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8話:視えない親友への伝言


蓮司さんが幽霊として戻ってきてから、数日が経った。


事務所の片付けをしていた私の元に、聞き慣れた足音が近づいてくる。


コンコン、と控えめなノック。 ドアを開けると、そこには少しやつれた顔の橘さんが立っていた。


「……あぁ、朱里さん。突然すまない」


「いえ、橘さん。どうぞ、入ってください」


橘さんは事務所を見渡し、主のいないデスクを見て小さく溜息をついた。 ……いや、主(幽霊)はそこに座っているのだけれど。


「……朱里さん、少しは元気になったか? ……蓮司のことは、俺が必ず引き継ぐから。あいつが追っていたヤマも、お前のことも、俺が全力で守る」


橘さんは、私の肩にそっと手を置こうとして――。


「――おい、朱里。その男の手を叩き落とせ。不潔だと言っただろ」


私のすぐ隣。 腕を組み、空中に浮いている蓮司さんが、盛大に顔をしかめた。


もちろん、橘さんには彼の姿は見えていないし、声も聞こえていない。


「れ、蓮司さん、静かにしてください……」


「なんだ? 何か言ったか、朱里さん」


「あ、いえ! なんでもありません!」


橘さんは不思議そうに首を傾げたが、再び真剣な表情に戻る。 彼は、蓮司さんの遺影(まだ仮のものだ)に向かって深く頭を下げた。


「蓮司……。お前がいない世界は、思っていたよりずっと静かだ。……同級生の分まで、俺がやり遂げてみせる」


あまりに殊勝な、親友への誓い。 立ち会っている私まで胸が熱くなるような光景だ。


……けれど、当の本人(幽霊)は、全く感動していないようだった。


「橘の野郎、しん気臭い顔しやがって。……そんなことより朱里、あいつに言え」


「えっ、何をですか?」


「あいつの左手首だ。……俺の形見の時計、勝手に使うな。あれはオーバーホールの時期なんだ。壊されたらたまったもんじゃない」


私は橘さんの左手首を見た。 そこには、生前蓮司さんが仕事用として愛用していた、地味だが頑丈なクロノグラフが巻かれていた。


「……橘さん。あの、その時計」


「ん? ああ、これか」


「それ……蓮司さんが、勝手に使うなって怒っています。オーバーホールの時期だから、壊されたら困るって」


「…………え?」


橘さんの動きが、ピタリと止まった。 彼は自分の手首を見つめ、それからゆっくりと、何もない虚空を見つめた。


「……蓮司、そこにいるのか?」


「……。あぁ、いるぞ。相変わらずお前のネクタイは曲がってるし、刑事のくせに靴が汚い。反吐が出るな」


蓮司さんの毒舌が炸裂する。 私はそれを、一つ一つ丁寧に(少しだけマイルドにして)橘さんに通訳した。


「えーと……『ネクタイが曲がっていて、靴が汚いから反吐が出る』、だそうです」


「……ははっ。はははは!!」


橘さんが、突然声を上げて笑い出した。 笑いながら、その目には大粒の涙が浮かんでいる。


「……そうか。そこにいるんだな。……そうだよな、お前なら、死んでも死にきれないよな。朱里さんを一人にして、成仏できるような珠じゃない」


橘さんは、蓮司さんが浮いているであろう場所に向かって、そっと手を伸ばした。 けれど、その手は虚しく空を切るだけ。


幽霊と人間。 触れられない親友同士の、近くて遠すぎる距離。


「……蓮司。お前、本当にバカだよ」


「お前にだけは言われたくないな、熱血バカ」


蓮司さんはフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いたが、その耳が少しだけ赤くなっているのを私は見逃さなかった。


意地っ張りな同級生二人の、切なすぎる再会。


「……朱里さん。ありがとう。……なんだか、少し救われた気がする」


橘さんは目元を拭い、力強く頷いた。 その瞳には、先ほどまでの絶望ではなく、確固たる闘志が宿っていた。


「蓮司。聞こえてるんだろ。……お前が死んでから、警視庁の上層部が妙な動きをしてる。『特務室』の連中が、九条家の事件を強引に揉み消そうとしてるんだ」


「……あぁ、わかっている」


蓮司さんの声が、一瞬で冷徹な探偵のトーンに切り替わった。


「朱里、伝えろ。……特務室の桐生。あいつが、俺の魂を位牌に縛り付けた張本人だ。……あいつを叩かない限り、俺の成仏も、この国の平穏もない」


私は、その言葉を橘さんに伝えた。 二人の男の視線が、目に見えない絆で重なる。


「……あぁ。やってやろうぜ、相棒」


橘さんは、誰もいない空間に向かって拳を突き出した。 蓮司さんは溜息をつきながらも、自分の拳をそこに重ねる――ふりをした。


「……暑苦しいんだよ。……行くぞ、朱里。反撃の時間だ」


ーー


ーーそして、現在。


施設の地下、桐生との対峙。 闇の中で、橘さんの放った霊弾が桐生の野望を砕いた。


桐生の懐から落ちた一通の封筒。 私は、蓮司さんの指示に従ってそれを拾い上げた。


暗闇のはずなのに、蓮司さんの視界と同期している私の目には、その書類の内容が鮮明に浮かび上がっていた。


「……これ、は……」


封筒の中には、一枚の写真と、血のついた戸籍謄本の写しが入っていた。


そこには、九条家の真の世継ぎとして、一人の男の名前が記されている。


「……橘、慎一……?」


私の声が、静まり返った地下室に響いた。


「……そんな。……橘さん、これ……」


橘さんの顔から、血の気が引いていく。 蓮司さんが、私の隣で眉を深く寄せた。


「……まさか、そういうことか。……橘。お前が、あの事件の当事者だったのか」


闇の向こうから、倒れ伏した桐生が、不気味な笑い声を上げた。


「……ふふ……。そうだよ、工藤くん。……君の親友こそが、我々が守るべき王の血脈。……君を殺せと命じたのは、他でもない――彼の父親だよ」


その時、地下室の重い扉がゆっくりと開いた。


コツ、コツ、と硬い足音が近づいてくる。


暗闇の中から現れた新たな人影。 その手には、見覚えのある『青い蛇』の紋章が刻まれた杖が握られていた。

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