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2話:親友は、警視庁の懸け橋


「――おい。飲みすぎだぞ、お二人さん」


苦笑いしながら、テーブルにカランと新しいグラスを置いたのは、橘慎一だった。 場所は事務所の近くにある、馴染みの赤提灯。 煮込みの湯気と、安っぽい焼酎の匂いが充満する、いつもの作戦会議室だ。


「……ふん。朱里が私の分まで飲むからだ。こいつ、酒癖の悪さはプロ級だな」


隣でジョッキを煽っているのは、私の相棒――生前の工藤蓮司だ。 彼は顔色一つ変えず、毒を吐きながらも、私の手からさりげなくジョッキを取り上げた。


「ああっ! 返してください蓮司さん! まだ飲めます!」


「嘘をつけ。目が泳いでるぞ。橘、こいつを連れてきたのは失敗だったな」


「はは、いいじゃないか。朱里ちゃんがいないと、この場が華やかにならないだろ?」


橘さんはそう言って、私の頭をポンと叩いた。 橘慎一。警視庁捜査一課の刑事。 蓮司さんの学生時代からの親友であり、私たちに表に出せない依頼を流してくれる、警察との唯一のパイプ役だ。


「橘こそ、現場の情報をホイホイ漏らしていいのかよ。公務員失格だな」


「お前らが解決しなきゃ、被害者の霊が浮かばれないだろ。……法で裁けない悪を、お前たちが闇で葬る。俺はそれを信じてるんだ」


軽口を叩き合う二人。 でも、私は知っている。 二人が時折、グラスの向こう側で私を見る時。 そこには、共通の切なげな瞳が宿ることを。


「……もし、俺に何かあったら。その時は朱里を頼む」


蓮司さんが、焼き鳥の串を弄びながら、冗談めかして言った。 私は「何言ってるんですか!」と笑い飛ばそうとした。


けれど――。 橘さんは、笑わなかった。


「……蓮司。その冗談は、笑えない」


「冗談に聞こえたなら幸いだ」


二人の間に流れる、重苦しい沈黙。 それは、私だけが立ち入れない男二人の約束。 有能すぎる探偵と、正義感の強すぎる刑事。 二人は自分たちの歩く道が、いつか断崖絶壁に繋がっていることを、予感していたのかもしれない。


――そして、現在。


「……朱里。おい、聞いてるのか?」


低く響く声。 私はハッとして、位牌――今の蓮司さんを見つめた。 場所は現在の工藤探偵事務所。 隣には、あの時と同じ、少し疲れた顔の橘さんが座っている。


「……すみません。少し、昔のことを思い出してて」


「昔? ……あぁ、三人でよく飲んだな」


橘さんは切なげに目を細め、蓮司さんの遺影に視線を向けた。 もちろん、彼には見えていない。 その遺影のすぐ隣で、蓮司さんの魂が腕を組んで浮いていることを。


「……おい、橘。朱里の肩に手を置こうとするな。その指、へし折るぞ」


位牌の中から、蓮司さんの刺すような声が響く。 生前の「頼む」という言葉はどこへやら。幽霊になった彼は、病的なまでの過保護を隠そうともしない。


「橘さん……何か、新しい情報ですか?」


「あぁ。例の『青い蛇』の件だ」


橘さんの表情が、一気に刑事のそれに変わった。 彼は懐から、一枚の隠し撮り写真を取り出す。


「警視庁のデータベースから抹消されていた記録を見つけた。……あのマーク、ただの半グレの刺青じゃない。上層部の、それも特務室に繋がる連中のコードネームだ」


特務室。 その名前が出た瞬間、事務所の空気が一変した。 窓の外で、一台の黒塗りの車がゆっくりと停車するのが見える。


「……朱里、離れろ。窓からだ!」


蓮司さんの鋭い警告。 その直後――。


パリンッ!!


強化ガラスが砕け散り、部屋の中に銀色の小さな筒が転がり込んできた。


「伏せろ!!」


橘さんが私を押し倒し、覆いかぶさる。 立ち込める白い煙。催涙ガスだ。


「っ……げほっ、ごほっ……!」


「朱里、バッグを! 位牌を掴め!」


蓮司さんの声が、混乱の中で響く。 私は視界が遮られる中、必死に手を伸ばした。


だが、その指が位牌に触れる寸前。 暗闇から伸びてきた「誰か」の手が、私の手首を強く掴んだ。


「……御影朱里。工藤蓮司の遺産は、我々が管理する」


冷徹な、聞き覚えのある声。 煙の向こうに、冷たい瞳をした男――桐生勝己が立っていた。


「離せ……っ!!」


私は必死に抵抗するが、力が入らない。 そして、気付いてしまう。 桐生の手によって、私の体は、デスクに置かれた位牌から引き剥がされていく。


一歩、二歩。


「……あ、が…………っ!」


心臓が、握り潰されるような衝撃。 『半径25メートル』。 その絶対的な境界線が、今、無慈悲に引き裂かれようとしていた。


「朱里――ッ!!」


蓮司さんの、叫びとも取れる断末魔が脳内に響き渡る。 視界の端で、位牌から漏れ出していた青い光が、ぷつりと糸が切れるように掻き消えた。

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