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龍神たちの晩餐  作者: 一花カナウ
第一章 メイズ
4/30

聖水の泉

 通路は石造りからただの土壁になっていた。蝋燭の明かりもなく、真っ暗な道を慎重に進む。わずかに道が分かるのはこの通路に自生する黴の一種が栄養を生み出す際に光を放っているからだろう。青年は書物でそういう生物がいることを知っていた。

 天井、道幅が広がったような気がした。次第に開けた場所に到着する。

 青白い光に支配された幻想的な地下空間。天井までは三階建ての建造物がすっぽりと入るくらいの高さがありそうだ。中心部は泉になっていて、その中に人工物、この街を守護する龍神を思い描いて彫られたらしい巨大な像が建っている。瞳には大きな翠玉が使われているらしく、まるで生きているかのような不思議な輝きを放つ。像の全身は天井までの半分よりもやや低いくらいで、その表面には先ほどの通路にびっしりと生えていた黴が付着していた。

 青年はその空間全体をざっと見回すと、泉の側に少女を横たえる。泉の水はとても澄んでいるが、生物は見当たらない。この部屋を支配する黴や藻なども水中には確認されなかった。

(妙だな……)

 警戒しながら水に両手を浸す。火傷をおこすようなことはない。刺激臭も全くない。とても冷たく、心地がよい。味を見ようと腕を沈めたとき、呪符が水に触れた。とたんに強力な光が水面を包む。

(なんだっ!?)

 咄嗟に腕をひくが何ともなく、むしろ擦り傷が消えたほどで、光は一瞬で消えてしまった。

「!」

 よく見ると、呪符に書かれていた文字が消えている。薄暗くてよく分からなかったが、それは間違いない。単なる紐に戻ってしまえば解くのは簡単だ。青年はその紐を噛み切ると、自由になった両手首を撫で、再び水に手を入れる。

(なるほどな。この水は――)

 なんてことはない。安全だと判断し、少量すくい上げて口元に運ぶ。

 ごくっごくっ……。

 渇ききっていた喉を優しく潤していく。甘みがわずかにあって美味しい。危険ではないことが分かると、両手になみなみと抱えて少女の口にも運ぶ。しかし、わずかに開いた唇に流し込むのは難しい。

(む……思ったより難しいんだな)

 窒息してしまうおそれもあったので、濡れた指先で彼女の唇をなぞる。伝わってくる柔らかな感触。そして彼女の唇がぴくりと動いたのがわかった。

(どうにか飲ませられないだろうか――ん……)

 ふと浮かんだのは、どこかの小説で見かけた一つの情景。

(試してみる価値はある、か)

 状況が状況だ。青年は開き直って、口移しを試みることにする。手ですくい上げた水を自らの口に含むと、少女の唇にそっと付けた。少女の喉が微かに動く。

(いけそうだな)

 青年はその様子を見て安心した。もう一度唇を重ね、幾分か飲んだところで少女は目を覚ました。

「……!」

 少女は頬を赤く染めた。長い睫毛を上下させて驚いている。突き放したかったようだが、体力がそこまでないのでできなかったらしい。結局、身体をよじっただけだった。

 そんな反応を見せる少女を前に、青年はさっと離れて隣に腰を下ろす。

「――少しは回復できたか?」

 何だか照れてしまって、視線を入口の方に向けたまま努めて優しく問う。

「え、えぇ……」

 戸惑っている様子で頷き、少女は上半身を起こす。彼女が髪に手を触れたのが視界の端に映った。

「――あなたがここまで運んでいらしたの?」

「あぁ。君が首の呪符を解いてくれたおかげでなんとか逃げることはできた。でも、まだとどめは刺していない」

「そうですか……。……腕の呪符、解いたのですか?」

 彼の両手が自由になっているのに気付いたらしい。少女は問うてくる。

「解いたと言うより、ここの水に触れたら解けたんだ。一体ここはどこなんだい?」

 少女の方を向いて問う。少女は少し頬を赤らめた状態で、でも息はもう整ったようだ。落ち着いた様子で辺りを見回し、龍の像に向けたところで視線を固定した。

「ここは聖水をとる泉です。街の中央にある噴水に昔はひいていたそうですが、今は水量がなくなったために放置されています。特別な政以外にはここに訪れることはありません。神聖な場所として、一般市民にはここを教えておりませんし、ここに来るのも神官とその近しい人物のみです。――私は何度か訪れておりますが」

 言って少女はゆっくりと身体を動かし、水に片手を浸す。安全であることを再確認した後に両手ですくって飲み干す。

「味に変化はないようですね。まだ、邪気にあてられていません。治癒力がこの水にはあるのです。どうぞもっと飲んでいって下さい」

 優しく少女は微笑み、青年に勧める。

「……そうだな」

 青年も水辺に移動して水を何杯か飲む。体力が回復するのが分かる。効力は抜群だ。

「――ある文献に、この街の聖水についてを見かけたことがある。何でも、瀕死のものにこの水を飲ませると一晩で健康な身体に戻る、とかな」

 思い出して青年は言う。ここの水には法力が宿り、体内を浄化すると聞く。魔性のものにも効果的で、魔物を倒す武器に吹きかけると良いとか、魔物に心を奪われたものに飲ませると良いなど、様々な効果があることが知られている。

「えぇ。しかしここ数年、偽物が多く出回るようになりまして」

 少女が表情を暗くした。

「あぁ知ってる。だから、その調査も兼ねて俺は来たんだ」

 長袖の肌着を脱いで、それに泉の水を吸い込ませ、身体にあてる。筋肉質の身体のあちこちにできた細かな傷がみるみるうちに癒えていく。

 少女はそれを見て慌てて視線をはずす。そして彼女も小さな布切れを懐から取り出して水に浸した。しみこませたそれを露出した足や腕にあてると、少女はほっとしたような表情を浮かべる。

「学者、ですの?」

 意識を別の方に向けようとしているかのように質問が投げかけられる。

「あぁ。ユライヒト帝国第一都市モルゲンロートを拠点としている使節団所属の学者だ。一応、召喚士でもあるけどな。ここへは祭りの視察を命じられて来たんだ」

「まぁ、あんな遠くからわざわざこんな辺境の地までいらしていたのですね。申し訳ありませんでした。いきなり捕らえ、その上力を封じるだなんて酷いことを……」

 少女は俯いて、とても悲しそうに詫びる。

「気にしてない。そんなことはたいしたことではないからな。――それより、一体何が起こったんだ?」

 肌着を絞ってばさばさと叩くと着直す。汗と埃と返り血で汚れていたのが幾分かさっぱりした。

 少女は問われるとその手を止めた。しばらく思案する間があって、やがて彼女は口を開いた。

「……あなたがいらっしゃる三日前、同じモルゲンロートの使節団から来たという、あなたよりもずっと年上の男が神殿を訪れました。魔導師風で、二人の若い従者を連れておりました。従者はいずれもあなた位の年齢でしょう。その一行は神官との面会を求めました。きちんとした紹介状も持っておりましたので、私どもは彼らを案内したのです」

 少女のいう話では、この魔導師に会った直後から神官の様子が変わり、神殿に訪れるモルゲンロートのものは偽物なので捕えるようにと命じたという。その偽物は、東国の地で罪を犯した罪人であり、汚れているのでこの聖都で処罰して欲しいという話だった。

 魔導師はその後も神殿に居座り、歓迎を受けていたと言うことだが、昨晩、謎の悲鳴が聞こえたのを機に神官共々姿を消した。それで、囚われた男が罪人と思えなかった彼女は青年を連れ出すことにした。そこまでは計画通りであったが、謎の化け物の襲撃に遭ってずっと走ってくることになったのだと語った。

(……魔導師か)

 彼女の告げた魔導師には思い当たる節はあった。尋問されていたときに与えられた情報からでは全く見当がつかなかったが、二人の若い従者を連れた魔導師であれば、実は心当たりがある。

(だが、なんで俺の知っているのとは違うんだ?)

 彼女が言う特徴と青年の知っているその人物の特徴では、明らかに違う点がある。少女の言っていることが正しいのならば、何故わざわざそんなことをしたのだろうか。

 青年は疑問に思いながらも立ち上がる。あまり長居をして入られない。

「そろそろ移動しないか? 充分休憩もとったことだし、ここも危ない」

「そうですね」

 杖を使いながらも、よろよろと少女は立ち上がった。

「道はご案内します。ついてきて下さい」

 荷物を肩に掛けると歩き出す。青年の前を過ぎたところで、彼は思いきった行動に出た。

「ひゃっ」

 少女は短い悲鳴のようなものを上げる。

「そんなんじゃ足手まといだ。俺にしがみついていろ」

 少女を抱えた青年は短く告げると、有無を言わさずに走り出す。

「ほら、案内しろ」

「この水の流れる方に向かって下さい。水路伝いに進めば地上に出られます」

「了解」

 腕を男の首にしっかりと巻き付け、落ちぬように掴まる。賢明な判断だといえよう。

(とにかく、彼女を巻き込むわけにはいかないな。あいつらに見つかる前に、彼女は逃がさないと)

 青年は少女の指示に従ってひたすら駆けた。


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