捕縛
魔法省地下区画は、地図に存在しない。
公式には保管庫。
非公式には――隔離層と呼ばれていた。
アルクウェールが到着したとき、すでに結界は三重に展開されていた。
第一層は物理遮断。
第二層は魔力遮断。
そして第三層。
「……法則固定式か」
彼は小さく呟いた。
入口に立つ執行部の魔術師が眉をひそめる。
「さすが認定部長。見ただけで分かりますか」
「分かるように作ってある。つまり見せつけたいんだろう?」
返答はなかった。
それが肯定だった。
魔法省執行部。
魔術を管理する組織の中でも、唯一“強制力”を持つ部門。
認定部が理論を扱うなら、彼らは結果を扱う。
秩序の維持。
そのためなら手段は問わない。
「対象は?」
「児童。推定年齢五歳前後」
「罪状は?」
執行官は少し間を置いた。
「――未定義魔術の継続的発生」
アルクウェールは息を吐いた。
予想より悪い。
地下通路を進みながら、彼は壁面の術式を観察する。
通常の封印術ではない。
式が簡略化されすぎている。
「魔術式じゃないな」
「はい。魔法です」
執行官の答えに、彼は足を止めた。
この世界には二つの言葉がある。
魔法と魔術。
似ているが、本質はまったく違う。
「説明してくれ」
アルクウェールが言うと、執行官は淡々と答えた。
「魔術は再現技術です。理論に基づき、魔力を用いて現象を模倣するもの」
壁の紋様が淡く光る。
「対して魔法は、現象そのものの発生です。理論過程を経由しない」
つまり。
魔術は“計算”。
魔法は“結果”。
「そんなものを使う必要があるほどか?」
執行官の声がわずかに低くなった。
「対象の周囲では、魔術式が成立しません」
沈黙。
「干渉されるのか?」
「いいえ」
「なら?」
彼は答えた。
「成立する前に、意味を失います」
アルクウェールの理解が一瞬遅れた。
そして次の瞬間、背筋が冷えた。
それは干渉ではない。
破壊でもない。
――前提が崩されている。
魔術とは、世界の法則が一定であるという前提で成立する。
燃焼は燃焼として存在する。
重力は常に下へ働く。
だから式が組める。
だがもし。
法則そのものが揺らいでいたら?
「……法則層に触れているのか」
誰にも聞こえない声だった。
執行官は答えない。
答える必要がないからだ。
隔離室の扉が開いた。
内部は拍子抜けするほど普通だった。
石床。
簡素な椅子。
そして――
小さな少年。
床に座り、壁の光を指でなぞっている。
結界が、彼に触れた部分だけ微妙に歪んでいた。
壊れてはいない。
だが完全でもない。
少年が顔を上げる。
透き通った灰色の瞳。
恐怖も混乱もない。
ただ純粋な観察の目。
アルクウェールは理解した。
この子は怯えていない。
世界の方が、この子を理解できていないのだ。
「名前は?」
少年は少し考えてから答えた。
「……エイル」
その瞬間。
部屋の空気がわずかに揺れた。
魔力反応なし。
術式発動なし。
それでも、現象だけが変化した。
執行官が低く言う。
「ご覧の通りです」
アルクウェールはゆっくり膝をついた。
視線を合わせる。
「エイル。ここは怖いか?」
少年は首をかしげた。
「みんな、変」
その言葉に、彼は思わず笑った。
「そうだな。私もそう思う」
背後で執行官が告げる。
「本日付で対象は管理指定されます。軍事評価も開始予定です」
アルクウェールの笑みが消えた。
「……軍事?」
「未知は管理されるべきです」
それは魔法省の正論だった。
そして最悪の選択でもあった。
アルクウェールは静かに立ち上がる。
長年感じていた誤差。
世界の軋み。
その中心が、今目の前にいる。
そして同時に理解した。
これは災害ではない。
兵器でもない。
――指標だ。
世界がどれだけ歪んでいるかを示す、ただの結果。
「部長」
執行官が言う。
「あなたには理論評価を担当していただきます」
アルクウェールは頷いた。
だが心の中では、別の結論に達していた。
もしこの子を“管理”しようとすれば。
世界の方が、壊れる。




