鎮魂と浄化の舞
近くの岩場に、ルルディの身体を横たえる。傷口が広がらないように彼女を突き刺した岩を砕き、その状態のまま移動してきた。黒い影たちの攻撃はここには届かないらしく、時折小さな岩の欠片が降ってくるが、邪魔になるほどではない。
(脈がない……衝撃で止まってしまったか)
少女の首筋に手を当て、脈を確認するが読み取れない。大人の腕ほどの太さの岩が左の脇腹を貫いているが、その位置なら心臓は無事だ。
(頭を打っていないのは幸いか……)
しかし出血がひどい。少女が羽織っていた上着は切り裂かれている上に赤く染まっている。
(これで乗り切れるなら青の龍神には会えているだろうがな……緑の龍のときと違って、回復系の道具が手元に一切ねぇ。俺の力だけで、ルルディを呼び戻せるか……?)
嫌な汗が噴き出し、ヘイゼルは額を拭う。
「とにかく、俺がやるしかねぇんだ。しっかりしろ、ヘイゼル」
自分の頬を両手でパシンと叩くと、意識を集中させる。
ふだん以上に丁寧に印を結び、その手をルルディの胴を串刺しにしている岩に当てる。そして魔法を発動させた。
「ジオ・ラウド・デゾルヴ」
ヘイゼルの力強い声に応じるかのように岩にひびが入り砂に変わる。これは岩石などを掘削するときに使う魔法だ。爆発させるなどして砕くのではなく、岩同士がくっつこうとする力を断って分解するのだ。
魔法の効果が岩に及んでいるのを確認すると、瞬時に印を結び、次の魔法に取り掛かる。一刻も争う事態に、ヘイゼルの額に汗が浮かんだ。
「クティス・サナーレ」
連続して流れるように印を組む。
「オス・エロシオ・プログレ」
止血するために裂けた皮膚の修復を行い、続いて骨折した箇所の成長を促す魔法を発動させる。これで岩が完全に取り除かれたあとの出血は最小限に抑えられたはずだ。
(この状態なら、呼び戻せるか)
少女の手を握り、両目を閉じる。
より深く息を吸い、吐き出された音は静かな歌。風の囁きのように穏やかな声は、祈りを捧げる呪文を口ずさむ。
壊れ物を扱うように言の葉をなぞると、少女を包むように蒼い光が生まれ文字が浮かび上がった。
(そろそろ大丈夫か?)
少女の身体に熱が宿ったのに気付いて、ヘイゼルは目を開ける。ルルディの薄い胸が上下しているのを見て、ほっと胸を撫で下ろした。
「やれやれ……」
蒼い光はルルディの一番傷ついている部分を中心に強く輝いている。龍神の力による超越蘇生が始まったのだ。
(瀕死状態から動けるまで回復するんだから、大したもんだよな)
ヘイゼルが施した魔法などよりもずっと回復が早い。みるみるうちに怪我は癒えていくが、使用される力は魔力と体力の両方だ。回復しきる前に体力が尽きてしまうと肉体的な蘇生はできても意識は戻らない。外部から体力に作用して尽きるのを防ぐ必要がある。
(医療系統はあんまり得意じゃないからな、慎重にいこう)
手で丁寧に動作を確認しながら印を組む。そのとき、ルルディの頭がわずかに動いた。
「……お兄……様」
呻くように漏れるルルディの声。
(お兄様?)
集中が途切れ、意識を青い顔の少女に向ける。
「お兄……様……」
もう一度こぼれ出す言葉。聞き間違いではなさそうだ。
(兄貴がいるのか? その存在が、彼女をこっちに引き止めた……)
そんなことを思うと、ヘイゼルは呪文詠唱の続きを行った。少女の腹部に手を構え、魔法を発動させる。
「サング・プログレ・フォルテ」
造血を促す呪文。傷口が癒えてきたのを見計らって発動させ、血流を促進させる。顔色が徐々に良くなってきた。
「かはっ……」
小さく咳込み、ルルディが目をうっすらと開けた。状況が飲み込めていない様子で惚けた顔をしていたが、視線がヘイゼルの手元から顔に移動して誰がそばにいるのかは認識できたらしい。目をやや大きく開き、驚いている。
「ヘイゼルさん……?」
「よお。気がついたか」
ルルディが急に起き上がろうとするので、ヘイゼルはすぐに彼女を支えるために手を伸ばした。焦らずにはいられない。
「まだ動かない方が良い。傷口が開いちまう」
無茶をしてくれるな、心の中で毒づきながらどこか適当に寄りかかれそうな場所はないか探す。支えがないと、せっかく塞がった傷が悪化してしまう。
「どうして……あなた……」
まだぼんやりとしているようだ。ルルディが手の甲で口元を拭うと、そこに赤い血が付着した。
「――ったく、一つずつ順番に説明してやるから、ちゃんと聞けよ」
そのように前置きを言って、ヘイゼルはルルディを崖にもたせかける。続いて治癒魔法を再び発動させた。魔法を掛けられている間はおとなしくしていてくれるだろう、そう考えて。
「君は魔物に追われて神殿から逃げた。祭壇までの道に出られたまでは良かったが魔物に追いつかれ、結果、崖から落ち、瀕死の重傷を負った。――俺の想定では、魔物の襲撃の前に奉納の舞が終了し、生け贄の儀式へ移行。祭壇から落ちてきた君を俺が拾うという段取りだったんだが、敵の動きの方が見積りより早かったようだな。俺が君を見つけるのが遅かったら、危うく死なせるところだった」
「ヘイゼルさん……なんで魔物がここへ? 今まであたし、魔物に出会ったことなんてなかったんですけど……」
思惑通り、ルルディはおとなしくしてくれた。ヘイゼルはルルディの問いに感心して応じる。
「良い質問だな」
そろそろ体力も強化しておかなくてはならない。意識を取り戻したとはいえ、動けるだけの体力がなければこれから彼女が行わねばならない儀式に影響してしまう。
ヘイゼルは魔法を切り替えるべく、現在の造血用魔法を停止させ、手で素早く印を結んだ。発動させるのは体力の回復を促進させるため、周囲にある生命から少しずつ生命力を奪う魔法。植物も見当たらないような岩場でこの魔法を使ってもあまり効果的ではないが、自分の体力を彼女に分けるつもりならば充分だとヘイゼルは判断したのだった。
魔法の光がルルディを包み始めると、彼女の問いに答える。
「奉納される舞は、鎮魂と浄化の舞だ。それ自体が魔術になっている。十七年に一回というのは、その魔法の効力がその期間まで有効だからだ。だから、青の龍に選ばれた人間は青龍祭で舞を舞わなきゃならないんだ」
このあと彼女にやってもらわねばならないのは、その鎮魂と浄化の舞。こればかりはヘイゼルが代わるわけにはいかない。
「なるほど……それであなた、あたしに舞えとおっしゃったんですね……」
そう言って、ルルディは小さく膨れる。
そんな様子を見て、ヘイゼルは初めて出会ったときのことを思い出した。彼女が嫌がった理由に思い至り、苦笑する。
「まぁ、俺が見てしまったアレが舞の正装なら、女の子として嫌がるのはわからないでもないのだが……舞を踊らなければ、今日みたいに魔物が都市部にまで出没するようになる。よくわかっただろう?」
「あの……今からでも間に合いますか?」
まっすぐに見つめる円らな青い瞳。
(不安はあったが、もう大丈夫そうだな)
ヘイゼルは力強く頷いた。
「そのために俺がいる。ザフィリを守れるのは君だけだ」
「ありがとうございます。まずは――祭壇まで連れて行ってくれませんか?」
「了解」
ヘイゼルは短く答えると、ルルディを軽々と抱きかかえる。祭壇に行くには飛行魔法を使用したほうが早い。
「飛ぶから、しっかり掴まってろ」
「は、はい」
ヘイゼルの台詞に、ルルディは彼の首に手を回す。そしてぴったりとくっついた。呪文の詠唱と丁度合う。
「――エア・ラウド・フロウ!」
魔力の高まり。そしてヘイゼルの魔法が発動した。風の結界が展開し、身体が宙に浮かび上がる。あっという間に上昇した。神殿から祭壇まで延びる道が見えてきて、数を数え切れないほどの魔物がひしめき合っているのを確認する。
「ずいぶんと増えたもんだな……黒の龍の本気を感じさせるぜ」
ヘイゼルは思わず呟く。これほどまでに大量発生しているのは稀なことだ。
飛行位置を修正し、祭壇のある方へと軌道を変える。祭壇はもう目と鼻の先だ。
不思議なことに、祭壇の手前で黒い影の魔物はうごめいていた。何らかの魔術的結界が作用しているようだ。ヘイゼルは祭壇の設けられた広い岩場に着地すると、魔法を解いてルルディを下ろす。
「何か必要なものはあるか?」
龍の形に掘られた岩の舞台に向かうルルディに、ヘイゼルは問い掛ける。
「必要なものはないですけど……終わるまで、こっちを見ないでいてくださいませんか?」
真っ赤に染まっていた上着をするりと落とし、羽衣を羽織る。迷いなく舞の準備を進めるルルディを見て、ヘイゼルは顔を赤くして魔物たちのいる方に目をやった。
「わ、わかった。あの魔物が手を出せないように適当に払っておくよ」
「お願いします」
やがてカランカランと鳴り響く少女の四肢に付けられた環の奏でる金属音。踏み出されるたびに、手が伸ばされるたびに、規則正しくあるいは不規則に音を響かせる。
緩やかな拍子であったのが、音が谷の向かいに反響して重なり合い、いつの間にか複雑な音を奏でる。
次第に舞台となっていた龍の像に青い光が灯り、強度を増していく。
(これが青の竜の力だっていうのか?)
肌がひりひりする。舞台から放たれる魔力に反応しているのだ。
(十七年間も町を守る巨大結界……それができるっつーのもわかるな……)
魔物を適当に払っておくとは言ったが、舞が始まってしまえばヘイゼルにできることはない。なぜなら、魔物たちはどんどんと弱体化し無力化されていっていたからだ。見るなと言われていたが、ヘイゼルの視線は神々しく舞う少女に自然とそそがれていた。
(綺麗だ……俺が知る中で一番……)
あらぶる魂を鎮め、穢れを祓う舞。ひらひらと舞う羽衣に魔力が帯びて、複雑な幾何学模様を生み出す。少女の指先に光が宿り、さらなる文字が重ねられる。
ルルディの祈りが届いたのだろうか。迫ってきていた黒い影の魔物たちが祭壇に近い位置から順番に消滅していく。ぽつり、ぽつりと一つずつ蒸発するかのように消えていったかと思うと、急速にその現象は広まっていった。