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第21話:ロジックとオカルトの特別講義


「……死ぬ。今度こそ確実に、俺の心肺機能がストライキを起こす。……おい、泥水助手。今すぐそのファンキーな母親に、時速160キロでヘアピンカーブを攻めるのをやめろと進言しろ。さもなくば、俺はお前の背中に盛大に胃液をぶちまけることになるぞ」


「そんなこと私に言われても無理です! 大体、さっきから『揺れるな』とか『Gを殺せ』とか、物理法則を無視したオーダーばかりしないでください! 私のせいじゃないですよ!」


「お前のせいだ。お前が俺の『生命維持装置(半径25メートル)』である以上、お前がバイクの振動に甘んじていることは、俺に対する実質的な殺人未遂に等しい……っ、げほっ!」


「はいはい、口を動かす元気があるなら大丈夫ですね。……お母さーん! サイドカーの荷物がうるさいですー!」


 夜の山道を切り裂くような爆音。  私は大型バイクを操る母・沙也加の背中にしがみつきながら、隣のサイドカーで青い顔をしてのたうち回っている蓮司さんを怒鳴りつけた。


 新宿を出発して数時間。  私たちは、地図にも載っていない山奥、御影の本家へと辿り着いた。  エンジンが止まると、鼓膜が痛くなるほどの静寂が辺りを包み込む。


「……着いたわよ。ほら、降りなさい。自称・天才探偵くん」


 沙也加がヘルメットを脱ぎ、乱れた髪をかき上げる。  サイドカーから這い出した蓮司さんは、地面に手をついて激しく咳き込んだ。


「……最悪だ。……三半規管が、……デッド・スポットだ……」


「ハハ……。蓮司、大丈夫か? 俺は幽霊だから酔わないけど、見てるこっちがハラハラしたよ」


 瑠璃色の香水瓶から、橘さんがふわりと姿を現す。  月明かりに透ける彼の体は、どこかノイズが混じったように不安定に揺れていた。


「……橘。お前は……黙ってろ。……瓶の中で、……大人しく、シェイクされていれば、良かったんだ……」


「ひどいな。これでも心配してるんだぞ?」


 そんな私たちのやり取りを、古びた縁側でキセルを燻らしながら眺めている影があった。  祖母、御影トキだ。


「……夜分に、賑やかなことだねぇ。……九条の牙を抜いてきたと思えば、連れてきたのは『欠陥品の三点セット』かい」


 お婆ちゃんの鋭い眼光が、私たちを射抜く。  その瞬間、ふざけていた空気が一変し、肌を刺すような霊的な圧力がその場を支配した。


霊的ダムの決壊


「入りな。……話はそれからだ」


 囲炉裏の火がパチパチと爆ぜる。  私たちは並んで座らされ、お婆ちゃんが淹れた、蓮司さんいわく「泥水よりは濃い」お茶を啜っていた。


「いいかい。あんたたちが九条宗次郎を倒し、あの『聖域』をぶっ壊したせいで、この国の霊的バランスは完全に崩壊したんだよ」


 お婆ちゃんが、囲炉裏の灰を火箸でなぞる。


「九条家ってのはね、ただの成金霊能者じゃない。異界から溢れ出すドロドロの霊的エネルギーをせき止める『ダム』の管理人だったのさ。宗次郎はその力を私物化していたが、それでも、奴がいるおかげで外の連中は手出しができなかった」


「管理人……。つまり、九条が消えたことで、そのダムが決壊したということですか?」


 蓮司が、鋭い目付きで問い返す。ようやく吐き気が収まったらしい。


「その通りだよ。今や日本中、未精製の『呪い』が垂れ流し状態さ。これまで九条の重圧で眠っていた各地の怪異や、封印されていた古の呪い……そんな連中が一斉に目を覚まし始めた。……いわば、**『霊的戦国時代』**の幕開けだよ」


「戦国時代……。ってことは、これからは九条家みたいなヤバい奴らが、あちこちに出てくるってこと?」


 私の問いに、お婆ちゃんは深く頷いた。


「それだけじゃない。ダムが決壊して一番喜んでるのは誰だい? ……九条の呪縛から解き放たれた、あの『赤い香水の女』のような独立した怪異たちだよ。彼女たちは今、溢れ出した霊力を喰らって、どんどん『進化』している」


「進化……。あの化け物が、これ以上強くなるんですか」


 橘さんが、透き通った拳を強く握りしめた。


「そうさ。そして、そんな荒れ果てた世界に放り出されたあんたたちはどうだい? ……見てごらん、そのザマを」


欠陥品の三点セット


「まず、朱里。あんたは『器』としての蛇口が全開だ。霊力は無尽蔵だが、それを制御する知恵も技術もない。例えるなら、**【爆発寸前の超巨大バッテリー】**だよ。あんたが少しでも感情を乱せば、隣の二人はその霊圧で消し飛ぶか、逆に過充電で焼き切れるだろうね」


「えっ……。そんなに危ないんですか、私」


「自覚がないのが一番怖いんだよ。……次、蓮司。あんたは復活したとは言え、魂が肉体に馴染んでいない。朱里からの供給が途絶えれば一分で心臓が止まる、**【燃費最悪のポンコツエンジン】**だ。25メートルなんて甘っちょろい距離を維持するだけで精一杯の男が、どうやって怪異と戦うんだい?」


「……フン。ロジックで埋められないラグがあることは認めるが、ポンコツ呼ばわりは心外だな」


「屁理屈を叩く元気があるのは結構だねぇ。……最後、橘。あんたは論外だ。自分の命を代償に呪いを解いたのはいいが、今のあんたはただの**【背景ノイズ】**だよ。朱里の霊力で無理やり形を保っているだけの霧。そのうち自分の名前も忘れて、ただの浮遊霊に成り下がるのがオチさ」


 橘さんが、ガーンとショックを受けたように項垂れる。


「バッテリー、エンジン、背景ノイズ……。……お婆ちゃん、それ、褒め言葉は一つもないんですか?」


「あるわけないだろう。あんたたちは、三人揃ってようやく『一人のまともな霊能者』にすら届かない、欠陥品の集まりなんだよ」


 お婆ちゃんはキセルを置き、私たちを真っ直ぐに見据えた。


「九条宗次郎が死んで、赤い香水の女が解き放たれた. 世界は変わった。あんたたちがその変化についてこれないなら、今すぐこの山に引きこもって、大人しく朽ちるのを待つことだね」


「……断る」


 即答したのは、蓮司さんだった。  彼は隣に座る私の手を、不器用なほど強く、けれど確かな温かさを持って握りしめた。


「俺は、こいつの『命の恩人』としての職務を全うする義務がある。……それに、橘という最高の『資料(幽霊)』を野放しにするのは、探偵としての美学に反する。……ババア。あんたの言う『欠陥』、すべて俺のロジックで上書きしてやるよ」


「威勢だけはいいわねぇ、蓮司くん」


 背後で腕を組んでいた母・沙也加が、楽しげに笑った。


「ママ、もういいでしょ。……始めるわよ、地獄のメニュー。……朱里、あんたには『御影の女』としての本当の洗礼を受けてもらうから」


「洗礼……? ……あの、お母さん、その手に持ってるバケツは何ですか?」


「これ? 修行用の氷水。まずは精神統一からね!」


「……やっぱり地獄だ、ここ!!」


 私の絶叫が、静かな山奥に虚しく響き渡った。

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