施設内散策
ルルディに引っ張られて歩いていく岩壁の廊下。二つの足音が静かに響く。
等間隔に置かれた松明の炎が揺れる中を抜けると、やがて強烈な光が照らす場所にたどり着いた。
「ほわわぁっ……」
ルルディが天を見上げて、惚けた声を出した。
「すごいな、これは……」
ヘイゼルも同様に天を見上げ、思わず感想を漏らした。
(沙漠の中とは思えない光景だ……)
大きな葉が天井を作っている。その間を陽の光が抜けてくるらしい。風が抜けるようにもなっているようで、葉が揺れると影も動いて木漏れ日が美しい。葉の向こうには薄い硝子質の天井があるらしく、それを支える骨組みが葉が動くたびに見えた。
視線を移せば、赤や黄などの原色に近い大きな花が咲き乱れ、極彩色の鳥がその間を飛び回っている様が映る。地面に目を向ければ短い草が生い茂って絨毯のように広がっている。丸々としていて可愛らしい小型の動物がその草をむしゃむしゃと食べているのが目に入った。
「なるほどなるほどぉ。食料の調達、どうしてるんだろうって思ったらこういうことだったんですね、ヘイゼルさん」
とことこと小走りで真ん丸に膨れた小動物を捕まえて抱き締めながら、ルルディはヘイゼルに声をかけた。
「そのようだな。――この辺りに泉があるのか? それとも、魔法で維持しているか」
「魔力の気配はあんまりないんで、水は自然に湧いているものだと思いますよ」
ルルディの言うとおり、魔力の気配はなくてとても澄んでいる。空気が美味しい。
「溜まりやすい地形なのかもな。ここの施設、地下水が流れていた後を利用している節があるし。地盤もしっかりしているから、集まってくるのかもしれない」
通ってきた廊下の様子を思い出し、ヘイゼルは自分の意見を訂正する。
「この子達、飼われているんですかね?」
毛の短い肥えた腹部をわさわさと撫で回しながらルルディが笑顔で問う。捕まえられた上に撫でられまくった小動物は最初こそバタバタともがいていたが、そのうち諦めたらしくされるがままになっていた。
「どうだろうか。世話をしているようには思えないんだが」
「じゃあ放し飼いですかね? あぁっもふもふして気持ちいですぅ」
すりすりと頬を寄せると、くぅぅっ小動物は声を上げた。心地よいらしく、くりくりっとした円らな瞳を細めた。
「そもそも、ここに俺たち以外の人間がいるのかどうかってことだな。アスファル王子は人形だし、あの召使いたちも人形だって言っていたよな?」
「えぇ、そうですね。傀儡魔術って言うんでしたっけ。面白い魔術ですよね」
二人の少女の召使いにも人間の精気を感じなかったので食事のときにそれとなく訊ねたところ、アスファルは魔法で動かしているのだと種明かしをしてくれたのだった。
「書物では知っていたが、目の前で見たのは初めてだ。人形自体もよくできているから、遠目には生きている人間と区別がつかない」
「サッバール家は傀儡魔術に長けた家柄で、兵を人形で補っていたそうですよ」
「兵を? ――ってか、いつそんな話をしたんだ?」
「衣裳合わせをしているときに、召使いのナフセィから」
意外だった。ここまで彼女が社交性に富んでいるとは思っていなかったのだ。
「あの召使いたちもいろいろ聞き出せるのか」
目をぱちくりさせて言うと、ルルディはわずかに首をかしげて見つめ返してくる。
「二人とも、ものすごくアスファルさんのことを好いていらっしゃるようでしたし、それにちょっと劣るくらいでヘイゼルさんに興味があるようですよ。あんまり話し掛けてくれないってつまらなそうにしてましたが」
(二人とも、ね)
ルルディが人形たちのことを二人と表現するのを興味深く感じながら、ヘイゼルは反れ始めていた話を戻す。
「ふぅん。――となると、本当に俺たちしかここにはいないのかもしれないな」
生きている人間に久し振りに出会えて喜んでいるのだ――そう判断しての台詞に、ルルディは納得できないような表情を浮かべて口を開く。
「わかりませんよ? アスファルさんみたいに、どこかで眠りについているのかもしれないじゃないですか」
「王国が一晩で消えたんだぞ? 国を形成できるくらいには住人がいたはずなんだ。なのに、国が消えた前後で人間の移動があったとは伝えられていない。それだけの人間を生かしたまま眠らせておくだなんて、それこそとんでもない力が必要だ。君が青龍祭で舞ったあの結界を生むための魔力なんかよりもずっと莫大な魔力がかかる。そんな非効率なことを選択するだろうか?」
ルルディはそれなりに論理的な思考ができる娘だ。好奇心旺盛な性格と興味に対する集中でどこかずれた言動をするところがあったり、感情移入のし過ぎで情緒不安定になる節があったりするものの、落ち着いているときの彼女は概ねヘイゼルと思考が近い。きちんと説明すれば理解できるだろうと考えて伝えると、ルルディは真面目な顔をして突拍子もないことを告げた。
「じゃあ、国民も人形だった、とか?」
「それはとんでもない発想だな」
馬鹿にされたと怒られない程度にくすっと小さく笑い、ヘイゼルは続ける。
「――だが、人間はある程度いたとは推測できる。カフラマーンを抜けるための中継地として発展してきた国でもあるんだからな。文献もそろっているから間違いない」
そう説明してやると、ルルディは困った顔をした。そろそろ何も思いつかなくなってきたのだろう。
「むむ……本当にどこに消えてしまったんですかね……」
「それがどうにも引っかかるんだ」
国民も人形だった――この意見をさっきの説明で完全に否定できるとは思えなかった。
国を維持できるだけの人口が徐々に減り、それを人形で補っていたと考えてもおかしくはない。死ぬかもしれない兵隊を人形でまかなっていたのが本当なら、国民に優しい王様の逸話としての面とは別の意味合いを持つことになる。
「あっ……」
ずっと抱き締めたままになっていた小動物が、ルルディの腕の中からするりと抜けて茂みに隠れてしまった。ルルディは慌てて身体を起こし、そのあとを追いかける。
「ちょっ……、おい、ルルディ?」
引きとめようと手を伸ばしたヘイゼルに、ルルディはちらりと顔を向けて笑顔を作った。
「どこに行くのか気になりませんか? あたし、ちょっと見てきます!」
ひょいっと茂みを越えてしまう。踊り子であるだけにとても身軽だ。
(――って、見送ってる場合じゃないぞ)
茂った木々は見通しが悪い。ちらちらと見えていた青い髪がどんどんと遠くに離れていく。
「こらっ! 勝手な行動するなっ!」
ヘイゼルは見失うまいとルルディの後を追う。危険性があるとはそれほど感じられなかったが、分かれてしまうのはあまり良いようには思えなかった。
茂る草や木々の間を掻き分けたり飛び越えたりして、慎重に青い髪を目印に追う。
「あれ? ヘイゼルさんも来ちゃったんですか?」
自分を追ってくるがさがさと言う音に気付いたのだろう。ルルディが一瞬振り向いて、問い掛けてきた。
「単独行動は禁止だ。とにかく止まれ」
「え、でも、あのもふもふさん見失っちゃう……」
「小動物を追いかけている場合か? 俺たちはやるべきことが――」
「はひゃっ!?」
がこんっ!
「うおあっ!?」
ざざざざ……。
何が起こったのか、ヘイゼルは瞬時に理解できなかった。視界が暗転し、姿勢を維持できなくなる。傾斜した崖を滑り降りているらしい。
「スパク・ニット・フラ!」
途中の呪文詠唱や動作を端折り、光を生み出す魔法を放つ。目に入ってきた情報はとても少なかった。ここがせいぜい人間が二人が並べるかどうかという幅の狭い穴であること、そしてこの先がどうなっているのかは狭さと暗さで判断できないということ――その程度しかわからない。
(くそっ、飛翔系の呪文で脱出するか? だがその前に、ルルディを掴まえないと――)
体勢を整えられるような広さはない。下にルルディが同じように滑り落ちているらしいということだけは、彼女の青い髪が見えるからわかった。
「はぅあっ!」
ぽんっと放り出され、ルルディはくるっと回転して着地し、ヘイゼルもまた機敏な動きで地面に着地した。
「ルルディ、怪我はないか?」
ヘイゼルが生み出した魔法の光が室内を仄かに照らす。
「はい。あたしは大丈夫です」
「なら良かった。――だがな、考え無しに動くのはやめてくれ。いくらこの施設内が安全に見えていたとしても、油断は禁物だからな。俺の目が、いや、せめて俺の意識が届くところにいてくれ」
「うぅ……すみません……」
恐縮して俯くルルディの頭をヘイゼルはぽんぽんっと優しく叩く。
「怒っているんじゃない。頼んでいるだけだ」
「うぅ……でも、ヘイゼルさん、顔が怖いです……」
「次から気をつけてくれればそれでいい」
言って、ヘイゼルは大きなため息をつく。先が思いやられると感じていた。
(今までの単独行動とは勝手が違うな……やりにくくてしょうがない)
そう思いつつも、だからといってルルディを見捨てるようなことは想像しなかった。
(護ると言ったわけじゃないが、誘ったのは俺だからな。その責任は取らないと)
気を取り直し、ヘイゼルは辺りを見回す。
土壁の広い通路だ。明かりはなく、彼らが来た穴の左右に道が続いている。見通すことはできない。どこに繋がっているのかも不明だ。
「ここはどこなんだ?」
「地下みたいですけどね」
左右を見て、ルルディは顔を上げて天井を見る。背の高い天井で、大人二人分を縦につないでもまだ足りないくらいの高さはありそうだ。横幅も同じくらいあった。
「そりゃそうだろ。これで地上に出ていたらとても不思議だ」
「出られますかね?」
地響きのような音が聞こえ、穴から小石がパラパラと出てくる。
「どうもその穴はしまってしまったみたいだがな」
冷静に状況を指摘すると、ルルディは自分の頭を抱えて小さく縮こまった。
「うぅ……すみません……」
「とにかく、出口を探しに歩くか。アスファル王子かこの施設の住人に会えればありがたいがな」
やれやれと頭を掻きながらヘイゼルは告げて歩き出す。ルルディも慌てたように立ち上がり、後を追う。
(しっかし、ここは何のための通路なんだ? 人間が通るためにしては道幅もやたら広いし。まるで乗り物や兵器のための道みたいだ)
足元をよく見れば、車輪が通った後と思われる窪みが残っている。それは奥にずっと続いていた。
「あの、ヘイゼルさん?」
黙っていることに飽きてきたのだろう。ルルディが恐る恐るといった様子で声を掛けてきた。
「なんだ?」
声がどことなく冷たい気がした。苛立っているのだろうか。ヘイゼルは自分がそんな声で問い返したのを少々嫌な気持ちになった。
「え、あ、やっぱりいいです……」
「いーよ。話せよ。そしたら気分が紛れる」
「やっぱり怒っているじゃないですか」
「怒ってない」
「怒ってますよ。――あたし、ちゃんとヘイゼルさんの言うことを聞きます。約束します。ね、ですから機嫌を直してください」
「それで直るなら、とっくに直ってるさ」
「じゃあ、なんで怒っているんですか?」
「だから怒ってないって――はぁ……」
話がちっとも進まないことに気付き、ヘイゼルはため息をついた。
「ルルディ、君が聞きたかったのは俺の機嫌だけか?」
「あ、いえ。違います」
ヘイゼルが見やると、ルルディは首を大きく横に振った。さらさらの長い髪が揺れる。
「じゃあ、なんだ?」
「黄の竜の祭りが、どんなものだったのかなと思いまして。祭りの期間なんですよね? やっぱり、祭壇があって、そこで何か儀式をしていたんでしょうか?」
後ろを歩いていたルルディが隣に並び、ヘイゼルの顔を覗き込む。
「ここの祭りは砂の祭りだと聞いている。棺のように囲まれた場所で、飲まず喰わずで祈りを捧げるんだったっけな」
そう答えて、ヘイゼルはアスファルが告げていたことを思い出す。
(――本体は地下深くで眠っている……)
視線を道の奥に向ける。この先に眠っているのかもしれない。
「どうかしましたか?」
ヘイゼルが黙ってしまったのでルルディが不思議がる。
「アスファル王子の本体は地下深くで眠っているんだっておっしゃっていたからな。ひょっとしたら近いかもと思ったんだよ」
「おおっ! ならば、掘り出して動けるようにすれば一緒に行動できますよね?」
「掘り出すってな……」
埋まっていると限ったわけではないが、その発想にヘイゼルは呆れ口調で返す。
「眠りの原因を解決して、一緒に来てもらいましょう! 人が増えるとにぎやかで良いですよね」
ルルディが心からそう思い楽しみにしているのは彼女の足取りから伝わってきた。アスファルを仲間に加えるのを望んでいるのだろう。
「アスファル王子を好いているみたいだな」
何気なく告げる。その台詞に、ルルディは怪訝な顔をした。
「なんか嫌な言い方ですね」
「なんでだ?」
彼女の足音が瞬時に不機嫌になる。
「アスファルさんは良い人です。一緒にいても怖くないですし、親切です」
「あぁ、それはわかってる。俺も同意見だ」
それ故に、ルルディが少し膨れている理由がわからない。
「だから、それだけですよ? 仲間として、一緒にいたいと思えるだけです」
「ん? 強調しなくても、それは理解しているつもりだが」
「なら、いいんですけど」
「けど、なんだ?」
「もういいです」
「?」
ヘイゼルはルルディの顔色を窺うが、彼女はぷいっと横を向いてしまった。
(言っている意味がわからん……)
しばらく黙ったまま、二つの足音が通路を響かせる。
先に沈黙を破ったのは、意外にもルルディのほうだった。何かを察知したらしく、ヘイゼルの服の裾をぎゅっと握って立ち止まり、彼を見上げた。
「ヘイゼルさん……」
「わかってる」
小声でぼそりと告げるルルディに、ヘイゼルも頷きながら小さな声で応じる。
彼女の身体が小さく震えている理由はヘイゼルにもすぐわかった。ヘイゼルも立ち止まり、奥に漂うおぞましい気配に意識を向ける。
魔術的な力だ。脈打つように強弱があり、来る者を拒むかのような、あるいは嘲り挑発しているかのような、そんな奇妙な感情を抱かせる。
(この気配……魔物よりも高度な知性を持つ者みたいだな。血縁者、か?)
ローゼやミステルのような血縁者たちの気配に似ているとヘイゼルは思った。
「あたしたちのせいですかね……?」
裾を握り締めた小さな手が震えたままで、ルルディは問う。
「え?」
「あたしが出すぎた真似をしたから、この場所が黒の龍たちに知られちゃって……」
「責任感じてたのか。気にすることなんかない。君だけの責任じゃないんだから」
しゅんとするルルディの頭を撫でて落ち着かせようと努める。こんな精神状態では襲われたときに出遅れてしまう。
「でもあたしの力じゃ、護ることができないから……」
「案ずるな。ルルディ一人でどうにもならなくても、俺がどうにかしてやるって」
「それじゃいけないんですっ! あたし、ヘイゼルさんに迷惑をかけたくないっ!」
小声ながらも力強い返答に、ヘイゼルは正直驚いた。
「別に俺は迷惑だなんて思わないさ」
「義務であたしをかばってほしくもありませんっ」
「俺は俺の勝手でやってるんだ。気にせず甘えておけって」
「だからそれじゃあたしの気が――」
反論しようとすぐに返してくるルルディの台詞を遮り、ヘイゼルは彼女の顔を覗き込むようにして台詞を告げた。
「きっと君はすぐに俺を追い抜く。だから今は、俺に良い格好をさせてくれよ」
こんな台詞でルルディの落ち着きを取り戻せるなんて考えてなかった。ただの本音。それでも伝えたかった。彼女が本気でぶつかってくるのなら、ちゃんと応えてやりたいと思ったのだ。
「ヘイゼルさん……」
「それに、男が女の子を護って何が悪いんだ? 物語の主人公ってのはそういうもんだろうが。君だって、そういう本は読んでいたんじゃないのか?」
「読んではいましたけど……」
「俺は君をか弱いとは思っちゃいないぞ。頼れる仲間だと思っている。だから卑屈になるな。自信を持て」
「……はい」
こくりと頷くその瞳にはちゃんと力が宿っていて、不安な様子は感じられなかった。震えも止まっている。
「もう大丈夫みたいだな」
よしよしと頭を撫でてやり、そっと握られていた裾から手を外す。
「――俺はこのまま先に進もうと思ってる。確かめたいことがあるからな。だが、ルルディがこの先には行きたくないと言えば、引き返すことも考えなくもない。どうする?」
「行き……行きますっ! ヘイゼルさんと一緒に」
「よし」
ルルディの顔を見て、この子は大丈夫だとヘイゼルは自信を持った。
「行くぞ」
踏み出したヘイゼルにルルディは歩調を合わせてついてくる。しっかりとした足取りで。
(確かめておかねば。この先にいるものの正体はひょっとしたら……)