6話:位牌から響く、懐かしい声
葬儀は、あまりに呆気なく終わった。
九条家という巨大な権力が背後にあったせいか、蓮司さんの死は「孤独な探偵の不慮の事故」として処理された。 参列者も橘さんと私、それから数人の知人だけだった。
数日後。 私は、主を失った『工藤探偵事務所』にいた。
窓の外は、あの日からずっと降り続いているような気がする、止まない雨。
「……バカ。……本当のバカだよ、蓮司さん」
デスクの上には、まだ真新しい、白木の位牌が置かれている。 私はそれを両手で抱きしめた。
木のひんやりとした感触が、余計に彼の不在を際立たせる。 あんなに冷たく私を追い出したくせに。
一人で全部抱え込んで、勝手に死んで。 謝らせてもくれないなんて、あんまりだ。
「……っ、うぅ……」
位牌に額を押し当てる。 ボタボタと、私の涙が木の表面を濡らしていく。
鼻水だって出ているかもしれない。でも、もうどうだってよかった。 世界で一番大切だった人が、もうこの世のどこにもいないという事実が、私の心を削り取っていた。
その時だった。
「……おい。人の位牌に鼻水つけるなよ。汚いだろ」
「…………え?」
聞き間違えるはずのない声だった。 傲慢で、自信たっぷりで。
でも、どこか呆れたような、温かさを孕んだあの声。 私は弾かれたように顔を上げた。
そこには――。
蓮司さんの愛用していた革張りの椅子に、一人の男が座っていた。
「……蓮司、さん?」
姿は、生前の彼そのままだ。 けれど、その輪郭は陽炎のように微かに揺らぎ、背後の本棚が透けて見えている。
「……幽霊……? 成仏、しなかったの?」
「したかったが、あいにく受付で門前払いだ。……というか、門まで辿り着けなかった」
蓮司さんは不機嫌そうに脚を組み、私の手元を指差した。
「どうやら、お前の持ってるその『木の板』に、俺の魂が紐付けられてるらしい。……不便極まりないな」
「木の板って……位牌のことですか?」
私は恐る恐る、抱きしめていた位牌を覗き込む。
すると、位牌の表面に微かな青い光が宿り、そこから細い糸のような霊線が、椅子に座る蓮司さんへと伸びていた。
「……ふん。お前が泣きながらしがみつくから、魂が引っ張られたんだろう。責任を取れ、バカ助手」
「……っ! 蓮司さん!!」
私は椅子に飛びついた。 けれど、私の体は虚しく彼を通り抜け、床に転がった。
「あだだ……」
「馬鹿。幽霊にタックルする奴があるか。物理法則を考えろ」
蓮司さんは冷たく言い放つが、その口角は微かに上がっていた。 生きていても、死んでいても、この人は変わらない。
「……本当によかった。もう会えないと思ってたから……」
「感傷に浸る時間は短縮しろ。俺がここに出てきたのは、お前と『契約』を結ぶためだ」
蓮司さんの表情が、鋭い探偵のそれに変わる。
「いいか、朱里。俺は殺された。九条家の背後にいる、国家レベルの巨大な闇に触れたからだ。……本来なら、お前は巻き込むべきじゃない」
「でも、巻き込まれました。もう遅いです」
「あぁ、そうだな」
蓮司さんは立ち上がり、窓の外を見つめた。 透き通ったその背中に、私はかつてないほどの覚悟を感じる。
「俺は霊体としてお前をサポートする。お前の『霊感』と、俺の『論理』。これがあれば、奴らの尻尾を掴めるはずだ。……ただし、一つ条件がある」
「条件?」
蓮司さんは私を振り返り、一本の指を立てた。
「俺の魂は、その位牌を中心とした半径25メートルから離れることができない。……つまり、お前がその位牌を持って歩く限り、俺はお前の『守護霊』として存在する。だが、一度でも離れれば、俺の魂は霧散して消える」
半径25メートル。 それは、私たちを繋ぐ絆であり、同時に彼を縛り付ける檻でもあった。
「……わかっています。離しません。絶対、どこにでも持って行きます」
「ふん。重いぞ、俺の執念は。……いいんだな? 犯罪者の情報を盗み、国家の禁忌を暴く。警察も助けてくれない、茨の道だ」
私は位牌をぎゅっと胸に抱きしめ、真っ直ぐに彼を見つめた。
「蓮司さんのいない、平和で退屈な日常なんていりません。……一緒にやりましょう。犯人を、絶対に地獄に引きずり落としてやるんです」
死んでなお不敵に笑う相棒。 そして、その相棒に魂を売った助手。 私たちの『本当の共犯』は、この場所から始まった。
ーー
――そして、現在の実験室。
「……ふふ、あはははは!!」
私は、拘束されながらも声を上げて笑った。
「何がおかしい、御影くん」
桐生が怪訝そうに眉をひそめる。
「おかしくて。……あなた、蓮司さんが『死んだ』から、もう終わりだと思ってたんでしょ? ……残念でした。この人、死んでからの方が性格が悪くなってるんですよ」
「何を――」
桐生が言いかけた瞬間。 私が胸元に抱え込んでいた位牌から、目も眩むような青い霊気が爆発した。
『……橘! 電源を落とせ!!』
脳内に響く蓮司さんの咆哮。 その直後、施設のすべてのライトが破裂するように消え、完全な闇が訪れた。
ドォォォォン!!
壁を突き破り、一人の男が躍り出る。 手には、蓮司さんが生前愛用していた大型の拳銃。
「……待たせたな、朱里。……それと、クソ同級生!」
闇の中で、橘慎一の咆哮が響き渡った。




