夕暮れの渓谷
すべてが片付いて、取られていた装備を回収するとヘイゼルは祭壇に戻った。沈み始めた夕陽に染められて、青の竜の像が赤く照らされている。
視線を壁のようにそびえる崖の方に向ければ、小さな影がちょこんと腰を下ろしていた。血に染まった上着を羽織り、膝を抱えている。青い髪が風に乗ってふわふわと揺れた。ルルディは髪を押さえると顔を上げる。
「――これで良かったのか?」
納得がいかない気持ちが滲む声。少女の決断がヘイゼルにとって意外なものだったからだ。
「えぇ。だって、あたしが町に戻ったりしたら、困ることになるでしょ? 生け贄は、龍神様に捧げられるためにあるんですから」
ルルディは微笑んだ。後ろ髪を引かれるような様子は微塵もない。
(この子は強いな……)
鎮魂と浄化の舞を踊りきったとき、魔物は一掃されてその気配も感じられなくなっていた。正常に魔術が発動したのだ。ほっとするヘイゼルに、無事にやり遂げたことを自覚したらしい彼女はこんなこと頼んだのだった。『無事に舞を踊りきり、生け贄としての最期を全うしたと神殿に伝えてください』と。
ヘイゼルはルルディの頼みをすぐに引き受けなかった。生け贄になりたくないと言って激昂した理由が、この町で生活を続けたいと願ったからだと思っていたからだ。またあのときのように自分の気持ちを押し殺して、そんなことを告げているのではないか――しかし、ヘイゼルの拒否に対し、ルルディは続けた。
『このまま生き残ったとなればこの町の人が不安がります。たとえ生け贄の儀式がヘイゼルさんのおっしゃるように間違った解釈の元で行われてきたことだとしても、これまでの慣習とは異なることを彼らは良しとはしないでしょう。そうなれば、家族のみんなに迷惑がかかってしまう――。あたしの家は生け贄を輩出する家系。生け贄として死ぬことがわかっていた以上、別れはきちんと済ませてありますし、家族のみんなも覚悟できています。この町にもう未練はありません』
よく考えた結論なのか――その問いに少女は決意を固めた目で頷き、儀式を終えた証拠として血液のついた羽衣を手渡してきたのだった。
「――その様子ですと、話はうまく通ったみたいですね」
ルルディはよいせと立ち上がる。舞での疲労で多少ふらつくようだが、動けないわけではないらしい。
「混乱に乗じて誤魔化してきたような形になっちまったがな」
答えて、ヘイゼルは肩を竦める。
町のほうの被害は少なかったが、神殿周辺に来ていた見物客には怪我人が多数出ていた。事情を説明するまでは怪我人の治療に走り回り、同じように処置や処理に追われていた神殿の関係者や祭りを取り仕切っていた人間との話は充分にできなかったのが現状だ。
それでも、ルルディの最期を看取ったことは情報として伝わり、仮処分の位置づけで荷物も返してもらうことができたのだった。忙しい最中、議長とも会うことができ、任務が終わったことは告げてある。神殿でヘイゼルがやらかした事を聞いていたからなのか、特に引き止められるようなこともなかった。
「――さて、ルルディ。君はこれからどうするんだ?」
「そうですね……」
そう告げると、少女は何かを想像したらしい。首をぶるぶると振って、必死に忘れようとしている。
「……どうした?」
ルルディの奇妙な行動にヘイゼルは眉間にしわを寄せて訝しがる。問われて、ルルディは陽に染められるよりもより赤く頬を紅潮させた。
「い、いえ……その……」
言い淀み、顔を俯かせてしまう。しかしすぐに顔を上げてルルディは続けた。
「……あたし、龍の伝説を追って町を出た兄に会いたいんです。生け贄として死ぬのを避ける方法を求めて旅をしているはずで……できるなら、あたしが生きていることを、生け贄の儀式の本当の意味を伝えて安心させてやりたいんです」
「なるほどな」
少女の願いはとてもすんなりと納得のいくものだった。町を捨てても生き残っていたいと思った理由は、彼女の兄の存在によるものだったのだ。
「それは素敵な目的だ」
ルルディの思いにはずみをつけてやるために、ヘイゼルはうんうんと頷く。
(兄貴に会いたいという思いが、死にかけたルルディを救ったわけだし)
だがルルディは表情を硬くした。俯いて血で染まったままの上着の裾をぎゅっと握る。
「で、でも……今のあたし、お金も持っていないし、服だってこんな有様で……町に顔を出すわけにも行きませんし……どうしたら……」
ルルディの服を掴む手が細かく震えている。悔しいのか恥じているのか、顔を赤くして今にも泣きそうな雰囲気だ。
「――そうだな。まずは着替えるか」
ヘイゼルは荷物をまとめていた袋から一着の服を取り出し、少女に差し出す。
「……はい?」
涙を瞳にいっぱい溜めた顔を上げると、ルルディはヘイゼルが差し出したものに目を向けた。
「後ろ向いていてやるから、とりあえずそれを着ておけ。着替え終わったら、行くぞ」
手の甲で目をこすると、ルルディは服を受け取って拡げた。ヘイゼルが手渡したのは、彼女の背丈なら膝が隠れるくらいの長さになる一着の裾の長い上着だった。
受け取ったのを確認すると、ヘイゼルはすぐに背を向ける。
「え、あのっ……行くって、どこへ?」
驚き隠せないルルディの声。衣擦れの音や彼女のつけている腕輪の音がするので、急いで着替えているらしいことが背中越しでもわかってしまう。
ヘイゼルはそんな彼女の様子に心を和ませながら問いに答えた。
「俺と一緒に来いよ。君一人で黒の龍と対峙する自信があるなら、無理には言わないけど」
ルルディの気持ちがザフィリにあるならと思い黙っていた台詞。彼女の本心を知った今なら言える。
(ま、おそらくこのザフィリに残っていれば、黒の龍の脅威からは隠れて生き延びることはできるんだろうけど)
そうと考えながらもこんな台詞を言うなんて卑怯だなとヘイゼルは思う。牢屋での会話でルルディが黒の龍を恐れているのを知っていたからこその台詞だ。
「で、でも……」
誘いの言葉に、ルルディは戸惑うように声を漏らす。
(この程度じゃ即決できないか)
彼女が迷い困ることは目に見えていた。出会ってから三日ほどしか経っていない男に、いきなり一緒に来いと告げられても即答できないものだろう。
そこでヘイゼルはルルディの背中を押すつもりでさらに続けた。
「仕事で他の龍の祭りを訪ねて回らなきゃいけないが、君の兄貴を探す手伝いをするくらいの余裕はあるんだ。――どうする?」
わずかの間。
(大丈夫)
自信があった。ルルディはついてきてくれる。
背中に何かがぶつかる感触があった。カランカランという音が響く。ルルディが抱きついてきたのだ。
「つ、ついていきます! ってか、お供させてください! 足手まといにならないよう、精一杯頑張りますからっ!」
ルルディが大声で宣言すると、ヘイゼルはくるりと向きを変える。
「よーし。そうと決まれば、どこか水浴びができそうな場所で血を洗い落として、それから宿探しだな」
言ってにこやかに笑むと、ルルディを抱き上げた。小柄な身体はとても軽い。
「はひゃっ!?」
「しっかり掴まっておけ。隣町まで魔法を使って飛んで行くから。野宿は嫌だろ?」
太陽は沈み始めている。ザフィリから離れた町で宿をとるためには魔法を使用して移動時間の短縮を図るしかない。贅沢な魔法の使い方だが、ザフィリを守るために頑張ったルルディへのご褒美だ。
「は、はいっ!」
少女の細い手がヘイゼルの首に回る。ルルディの視線に気付いて目をやると、彼女は素早く首元に顔を埋めてしまった。
(なんだ? その反応……?)
今ひとつわかりかねる。しかしこだわっている時間はない。ヘイゼルは呪文を唱えた。
「――エア・ラウド・フロウ!」
魔法が展開し、空中に浮かび上がる身体。赤く染まる渓谷を小さな影が舞ったのだった。
以上で第二章ダンス:断崖都市ザフィリ編完結です。
ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。
さらに第三章、第四章と続きます。
また、第二章ダンスはルルディ視点からの「龍神たちの晩餐 ~青の龍の物語~」http://ncode.syosetu.com/n4229t/ も用意いたしました。
興味のある方はそちらも是非ご覧くださいませ。
では、よろしければどうぞ今後もご贔屓に。