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龍神たちの晩餐  作者: 一花カナウ
第一章 メイズ
5/30

分かれ道

 聖水の流れる水路の脇をずっと沿って走った。何度か分岐点を通過したが、水路の延びる方へ延びる方へと向かう。

 道幅は始めにいた石造りの地下通路よりもずっと広く、水路の幅は跳び越えられるくらいで、その両脇の歩道は人が充分にすれ違えるだけの広さがある。天井までもそれなりに高く、大人二人分よりもまだ高いだろう。弓形になっていて、土壁は湿っている。足下は木の板で舗装されており走りやすい。蝋燭などによる明かりは全くないが、苔や黴などの生物が放つ光で必要な視界は得られる。追われている側としては相手からこちらの姿が見えにくいだろうから好都合だ。

 次に現れた分岐点で、青年は少女を下ろした。

「さて、どうする?」

 水路も二手に分かれている。全く同じ幅だ。それよりも問題なのはその先だ。水が流れ落ちる音。

「道はあっているはずなのですが……」

 少女は途切れた通路の切り口をしゃがんで凝視する。手で触れると黒い煙が立った。

「何者かが魔法を使って破壊したようですね。両方とも、やられて間もない」

 もう片方の切り口も確認して少女は告げた。

「そうだな。まだ魔力が残っている」

 辺りを注意深く見て言う。水の落ちる先は残念ながらここからでは暗すぎてよく分からない。そうなると、ここを強行突破するのは極めて危険だ。

「引き返すか?」

 少女はその問いに首を横に振った。

「――気付くのが少々遅すぎました」

 殺気が数体。唸り声をともなわせて姿を現す。

 狼に似た姿の魔物。目が三つ有り、黒の短い毛はつやつやしている。足は蹄で、爪ではない。長く飛び出た牙からは液体がしたたり落ち、木の床をじゅうっと焦がしている。そんな姿の生物が四体現れた。小型なので動きは機敏と判断する。

「一体次から次へと、何なんだ?」

 この魔物は、あの巨大な化け物に遭遇して次に出会ったものだ。

 青年は呪文の詠唱を省略し、自由になった手で素早く印を結ぶ。

「アクア・ジオ・ラウド!」

 手のひらを地面に叩きつけるとそこから魔物に向かって地面が裂け、次の瞬間大量の水、それも聖水が刃のごとく高い水圧で襲いかかる。

 ある魔物は首を切り落とされ、またあるものは胴を切断され、あるものは前足を失う。一匹だけ無傷で残ってしまったのは、この呪文の攻撃範囲が指向性を持ち直進にのみ対応しているためだ。

 無傷の一匹が高く飛び上がり、少女を狙う。

 少女は呪文の詠唱を終えて杖を前に構えた。

「テトラ・ジ・ライタス!」

 閃光が二つ、杖から放たれ、魔物の頭頂部と胴を突き抜けた。力を失った魔物は失速して少女の脇にそのまま激突する。

 あっけなく戦闘は終わった。

 汗が二人の頬を流れる。まだ殺気は消えていない。どうやら引き返す道は断たれたようだ。

「困りましたね……」

 少女は呟く。焦りが色濃く窺える。

「取り敢えず、戻れないなら塞いでしまうか」

 青年は少女を見て提案する。魔力も法力も、これから先に何が待ち構えているのか分からない以上残しておきたい。また、ゆっくり休む暇がないことも考慮すると、少しでも時間稼ぎをしておきたいというのが本音だ。

「でも、どうするのですか? 道はないのですよ」

 聖水に足を浸す青年に問い掛ける。

「せめて、足の呪符がとれて全力が出せればな……」

 さっきの泉のように簡単には解けないらしい。呪符は全く変化しない。諦めて水の中から出る。

「これ、どうにかできないのか?」

「私には無理です」

 彼女はきっぱりと言い切った。こうもにべもなく答えることもないのにという気持ちが出てしまい、思わず不満げな口調で続けてしまう。

「でも、首のは解いてくれたじゃないか」

 指で示して言う。彼女はどんな言い訳をしてくるだろうか。

「あれは偶然です。必死になっていたから、奇跡が起きたのでしょう。私にはその呪いを解くほどの法力はありません」

 どことなく、開き直っているような口調で少女は答える。

「本当にそうかな? さっきの泉で、君は何度かここに来ているとも言ったが、その前に神官に近い者のみが訪れていた、とも言っていたよね? ――ずっと不思議に感じていたんだが、君はこの神殿で何をしている人なんだ? その服装は明らかに高い役職に就いている人間だろう?」

 少女は肩を竦める。小さく溜息。

 青年は少女のいる側の岸に立って様子を窺う。

「……この街のお祭りをご存じで?」

 少女は何の脈絡もなく問う。落ち着かない様子で肩につく髪に触れている。

「十二年に一度行われるものだろう? この街を守護する龍に若い神子がその身を捧げるというものだ。確かその祭りは今年……それも今月行われるんじゃなかったか?」

 言いながら青年はその祭りの詳細を思い出す。二十歳に満たない少年、または少女が法衣に身を包み、街のそばの湖に沈められるという――いわば生け贄の儀式にまつわるお祭りだ。それが始まったのは伝説で語られる時代からであり、現在は生け贄の代わりに、選ばれた神子の髪で作った人形を沈めると聞いている。

(その話を今ここですると言うことは――)

 青年ははっとした。その表情を見て、少女は続ける。

「そう。そして私は生け贄なのです。街で生まれた翠玉の瞳をもつ子どもを生け贄として捧げるのですよ。龍神様の生け贄の印だそうで。とても綺麗でしょ?」

 自分の瞳を指差し、少女は自嘲気味に笑む。

「この瞳の色は生まれたときからあるのではなく、年頃になると現れるのです。困りますよね、そんな運命を背負う子どもを授かると」

 少女は自分で自分を慰めているかのように説明した。

「俺は生け贄は廃止されたって……前回からそうだと聞いていたんだが」

 右手を顎にあてて考える。少なくとも、モルゲンロート使節団に残されている資料にはそう書かれていたはずだ。

「そのおかげで泉は枯れたのだとも街では囁かれております」

「なるほど……」

 一番始めに聖水の偽物が出たのは十二年前だ。それが意味するところはこういう内部事情によるものだったのかも知れない。

「……とはいえ、君もかなり高位の呪文を唱えていたはずなんだが、どうしてあんな呪文を、それも連発できる? 俺が君から感じ取っている法力の大きさも説明できない」

「そんなに私の正体が気になりますか?」

 苦笑している。どうしても話したくないようだ。

 青年は諦めて視線を通路に向けた。こんなところに長居をしていても意味はないし、次の手段に出なければならない。

「わかった、聞かないよ。――それよりもこの状況をどうするかだ。取り敢えず、俺がこの下に光を放って様子を見るから、後方の安全を任せる」

「了承いたしました。頼みます」

 青年が通路の下を覗き込みながら、呪文を唱える。

 少女は入口を見据え、いつでも呪文詠唱に入れるよう意識を集中させた。

「スパク・ニット・フラ!」

 拳大の青白い光の球がゆらゆらと下方に落ちてゆく。ぼんやりと辺りを照らす様子は幻想的で、流れる水にその光が反射する。

 水面までの距離は三階の建物の屋根から地面までといったところだろうか。想像以上に深い。しかし、その着地点はある程度の水深があるらしく、怪我に繋がりそうな障害物はないように見える。どうも隣の行き先とも繋がっているようだ。

「モノ・ウィリア・レイ!」

 少女の呪文を唱える鋭い声が壁面に残響を与える。

 その呪文の声に驚いた青年はすぐさま振り向いて構えた。例の大きな化け物が両腕を振り上げ、直前まで迫っていた。

 少女の呪文は対象の動きを鈍らせるもので、青年はそれを理解すると素早く印を結び、化け物に近付く。

「アクア・デス・ライド!」

 手のひらを向け、化け物の腹部に直接たたき込む。高圧の水流が手のひらから放たれて胴を貫通する。攻撃が効いているのを確認すると、青年は素早く後方に飛び退いた。

 化け物は腕を振りかざしたまま正面にずんと倒れる。床板がみしみしと悲鳴を上げる。

(この化け物――まさか)

 ある事実に気付いて、青年は薄ら寒いものを覚えた。

 身体の大きさ、顔つき、身につけていた高価なマント――それらの情報が、ある一つの真実をあぶりだす。

(……だとしたら、いや、そんな)

「やりましたね! これでしばらくは安心です」

 少女が嬉しそうに、しかし息の荒い状態で言う。

 だがすぐに喜びを分かち合うことはなく、青年は首を静かに横に振って手で制した。

(油断したな)

 動揺していたからか、完全に反応が遅れてしまっていた。殺気はまだ消えていないどころか増している。しかも、挟まれた。正面の通路から一つ、そして後方の中空に浮かぶものが一つ。

 青年はゆっくりと少女との距離を縮める。足首が痛むのは呪符の効果だろうか。血が床に絵を描いているのに彼は気付いた。

(敵の姿は見えない。薄暗いせいか、あるいは……)

 精神を落ち着け、呪文の予備詠唱を始める。

 少女も状況に気付いたらしい。彼女もそれに倣い、杖をしっかりと握りしめる。

「――やっと見つけましたよ。まさか逃げ出すとは思っていませんでしたから」

 正面から聞こえてきた声は女性のもの。甘い感じの、どこかねっとりとした喋り方。青年の聞き覚えのあるものだ。

「神官まで殺してしまうなんて、全く予期していませんでしたが」

 声の主はすっと姿を現す。

 朱にも見える茶色の長い髪は緩く波打っている。右目を隠し、見える左目は金色。長い睫毛にくっきりとした二重、柔らかそうな赤い唇。かなりの美人どころだ。

 頭の上には職業を示す帽子。左耳には黒い宝石で作られた龍の耳飾。身体の線がはっきりとわかる赤い衣裳は、太股の付け根まで裂けて白い肌が覗く。その上にモルゲンロートの象徴である龍の図が入った白いマントを羽織っている。この意匠のマントは、青年が持っていたものと同じものだ。今は投獄されるにあたり、没収されていたが。

「し……神官まで、ですって?」

 少女が女の台詞に狼狽する。今までの落ち着きを払っていた様子からすれば、見てわかるほどにおろおろとしている。

「気が付かないはずはないんですけどね?」

 口元をにたつかせ、女は開いた左目で化け物をちらりと見やった。

 カラン……。

 少女は杖を落とした。身体をわなわなと震わせ、青年の背中にしがみつく。

 青年は呪文の詠唱を中断し、少女の細い肩に触れた。がたがたと震え、恐怖の表情をしている。目を見開き、じっとその瞳は化け物から離さない。

「……そんな……お父様……」

 少女の声は囁くようであったが、青年の耳にはそうとれた。

(……神官の娘だったのか?)

 青年は少女の様子を窺いつつ、正面に対峙する女の挙動を観察する。後ろの気配には変化はない。ただ、怯えている少女が心配であった。

(この様子はまずいな……)

 女が青年の足に目を向けたかと思うと、ふっと愉快そうに笑んだ。足から大量の血を流していることに気が付かれてしまったようだ。

「まだ、力は封じられたままのようですね。この国の封魔術は大したものでしょう?」

 女の挑発するような台詞に、青年は何も答えない。ぎりっと歯を強く噛んだだけだ。

「もう、追いかけっこは止めにしましょう」

 すっと滑るように女は前方に、青年たちがいる方に移動する。その動きはものすごく速い。人間の通常の動きではなかった。

「スパク・ジオ・ラウド!」

 青年は天井に向けて術を発動させる。それと同時に少女を抱え込んだ。

 術は複数の光の矢となって弓状の天井を次々に破壊する。大きな固まりの礫を作り、雨のように降り注ぐ。

 この魔法は道を塞ぎ、視界を遮るのが目的なので殺傷力はほとんどない。やはり女はそんな攻撃をものともせず、ほぼ真っ直ぐに駆ける。

 青年は少女を抱えたまま、呪文を詠唱しつつ通路の出口、つまり滝となっている先に向かって全速力で走った。足首が痛むが、気にしている余裕はない。

「愚か者が!」

 女の嘲笑う声。かなり接近している。

 青年は腕の中で震える少女を気に掛けながら、滝壺に向かって思い切って飛び降りた。

「アクア・ウォル・ラウド!」

 対象範囲を自分の真下にして放った術は薄い水の膜を作り、術者自らを包み込む。近くの水、つまり聖水を使った防御用、そして目を欺くための結界魔法だ。

 大きな水柱があがり、それきり二人の姿は消える。彼らの気配も聖水に含まれた法力に溶け込んで紛れた。


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