第1話 生存確率0.02%
※本作はシリアスなタイムリープSFです。
妹が死ぬ未来を、俺はすでに七回見ている。
最初は事故だった。
信号無視の車に跳ね飛ばされて、病院に運ばれる前に息を引き取った。
二度目は事件だった。
三度目は、階段からの転落。
四度目以降は、理由すらはっきりしない。
共通しているのはただ一つ。
妹は、十八歳になる春を越えられない。
それだけだ。
七回目の葬式の帰り、俺は病院の待合室で眠ってしまった。
線香の匂いが、まだ服に染みついていた。
誰かが泣いていた気がする。
それでも、もう何も感じなかった。
目を覚ました瞬間、
スマホの日付が三か月前を指しているのを見て、俺はすぐに理解した。
――まただ。
最初の頃の混乱は、もうない。
驚きも、希望も、期待も。
ただ、胃の奥に沈む鈍い感覚だけが残っていた。
やり直せる。
それはつまり、
もう一度、失敗するということだ。
俺はもともと、何かを強く望む人間じゃなかった。
将来の夢を聞かれても、適当に答えるタイプだったし、
「こうなりたい自分」なんてものを、真剣に考えたこともない。
日常は、流れていけばそれでよかった。
学校に行き、帰ってきて、妹と他愛もない会話をして、眠る。
それだけで、世界はちゃんと回っていると思っていた。
朝は、だいたいいつも同じだった。
目覚ましより少し早く目が覚めて、洗面所で顔を洗う。
鏡に映る自分は、驚くほど変わらない。
七回も人生をやり直しているのに、だ。
食卓に並ぶのは、トーストと卵。
妹は牛乳を飲みながら、どうでもいい話をする。
昨日見たテレビのこととか、
学校であった小さな出来事とか。
俺は相槌を打ちながら、それを聞く。
深く考えることもなく、覚えておこうとも思わず。
明日も、同じ朝が来ると疑っていなかったから。
妹は、俺と正反対だった。
些細なことで笑い、些細なことで落ち込み、
その全部を隠そうともせずに表に出す。
正直、少し眩しかった。
だから俺は、距離を保っていたのかもしれない。
守るとか、支えるとか、
そういう言葉を口にするほど、立派な兄じゃない。
俺にできるのは、せいぜい同じ家にいることくらいだった。
――少なくとも、
時間が巻き戻るまでは。
妹は、何も知らない。
「お兄、朝ごはんできてるよ」
キッチンから聞こえる声は、七回すべて同じだった。
少し高くて、少し眠そうで、
いつもより元気を装っている声。
生きている。
今は、まだ。
「……ありがとう」
声が震えないように、それだけに意識を集中させる。
妹は振り返って笑った。
その笑顔が、何度も世界から消えてきたことを、
本人だけが知らない。
俺は、妹を救うために何度も未来を変えた。
通学路を変え、友人関係に口を出し、帰宅時間をずらした。
五回目のループでは、
事故が起きた交差点に近づけさせないため、
俺が毎朝、妹を学校まで送った。
「過保護すぎない?」と笑われたけれど、
それでも、あの日だけは何も起きなかった。
――成功した。
そう思ったのは、その日の夜だった。
妹は、学校で知り合ったという同級生の話をした。
俺が送迎したせいで、
本来なら関わらなかったはずの相手。
三日後、
その同級生が原因で起きた事件に、妹は巻き込まれた。
場所も、理由も、死因も違う。
それでも、結果だけは同じだった。
その結果、
妹の死因は増えただけだった。
未来は、形を変えても必ず辿り着く。
まるで世界そのものが、妹の死を
「正しい結末」として選んでいるみたいに。
七回目のループで、俺は一人の医師に出会った。
大学病院の奥。
使われていないはずの古い診察室。
なぜそこに呼ばれたのか、理由は分からない。
ただ、扉を開けた瞬間、背中を冷たいものが走った。
「また来たんだね」
医師は、俺を見るなりそう言った。
「……人違いです」
「違わないよ。君は七回目だ」
俺は何も話していない。
それなのに医師は、事故の日付も、死因も、
俺の行動も、すべて知っていた。
「妹さんが生き残る確率は、0.02%だ」
淡々と告げられた数字に、思わず笑ってしまう。
「それ、ほぼゼロじゃないですか」
「“ほぼ”じゃない。ゼロではない」
医師は、そこで一度言葉を切った。
「ただし条件がある」
嫌な予感しかしなかった。
「君が、そこにいることだ」
「……どこに?」
「それは分からない。偶然だ。計算外だ」
世界は矛盾を嫌う。
医師の言葉が、頭の中で何度も反響していた。
診察室の床に、わずかに手の震えが伝わる。
自分が今、立っているのかどうかも、少し曖昧だった。
俺が動けば動くほど、
妹の死は別の形をとって現れる。
救おうとする行為そのものが、
世界にとっては「修正対象」なのだとしたら。
0.02%という数字は、
希望じゃない。罰に近い。
それでも、
ゼロじゃないという事実だけが、胸に残った。
診察室を出ると、空は異様なほど晴れていた。
0.02%。
それは希望と呼ぶには、あまりにも薄い数字だった。
それでも――
ゼロじゃない。
もし、その確率を踏み抜いたら。
妹は、生きられるのか。
それとも、別の何かが失われるのか。
その答えを、俺はまだ知らない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この世界で、
妹を救おうとする俺は――
最初から、異物なのだ。




