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龍神たちの晩餐  作者: 一花カナウ
第一章 メイズ
3/30

一つ目の封印

 カッカッカッカッ……

 はぁ……はぁ……はぁ……うっ!

 少女は小石に躓き、そのまま勢い良く転んだ。杖を持った右腕を下にして倒れる。青年はすぐに寄ってしゃがみ、少女の様子を見た。

「大丈夫か?」

 少女は首を縦にわずかに振って立ち上がろうとする。しかし消耗が激しかったからだろう、身体が言うことをきかないらしく、上半身を起こすだけがやっとの様だった。呼吸が速く苦しそうである。

「少しは休め。まだ時間はいくらでも稼げる」

 小声で、響かぬように少女の耳元で囁く。彼女は首を横に振った。声を出すこともできないようだ。

「わかってないな。何のために逃げてきたんだ? 何のための犠牲だ?」

 動きの制限された腕で、なんとか彼女を支えると壁にもたれさせる。少女の頬は赤く、息も熱い。強い意志を秘めた瞳も今はとろんとしている。

「なぁ、君に体力が残っていないのはわかるんだが、頼みがある。この呪符を解いてはくれないか?」

 この呪符がどんなものなのかは分かっていた。神にその身を捧げた者が流した血で作った強力な魔法封じ。同じ神に身を捧げた者のみが解くことを許されている。それ以外の者が手を出した場合、解く側と解かれる側の魂が奪われる、何とも厄介な代物だ。

 期待して告げた青年の台詞に、しかし少女は静かに首を横に振る。

「何故だ? 俺は嘘をつかない。君を見殺しにしたりしない。絶対に逃げない。君を安全な場所に連れていくことを約束する。だから――」

 少女は再度首を横に振った。ほんのわずかしか動かさなかったが、それでも彼女は意志を変えるつもりはないようだ。思うようにならず、青年は舌打ちをした。

「緊急事態だ、それくらいは分かるだろう?!」

 思わず声に力が入る。

 遠くで通路の崩壊する音。がらがらと崩れていく音がこだまする。さらに接近しているようだ。

 青年は来た道を凝視し、まだ影の見えないことを確認すると少女を見やる。まだ呼吸は荒く、疲労の色を隠せない。全速力で走りながらも、高位呪文を唱えてきたのだ。平気であるはずがない。

(まさか……)

 ある一つの結論にたどり着き、青年の思考が急速に冷えていく。冷や汗が流れていた。

「……おい……ひょっとして、この呪符を解くことが……できないのか……?」

 少女は答えない。何も反応を返さず、じっと彼の瞳を見ている。

「……そう……なのか」

 青年は少女の沈黙を肯定ととった。

 どっと疲労が表面に出てきた。ろくな食事も無しに耐えてきた一ヶ月。運動らしいこともしてこなかったのに、急にこんなに走ったりしたら身体がおかしくなっても仕方がない。

(なんてこった)

 化け物の雄叫びが響いてくる。距離は全く分からないが、確実に近くまで迫っている。逃げる場所はこのまま真っ直ぐに行くほかにはない。地上に出るための梯子もなく、横に抜け道もない。天井までは青年が跳べば手が届くくらいの高さだ。あの化け物は垂直に立つとこの天井に頭をぶつけるらしい。それで時々天井が落ちる音がするらしかった。

 青年の息はもう完全に正常だったが、脈は緊張もあって依然速いままだ。

「……君はこれでいいのか? まだ生き延びる術はあるだろう?」

 つい責めるような言い方になってしまう。少女に非はない。それを分かっていてきつい言い方をしてしまう自分を青年は恨んだ。

「……あ……う……」

 少女の口から漏れた声は、言葉として認識するには弱いものだ。汗で髪が頬にへばりついている。

「なんだ?」

 耳を彼女の口元に近づける。彼女は呼吸の合間を縫って片言ながら懸命に言葉を紡ぐ。

「……して……、……れば、………る、……かも」

 彼女はそこまで答えると咳き込む。離れた青年は彼女の持ち物であった袋を探る。中には一冊の分厚い本と、羊皮紙、筆記具。羊皮紙には血で魔法陣が描かれている。それは途中のようだ。

 視線を少女に向けて驚いた。血が彼女の唇から流れている。さっきの咳で吐き出したらしい。

「おい、しっかりしろ!」

 青年は少女の肩を抱き起こす。彼女はわずかに笑んだ。そして、左の指先で吐いたばかりの血に触れると、その手を彼の首に当てた。

 じゅうっ……。

 何かが焼き切れる音がする。ぱらぱらと服の上に落ちたのは、首に巻かれていた呪符だった。

(これは……)

 それを見た少女はほっとするかのような優しい目で戸惑う青年を見つめると、そのまま閉じた。たまりにたまった疲労で気を失ったようだ。

「……ありがとな」

 少女をその場に寝かせると、青年は彼女の持っていた杖を拾い上げ立ち上がる。

 土埃が蝋燭の火で揺れている。わずかに左に湾曲した通路の先に、化け物がすぐそこまでやって来ているらしかった。

 殺気と強い魔力で肌がぴりぴりと痛む。こんな経験は初めてだ。

 青年は息を整え、呪文の詠唱に入る。首に巻かれた呪符がなくなったことで、声のみで発動する術は使えるようになった。とはいえ、こんな中途半端な状態ではどんな返しが自分に降りかかるのかは分からない。少女の持っていた杖が媒体となって幾分か術の強度を増すことができるのではと期待して構え、化け物が現れるのを待つ。

 やがて化け物の姿が露わになった。角が頭から、ちょうど額とこめかみから三本立っている。顔は人間のものに似ていており、目は白目をむいていた。尖った牙が上と下から生えているのが見える。二足歩行で、背丈はこの地下通路の天井より高いくらい。全身毛もくじゃらで、手も足も爪が鋭く伸びている。体格は横も縦ほどでないにしろそれなりにあり、重量感がある。赤く濡れているのは人間の血であろう。白い、高価なマントを纏っている。そのマントも返り血がべっとりと付着し、ところどころ切り裂かれ、原形をとどめていない。

 動きは緩慢としているが、疲れていたり、体力が減っていたりするような様子は微塵もない。怪我を負ってはいるようだが、かすり傷程度のものなのだろう。これからの戦闘には支障がなさそうだ。

 化け物がこちらに気付き、進路と攻撃対象を絞ったその瞬間を狙って術は放たれた。

「フレア・ストーク!」

 蝋燭の炎が術者の構えた杖に収束し、肥大化すると目標物に向けて加速しながら直進する。大人が手を広げたほどの球状の炎は床を転がるように進み、化け物とその周辺を包む。

「ブレイク!」

 とんっと、杖を地面に突き刺すと、火の玉は四散し、爆発を起こす。

 衝撃波が彼らにも襲いかかる。青年は素早く少女に駆け寄り護った。

 ガラガラガラ……。

 音を立てて天井が崩れ出す。側面の壁もかなりの衝撃を受けたらしく土埃を上げて、化け物の姿を隠した。

 青年は荷物を手早くまとめると不自由な手で少女を抱えて走り出す。今までほど速度は出ないが、少しでも逃げておく必要がある。力を振り絞って先へ先へと進んだ。

(まだ殺気は残っている。あれくらいの術でどうにかなるようなら、ともに逃げてきた兵士だけで十分倒せるはずだからな)

 水の音が聞こえる通路の先へ、青年はできる限りの力を振り絞って急いだ。


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