龍神の伝説
(はぁ……あんまりこういうことに慣れたくはないんだがなぁ……)
ヘイゼルのついた大きなため息が岩肌の廊下を木霊していく。
ここは神殿のそばにある地下倉庫。かつては龍神に捧げる供物を管理するために使用されていた場所なのだろうとヘイゼルは推察する。岩の台地を削って作ったらしい通路に狭い部屋がいくつも並んでいる。通路と部屋を隔てているのは鉄格子で、風格が出るほどに古めかしい神殿と違ってその鉄格子は真新しく見えた。新調したと言うよりもあとから付け足されたと説明した方が良いと思われるあっさりとした意匠、それが違和感の原因になっているに違いない。
そんな一部屋に連れてこられたヘイゼルは、ぽつんと一人取り残されたように閉じ込められていた。
(しかし、警備してなくていいんかな? 俺を見くびり過ぎじゃねぇの?)
身につけていた魔術道具の一切は没収されてしまっている。モルゲンロートの紋章が入ったマントはどさくさに紛れて少女に持っていかれてしまったが、魔力増幅用の媒体となる耳飾、帽子、手袋、特殊な古代文字によって細かに刺繍された前掛けなどは部屋に入れられる前に外されてしまった。よって、今は手には魔術錠、他は黒っぽい長袖の肌着と足にぴったりとしたズボンといった格好だ。魔術錠で魔法を封じられた状態であるので、これで丸腰ではある。
だがこの程度ならば、ヘイゼルにとって拘束にすらならない。彼の中に眠る膨大な魔力に魔術錠が耐えられるとは思えなかったからだ。ふだんはいろいろな厄介な都合上その出力を抑えているが、一たび本気を出せば町一つ吹き飛ばすくらいの魔法を何十発も撃つことができる。簡素な魔術錠を破ることは、全力の十分の一程度もあれば充分だろう。
(エメロードの呪符ほどの気合いはなくても良いけど、これはあまりにも放漫だろ。逆に切なくなっても来るんだが……)
逃げる気はないといっても、この警備の手薄さや封魔術の貧相な様は掴まってる側でありながら憂えてしまう。エメロードで捕らえられていた時の厳重さと比べたら、天地の差だ。何かあったときに自由にできるのはありがたいが、その喜びと同程度には自尊心を傷つけられていた。
(はっ……まさかそういう精神攻撃の一種かっ!?)
カランカラン……。
「ん?」
どうでもいい突っ込みをしていたヘイゼルの耳に届く聞き覚えのある音。それは次第に大きく、はっきりとしてくる。
(あの子か……?)
すぐに脱出しなくて良かった、そんなことを思う。やがて姿を見せたのは青い髪と青い瞳を持つ小柄な少女だった。
「――やっぱりここに閉じ込められていたのね」
一人のようだ。足音は確かに一つだけであったが、軟禁状態にあると思っていた少女がお供の人間を連れずに現れたのには素直に驚いていた。
「さっきは説得することができなくてごめんなさい」
「それを言いにわざわざ来てくれたのか?」
「違います」
少女は持ってきていた角灯を置くと、その隣に腰を下ろす。格子に寄りかかると、乾いていない髪の一房が部屋に入り込んだ。
(まぁ、謝るためだけに来るわけがない、か)
座り込んでしまった少女に、それがどんな意図を示しているのか知りながらもヘイゼルは話を続ける。
「その様子だと、逃がしてくれるつもりもないようだな」
「えぇ。青龍祭が無事に終えられるよう、この町の人々があなたを閉じ込めておくと決めたのなら、あたしはそれを破ろうとは思いません」
「なるほどね。それはある意味、賢明だ」
さっき見せた涙の理由を思い出し、ヘイゼルは素直に頷く。自分のことよりも周りの人間のことを常に気に掛けているような少女のことだ。その考えは理屈に合っている。
ヘイゼルの反応が予想外だったのだろう。背を向けていた少女は部屋を覗くように身体を捻った。
「……もう少し粘るんじゃないかと思っていたのに、意外だわ」
少女の目には興味津々といった感情が表れている。ヘイゼルは苦笑した。
「君が困るのはわかるからね。無理に頼んだりしないよ」
「ずいぶんと余裕ですね。怖くはないの?」
あまりにも落ち着きを払っていたからだろう。少女の問いにますます苦笑する。
「あいにく、拘束されることには慣れているんで」
「えっと……犯罪者さんなの?」
そう返されると思っておらず、ヘイゼルは小さく肩を竦めて補足する。
「誤解されやすい性格ってだけ。俺は自分に非はないと思っているからさ、相手を信じて静かに待つようにしてる。動けば動くほど、自分が不利になるのを理解しているからね」
なるようにしかならない――基本的にヘイゼルの思考はそういうものだ。拘りのないものに対しての反応が非常に淡白になるのが彼である。自分に対してが一番顕著であり、優先的に大事にしようなどとは思えない。厄介なことを招くのだけは避けたいので、そこは念頭において行動しているつもりだったのだが――その結果がこの有り様だ。
ヘイゼルは嘆息した。
「――そういえば、自己紹介がまだだったな。俺はヘイゼル=ドラッへ=バルト。ユライヒト帝国第一都市モルゲンロートの使節団に所属している。ここへは青龍祭の視察で来たんだ」
話を変えたくて自己紹介を始める。ヘイゼルが説明すると、少女の青い瞳に輝きが増した。
「モルゲンロート? モルゲンロートって、裏切りの黒の龍を封印した場所ですよね?」
「よく知っているな。最近は祭りのことは知っていても、その背景にある伝説を知らない人も多いってのに」
モルゲンロートと聞いて黒の龍の話を真っ先に思い出す人間は珍しい。モルゲンロートは赤の龍の守護地域であり、どちらかというとそちらの方を連想する人のほうが多かった。
伝承ではこの世界を創造した精神の塊が九つの龍となって各地を守護するようになったとされている。各地域で一定の周期で行われる龍の祭りは、世界を創造した九つの龍に対して行われるものだ。
ここまでは一般に知られているお話。しかしその伝承には続きがある。
黒の龍の反乱――人間に愛想を尽かした黒の龍が他の龍に刃向かい、残る八つの龍が応戦。黒の龍を封印するところまでは持ち込めたが、完全にはできなかった。その舞台になったのがモルゲンロートなのだ。
「あたしの家、代々青の龍の生け贄を送り出している家柄なんです。――って、あたしも自己紹介していませんでしたね。あたし、ルルディ=ドラコス=ロトスって言います。……知ってもらったところで、あたしの命、残り三日も無いですけどね」
名乗って、少女――ルルディは自嘲気味に笑う。台詞からもその表情からも諦めの気持ちがにじみ出ている。彼女の言う三日後が青龍祭の最終日であり、舞を踊り生け贄の儀式が執り行われる日なのだ。
自己紹介を聞いて、ヘイゼルは鉄格子に近付くように身を乗り出す。
「やはり君が今期の青の龍の生け贄か。その青い目と髪を見て、もしやと思ったんだが」
「モルゲンロートの使節団にいるだけあって詳しいですね」
感心したように告げるルルディに、ヘイゼルは補足する。
「確かに使節団では勉強したが、この知識は赤の龍から直接もらったものだ」
ルルディがじっと自分を見つめてきた。目を丸くしている。
(あ。驚いているな)
彼女の反応にヘイゼルはほっとする。これで話は最後まで聞いてもらえそうだ。
「……赤の龍から?」
その問いに、ゆっくりと頷いて微笑む。
「え? ど、どういうことですか?!」
少女が身を乗り出してきた。真剣に聞こうという姿勢。ヘイゼルは真面目な顔をして続ける。
「俺は赤の龍の生け贄だったんだ」
「だった……? あ、そっか。生け贄って、二十歳を越えた人間は対象外になるんでしたっけ」
彼女からは二十歳を越えた大人に見えるらしく、実際にヘイゼルは二十歳を少しばかり越えていた。
はっとして告げるルルディにヘイゼルは頷く。
「その通り。俺は聖都市ルビーン出身で、ルビーンにもこのザフィリと同じように龍神に生け贄を捧げる風習が残っている。――ところで、君は知っているか? 二十歳を迎える前の子は龍の力になるが、それを越えるとその力はすべてその子のものとなる。その身を捧げんとするを拒む者は……神殺しとなる、という言い伝えを」
「えぇ。お祖父様から聞いてます」
(代々青の龍の生け贄を送り出している家柄だと言っていたが、それだけあってよく理解しているな)
ヘイゼルはとても感心していた。どこにでもいそうな町娘に見えたので、説明が厄介ではないかと覚悟していたのだ。
頷く少女に、ヘイゼルは続ける。
「しかし、本当は違うんだ。伝説は人間たちに意図的に歪められたものなんだよ。真実はこうだ。――龍の手から二十歳になるまで逃れ続けた者は、龍を地上に降ろす力を得ることができる。つまり、龍神がこの世を偵察するための媒体になるということだったんだ」
「媒体に? えっと……じゃあ、あたしは青の龍神様がこの世界を見るための器になるってことなんですか?」
「飲み込みが早いな」
話が順調に進むのが嬉しくて、その気持ちが声に出てしまう。ルルディが頬を上気させて顔を寄せてきた。興味があるようだ。
「それが本当ならあたし、生き残らなきゃいけないじゃないですか」
「そういうことだ。――俺はこの事実を他の龍の生け贄に選ばれた人間に伝えるために旅をしている。この代ですべての龍を地上に呼び出し、黒の龍によって衰退しつつあるこの世界を救うのが目標だ。今の時点では俺の中に居るルビーンの赤の龍、モルゲンロートに封じられていた黒の龍、クリステリア王国聖都市エメロードで祭られている緑の龍の三体がこの世界に呼ばれている」
ヘイゼルの説明に、ルルディの身体が小さく震える。
「すでに黒の龍がこちらにいるんですね……」
「あぁ、そうだ。厄介なことに黒の龍に俺の顔は覚えらちまっていてさ、何かと邪魔されているんだけど」
そこまで言って、ルルディの表情が目に入った。彼女が身体を震わせた理由に今さら気付き、慌ててヘイゼルは補足した。
「――あ、今は心配ないぞ。緑の龍が協力してくれたおかげで、しばらくは直接手を出せないだろうからな」
(そりゃ怖いよな。黒の龍が野放しだって言ったら。魔物に悩まされている人間だって多いんだから)
黒の龍は封じきれなかった力を新たに作った生物に分け与えて世界に放っている。それが黒の龍の血縁者と呼ばれる者たちであり、その者に付き従うのが魔物だ。毎年、どの地域でも同程度に魔物の目撃があり、その被害の報告が挙がる。魔物と黒の龍の関係を知っている人間からしたら、充分に恐怖となるだろう。
ルルディの表情は少し和らいだが、彼女は小さくため息をついた。別の問題があるようだ。
「はぁ……しかし、あたし、十六になったばかりなんで、あと四年はその黒の龍の脅威に晒されるってことなんですよね?」
そんな彼女の憂鬱そうな問いに、ヘイゼルは引っ掛かりを覚えた。
「……十六?」
少女を頭の先からつま先まで見て、うっかり彼女の裸身を思い出し、すぐに抹消する。
(えっと……)
困惑するヘイゼルに、ルルディは不思議そうに首をかしげた。
「はい? あたし、十六歳ですけど、それが?」
(なんだって?)
「……て、てっきり十二歳やそこらかと……」
十六歳だと言う説明に驚き、ヘイゼルはうっかり余計なことを呟いてしまった。
「なっ……!? ちょっ……失礼なっ! あたし、確かに背は低いですし、顔も幼いですし、発育も悪いっちゃあ悪いですけど、気にしているのにっ、ひどいっ! ひどいですっ!」
だんっと立ち上がり、真っ赤な顔で吠えるように抗議するルルディに、ヘイゼルは落ち着きを取り戻せといわんばかりに手をパタパタさせる。この現場に誰かが駆けつければ、話はまた面倒な方に転がってしまう。
「しーっ! 静かに。悪かった、悪かったって! つーか、俺、そこまで言ってねーんだけど」
ルルディは全身を上気させた状態で深呼吸をする。何とか平常心を取り戻したらしく、少女は再び腰を下ろした。
(年齢と体型は地雷なんだな……気をつけよう)
怒らせても何も良いことはない。ヘイゼルは肝に銘ずる。
「――は、話戻しますけど、あたし、黒の龍と対抗できる自信、ありませんよ? 武器で戦うことも、魔法を使うこともできない、ごく普通の町娘なんですから」
(普通はそうだよな。膨大な魔力を持っていても、使い方を知らなければ宝の持ち腐れだ)
生け贄に選ばれる人間に宿る魔力は他の人間と比べたら桁違いである。しかしそれを自由に使えるかどうかは別の話だ。
魔法は魔力を持つ人間ならば訓練次第で使用できる。正確には魔力を扱うことさえできれば自前で持っている必要はないのだが、とても稀な事例だ。基本的には魔力を持っている者が魔法を使うことができる。
程度や威力、扱える魔法の種類はその人間の持つ魔力の量や質に左右される。得手不得手があるのもそれが原因だ。なのでそれを踏まえた上で訓練を行う必要があり、術者の特性を活かして修行を積めば自在に魔法を操ることができるようになる。
つまり、魔術の訓練を受けていない人間には容易に魔法は使えない。
彼女のもっともな意見に、ヘイゼルは返答する。
「青の龍の力さえ手に入れば、大丈夫だろう。鎮魂と浄化を司るといわれる青の龍の力だ。身を守る手段くらいあるんじゃないか?」
突き放すような言い方になってしまったが、ヘイゼルはそうとしか思えなかった。
(赤の龍は統率と均衡、緑の龍は相殺と共鳴、黒の龍は破壊と創造……黒の龍に一番対抗できそうなのって、鎮魂と浄化を司る青の龍くらいなんだもんな。なのにあっさり倒されるようじゃ、名が廃るってもんだろ)
ヘイゼルの言い方が悪かったのか、項垂れて落胆している様子のルルディだったが、何かに気付いたらしい。がばっと顔を上げてヘイゼルを見た。
「あれ? 青の龍の力が手に入ればってことでしたけど、どうやって手に入れればいいんですか?」
ルルディは首をかしげる。
「とても良い質問だ」
先生が生徒にするようにヘイゼルは言って、鉄格子に近づく。そして、真面目な顔を作った。ここからがもっとも大事な部分だ。慎重にいかねばならない。
「ルルディ、よく聞いて欲しい。――君はこの祭りで舞を踊らねばならない。生け贄の儀式まで全部やり通す必要がある」
ルルディの顔から血の気が引いていく。
(う……言い方を間違えたか)
挽回するようにとヘイゼルはすぐに続ける。
「不安がることはない。俺が手助けしてやる。だから、俺を信じて協力して――」
「信じろって? 冗談じゃない」
ヘイゼルの台詞を遮り、ふんっと鼻で笑い飛ばす。ルルディは静かに続けた。
「あたし、死ぬかもしれないのに、どうしてそんなことができるっていうのよ?!」
「ルルディ?」
ルルディは勢いよく立ち上がり、悲しみに満ちた瞳でヘイゼルを見下ろした。こうなってしまえば、もう言葉は心に届かない。
「あたし、舞を踊るのも、生け贄になるのも本当は嫌なのっ! なによ……あなたに話せば避けることができると思ったのに……期待したあたしが馬鹿だったわっ!」
(しまった、彼女の気持ちを読み間違えた……)
彼女は周りのことだけを考えていたのではない、自分の本当の気持ちを抑えてそう振る舞っていただけなのだとヘイゼルはようやく思い至る。
「あなたには頼りません。――さようなら」
背を向けたまま冷たく言い捨て、ルルディは来た道を駆け出す。
「待ってくれ、ルルディ。俺は――」
引き止めようと叫ぶが、ルルディは一度も振り向いてはくれなかった。