第5章・第8話:沈黙の白き修羅
記憶を喰らう見えない罠の網の目を、シエルは『水と樹の鍵』を併用した即席の「精神防壁」を展開することで強行突破した。
透明な硝子の迷宮を抜け、ついに三人は氷雪都市の最深部にそびえ立つ中枢――『クリスタルの城』へとたどり着いた。
しかし、その荘厳な硝子の正門はすでに開け放たれ、凄惨な戦闘の痕跡が残されていた。
扉は禍々しい『黒い焔』によってドロドロに溶かされ、その周囲には、イグノタフ侯爵家の特務部隊のものと思われる数十体の『灰色の石像』が、無惨に砕け散っている。
三人は息を殺し、砕け散った硝子と石の破片を踏み越え、城の内部へと足を踏み入れた。
*
「ここは……!」
内部の光景を見渡した瞬間、シエルは思わず声を漏らした。
外観からは想像もつかないほど広大な、巨大な円筒形の吹き抜け空間。
壁面には果てしなく上層へと続く螺旋階段が這い、その壁一面を埋め尽くしているのは、無数の『青白い硝子の本』が収められた巨大な本棚だった。王都の『時計台の書館』と酷似した、世界の根源データを記録するクリスタルの記憶媒体群。
だが、その荘厳な景色を眺めながら、バルドが義手で顎を撫で、険しい顔で口を開いた。
「……なあ、シエル。ここに来て、どうしても腑に落ちねえことがある」
「何?」
「外の硝子の大通りも、広場も、この城もだ。ベンチがあって、街路樹があって、道幅も広く取られてる。どう見ても『元々は人が普通に行き交う生活空間』として造られた設計だ。にもかかわらず、なんで人が歩く道のど真ん中に、あんな一撃必殺の消去レーザーやら、記憶を食い潰す悪魔の罠が張り巡らされてるんだ?」
シエルは目を伏せ、『銀色の魔導鍵』をそっと床のクリスタルへと押し当てた。
アメジストの瞳に、この都市の底を流れる魔力データがホログラムとして展開される。それを読み解いたシエルの顔が、みるみるうちに蒼白になっていった。
「……バルドの言う通りだわ。この街は元々、システムを維持・管理するために人々が暮らす『箱庭』だった。最初はあんな凶悪なトラップなんて、存在しなかったのよ」
「じゃあ、なんであんなイカれた防衛網が敷かれてるんだ?」
「……暴走よ。システムが、人間という存在そのものを『不要なノイズ』だと誤認して牙を剥いたんだわ」
その真実に、ティオがハッとして獣耳を立て、周囲の広大な空間を見回した。
「……だったら、クリスタル・フォールに住んでいた人たちは、どこにいっちゃったの?」
ティオの声が、硝子の図書館に虚しく反響する。
「システムが人間を排除したっていうなら、戦った跡や、せめて骨くらい残ってるはずでしょ? なのに、この街には……特務部隊の石像以外、誰も死んだ匂いすら残ってないよ」
三人の間に、重く冷たい沈黙が落ちた。
その時だった。
「――みんな、消えたよ」
不意に、三人の『後ろ』から、ガラスが触れ合うような無機質な声が響いた。
ハッとして振り返ると、彼らが通ってきたばかりのクリスタルの柱の陰から、一人の『白い騎士』がゆっくりと歩み出てくるところだった。
白銀の甲冑に身を包み、右手には神々しい白銀の聖剣、左手には呪いのように黒く淀んだ漆黒の魔剣を握りしめた青年。
かつて王都で洗脳から解放されたはずの彼――カイル・イグノタフが、完全に虚無に染まった瞳で三人を見つめていた。
「このクリスタル・フォールは、かつて古代の魔導師たちが暮らし、そして一度『滅んだ』過去がある」
カイルの足音が、コツ、コツと冷たく響く。
「集まりすぎた特異点の魔力が致命的なバグを生み、暴走した防衛システムが、古代の住人たちを不要なデータとして完全に消去した。……チリ一つ残さずにね。それが、この特異点の真実だ」
カイルは立ち止まり、硝子の本棚を虚ろな目で見上げた。
「そして……恐ろしいことに、そのバグは再び目を覚まし、南へと浸食を始めていた。何も知らずにこの街の周辺に現在住み着いていた人々も、過去に起きたそのバグの再発によって、すべて消し去られた」
「現在住んでいた人たちまで……消された?」
バルドが息を呑む。
「ああ。肉体も、記憶も、すべてシステムの光に呑まれて空間から消滅した。……助かったのは、私が『石』に変えた者たちだけだ」
その言葉を聞いた瞬間、シエルの脳内で、これまでバラバラだった不可解な情報が一本の線となって繋がった。
バグを起こし、人間を「完全消去」して回る狂ったシステム。
それに抗うように、すべてを「石」に変え、物理的に時間を凍結させて回るカイルの行動。
「まさか……!」
シエルは銀の鍵を握りしめたまま、信じられないものを見る目でカイルを指差した。
「あんた、フロストフォールの街を住民ごと石にしたのは……ただの虐殺じゃなかったのね!? 暴走したシステムに街の人が完全に『削除』される前に、石化させることで彼らの生体データを物理的に保存した……そういうことなの!?」
バルドも驚愕に目を見開く。
「なんだと……!? じゃあ、あいつは街の人たちを消滅から守るために、あんな真似を……?」
シエルはカイルの正面へと数歩踏み出し、悲痛な声で問い詰めた。
「だったら、どうして何も言わないの! 自分が虐殺者の泥を被ってでも、システムから人々を守ろうとしたんでしょ!? なのに、どうして私たちにすら何も説明せずに……!」
しかし。
シエルの悲痛な問いかけに対し、カイルの表情は微塵も動かなかった。
「…………」
虚無の瞳には、かつての生真面目な青年の心も、人々を救おうとする熱い意志も、もはや欠片も残されていなかった。
度重なる洗脳と、絶望的なシステムとの対話。その果てに、彼の心はすでに修復不可能なほどに欠損し、ただ言葉を発することなく「最適解」だけを実行し続ける機械へと成り果てていたのだ。
カイルは何も答えることなく、ゆっくりと、白と黒の二振りの剣を交差させるように構えた。
「……これ以上、不確定要素にこの世界を触らせるわけにはいかない」
静寂な空間に、漆黒の魔剣から放たれる『石化の波動』と、白銀の聖剣から放たれる『浄化の光』が渦を巻き始める。
「答えて、カイルッ!!」
シエルの叫びも虚しく、彼はただ冷徹に告げた。
「――イレギュラーの排除を開始する」
「来るぞ! 構えろォッ!!」
バルドが叫び、シリンダーを限界まで駆動させてパイルバンカーを突き出す。ティオもサバイバルナイフを逆手に握り、地を蹴る体勢をとった。
「……言葉が通じないなら、力ずくで(ハッキングして)聞き出させてもらうわ!!」
シエルもまた、アメジストの瞳に猛烈な演算の光を宿し、『銀色の魔導鍵』をカイルへと突きつけた。
世界の真実が眠るクリスタルの城の最深部で。天才ハッカーと、心を失いシステムに抗い続ける白き修羅の、絶望的で悲しい死闘が今、幕を開けた。




