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第5話 代償

目を覚ましたとき、天井が低く感じた。


白い。

どこまでも、白い。


消毒液の匂いが鼻を刺し、遅れて機械音が耳に届く。

心拍計の規則的な音。


――病院だ。


意識が戻った瞬間、身体のあちこちが遅れて痛み始めた。

腕。肩。肋骨。


それでも、思ったよりは軽い。


「……生きてる」


声に出した瞬間、喉がひりついた。


カーテンの向こうで、人の気配が動く。

次の瞬間、勢いよく開いた。


「お兄!」


妹だった。


顔色は悪い。

目の下に、はっきりとした隈がある。


それでも――

生きている。


「よかった……本当に……」


震える声。

俺の手を掴む指が、やけに冷たい。


「……怪我は?」


「私は、全然。かすりもしなかった」


そう言って、無理に笑う。


その笑顔を見た瞬間、

胸の奥に、強烈な違和感が走った。


――違う。


生きている。

助かった。


それなのに、

「喜び」が、どこにも見当たらない。


代わりにあるのは、

説明できない重さだけだった。


医師が来る。

白衣。名札。


その顔を見た瞬間、

俺の背中を、冷たいものがなぞった。


――七回目のループで会った医師と、同じ顔だ。


「意識ははっきりしていますね」


淡々とした声。

口調も、ほとんど同じだった。


「運が良かった。もう少し遅れていたら、危なかったですよ」


運。


その言葉が、やけに耳に残る。


「……妹は?」


「彼女は無傷です。奇跡的に」


奇跡。


医師はカルテに目を落としながら、

何気ない調子で続けた。


「あなたが飛び出していなければ、

 おそらく、彼女が直撃していたでしょうね」


――言った。


はっきりと。


世界の“本来の結末”を。


妹が息を呑む。

俺の手を掴む力が、強くなる。


「……そんな」


その反応を見て、医師は一瞬だけ視線を上げた。

そして、ほんのわずかに、口元を歪めた。


「まあ、結果としては良かった」


良かった?


何かが、

決定的に噛み合っていない。


医師が去ったあと、

妹はしばらく黙っていた。


「ねえ、お兄」


やがて、小さな声で言う。


「なんで、あそこにいたの?」


答えられなかった。


偶然。

通りかかった。


どれも嘘になる。


「……たまたま」


そう言うと、

妹はそれ以上、何も聞かなかった。


でも、

納得していないことだけは、分かった。


夜。


妹は帰り、病室は静かになる。

機械音だけが、一定のリズムで響く。


俺は、目を閉じた。


すると、

記憶が――ずれた。


事故の瞬間が、

違う角度で再生される。


俺が走る。

妹に触れる。

衝撃。


でも、その映像の端に、

“見たことのない光景”が混じっている。


血の量が、多い。

位置が、違う。


――俺は、死んでいる。


はっきりと、そう分かる映像。


心臓が跳ね上がる。

呼吸が乱れる。


目を開けると、天井は元のままだ。


だが、

身体の感覚が、おかしい。


左手の感覚が、少し鈍い。

指先が、遠い。


「……代償か」


誰にともなく、呟く。


妹は助かった。

確かに。


でも、

帳尻は合わされ始めている。


0.02%。


それは、

“安全な奇跡”じゃない。


世界の計算を狂わせた存在が、

どこかを削られていく確率だ。


そして、

それが身体なのか、記憶なのか、

それとも――存在そのものなのか。


まだ、分からない。


分からないまま、

確実に一つだけ言えることがある。


妹が助かったこの未来は、

もう、元のルートには戻れない。


俺は、

引き返せない場所に立ってしまった。

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