生えた。一度大きく羽ばたくと、その身体は宙に舞う。

「モノ・シール・デス・ブラディア!」

 シエルが杖を魔導師に向けて振り下ろす。

 魔導師の立つ周りに緑の輝きが現れる。エメロードで最強の、いや、この世界で最も強力な封魔法の一つとされる術が発動する。

「くぬぅっ!」

 おそらく予想できなかっただろう。ほとんど不意打ちに近い状態で入った魔法は、さすがの魔導師も反応できなかったようだ。防御魔法を準備する間もなく直撃する。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 シエルは肩で大きく息をした。身体への負担が多大である呪文を一日で二回も、しかも大して休憩を挟むことなく唱えたのには、器に限界があったらしい。これではしばらく呪文を唱えることはできないだろう。

 一方の魔導師は、消費を伴う怪我を負ったものの、所詮は人間によっての封魔法、無尽蔵に溢れる魔力の前では取るに足りない。そうはいっても、不意打ちの一発は一時的ではあるが、魔法を封じることに成功しているようだ。すぐに反撃が来ても良さそうであるのに、動きがない。

(なんとかなるかも知れない)

 僅かな希望に、逆転の機会を見る。

「……シエル」

 ヘイゼルは息の切れたシエルに小声で話し掛ける。

「……はい」

 絞り出すように、息の合間に答える。

「湖まで、走れるか?」

 ヘイゼルの問いに、シエルは困惑の表情を浮かべた。何の意図があってそう指示を出してきたのか、すぐに理解できなかったのだろう。だが、彼女は表情をそのままに、ゆっくりと頷いた。

「なら、俺の合図に合わせて走って欲しい。援護はする」

 こくりと頷いて、シエルは了解を示す。

 上空で魔力が膨れ上がる。ミステルのいる辺りだ。

「ディ・ス・エラ!」

 黒い闇の矢が二人に向かって降り注ぐ。広範囲を対象とした、爆撃呪文である。

「ジオ・ウォル・ラウド!」

 印を結ぶと、両手を上空に向ける。周辺の地面が持ち上がり、術者の頭上に壁を作る。指向性がある術であるなら、これで充分防ぐことができるはずだ。

「行け! シエル!」

 ヘイゼルが叫んだ。シエルは納得できないような顔でヘイゼルを見ながらも、湖に向かって駆け出した。持てる力のすべてを注いで。

 飛行中のミステルからは、この結界の術のおかげで目を盗むことができる。

(走れ、シエル)

 正面の魔導師はまだ立ち直れないらしく、解除呪文の詠唱を行っているところだ。この様子なら、少女だけでも逃がすことはできるだろう。

 少女は振り向くことなく真っ直ぐに駆けた。

(……別に、信用していなかったわけじゃないんだ。ただ、君に死んでは欲しくなかっただけ。わかってくれよ)

 シエルを走らせたのは彼女を逃がすためだった。このまま走り去ってくれれば、否応なしに広範囲に影響が出てしまう大技にシエルを巻き込むことなく魔導師を葬り去ることができる――そう判断したのだ。

 ヘイゼルは両の目を閉じると、長い呪文の詠唱を始める。

 ガガガガガガ……。

 頭上ではミステルが放った魔法の矢が土でできた結界を破壊している音。かなりの音量で、耳がおかしくなりそうだが、おかげで声が漏れることはない。気を集中させて、ひたすら言葉を紡ぐ。これで失敗したら、それこそ自爆する覚悟で向かうほかにない。

 精神の集中を切られたのは、次の瞬間だった。


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