表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/31

第19話:止まった時計と、新たな絆


 聖域の崩壊から一週間。


 私たちは、埃の積もった『工藤探偵事務所』に戻っていた。


 窓から差し込む午後の光は、あの日と何も変わらない。


 けれど、部屋の隅にあるデスクは主を失い、そこには橘さんの警察バッジと、九条宗次郎から奪い返した「黒いファイル」が静かに置かれている。


「……おい、朱里。離れるなと言っただろ。……げほっ、げほっ!」


 キッチンでコーヒーを淹れようとした私を、鋭い咳き込みが呼び止める。


 ソファに座る蓮司さんの顔色が、一瞬で青白くなっていた。


「あ、すみません! ちょうど二十五メートルくらいでしたね」


 私は慌てて蓮司さんの隣に戻る。


 彼が生き返ってから判明した、新たな呪い。


 スペアを失った蓮司さんの肉体は、器である私から供給される霊力なしでは維持できない。私から半径二十五メートル以上離れると、彼の心臓は文字通り止まろうとするのだ。


「……ちっ。死んでいた時より不自由だ。……トイレに行くにもお前の許可がいるとはな」


 蓮司さんは毒づきながらも、私の淹れたコーヒーを一口飲み、ふう、と息をついた。


 その左手首には、橘さんが最期まで身に着けていた、あの止まったクロノグラフが巻かれている。


「……寂しいですね、蓮司さん」


「……あぁ。あのバカがいないと、事務所が広すぎて落ち着かない」


 私たちが、届くはずのない親友への思いに耽っていた、その時だった。


  「――いつまでも湿っぽい面してんじゃないよ、このガキ共は!」


   勢いよくドアが開き、お婆ちゃんがドカドカと入ってきた。


 その後ろには、なぜかニヤニヤと笑う母・沙也加の姿もある。


「お婆ちゃん!? 山に帰ったんじゃ……」


「帰る前に、あんたたちに『忘れ物』を届けに来たのさ。沙也加、出しな」


「はーい、ママ。……ほら、慎一くん。いつまでその中に引きこもってるのよ」


 母がライダースのポケットから取り出したのは、小さな、けれど複雑な術式が彫られた瑠璃色の香水瓶だった。


 母がその栓を抜いた、次の瞬間。


 ひゅんっ、と。


 事務所の中に、見覚えのある「大きな影」が膨れ上がった。


「…………え?」


「……はぁ、……やっと出られた。……沙也加さんのポケット、ガソリン臭くて死ぬかと思った……」


 そこに立っていたのは。


 少し透き通った体で、頭を掻きながら困ったように笑う――橘さんだった。


「た、橘さん……!? どうして……だって、あの時……!」


 私は驚きのあまり、持っていたカップを落としそうになった。


 蓮司さんは目を見開き、ソファから立ち上がろうとして、足がもつれて転びそうになっている。


「驚いたかい。慎一くんが自分を刺した瞬間、その魂が霧散する前に私が『御影の秘術』で捕まえておいたのさ」


 お婆ちゃんが不敵に笑い、数珠を鳴らす。


「九条の血筋は肉体と共に滅びたが、その魂はまだ使い道がある。……慎一くん、あんたは今日から、この探偵事務所の守護霊として働きな。いいかい、成仏なんて許さないよ。こき使ってやるからね」


「……というわけで。……戻ってきたぞ、蓮司。朱里さん」


 幽霊となった橘さんが、かつての自分のデスクに腰を下ろした。


 生前よりも少しだけ透明だが、その眼差しは変わらず温かく、そして正義感に満ちている。


「……橘、貴様……。どこまで俺の邪魔をすれば気が済むんだ……」


 蓮司さんは震える声で毒づいた。けれど、その瞳からは大粒の涙が零れ落ちている。


 彼は自分の腕の止まった時計と、目の前の親友を見比べ、初めて、心からの笑みを浮かべた。


「……ふん。いいだろう。……元幽霊と、現役幽霊。……最高のチームじゃないか」


 鳴り響く、電話のベル。


 私は受話器を取った。


 それは、街の至る所で目撃されている、あの「赤い香水の女」についての新たな依頼だった。


「工藤探偵事務所です。――ええ、お任せください。……こちらは、最強の三人が揃っていますから」


 私は蓮司さんを見、そして橘さんを見た。


 復活した名探偵、工藤蓮司。


 最強の幽霊刑事、橘慎一。


 そして、二人を繋ぐ霊媒師、御影朱里。


 二十五メートルの鎖に繋がれた私たちの、本当の反撃は――ここから始まるのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ