表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/31

第18話:魂の帰還、慟哭の再会


 ――ドクン。


 止まっていた時計の針が、狂ったように動き出す音がした。


 視界を埋め尽くしていた黄金の光が、急速に一箇所へと収束していく。


 空中を漂っていた蓮司さんの霊体が、砕け散った硝子の棺の中――横たわる自らの肉体へと、吸い込まれるように沈み込んだ。


「……っ、が……はぁっ! げほっ、げほっ!!」


 凄まじい肺の痛みと共に、蓮司さんが跳ね起きた。


 数週間ぶりに吸い込んだ空気は、焼けるように熱く、そして驚くほど生々しい「命」の味がした。


「……れ、蓮司さん……?」


 私は震える声でその名前を呼んだ。


 蓮司さんは、自分の掌を何度も握り締め、それからゆっくりと自分の胸に手を当てた。


 そこには、幽霊の時にはなかった、確かな、力強い心音が刻まれている。


「……あぁ。……重いな。……体ってのは、こんなに重かったか」


 掠れた声。けれど、それは間違いなく、空気を震わせて届く生身の人間の声だった。


 復活。


 奇跡は起きた。橘さんが命を賭けて、親友を現世に引きずり戻したのだ。


 けれど、蓮司さんの瞳が私を捉えた直後、その視線は足元に転がっている「もう一人の親友」へと移った。


「…………橘?」


 蓮司さんは、まだ自由の利かないボロボロの体を引きずるようにして、棺から転がり落ちた。


 そして、冷たくなり始めた橘さんの亡骸を、その逞しい腕で力一杯抱きしめた。


「おい、橘……。起きろよ。……お前、俺を生き返らせて満足か? 最後に一言くらい、文句を言わせろよ……!」


 蓮司さんの叫びが、無人のホールに虚しく響く。


 生身になった彼の目から、大粒の涙が溢れ出し、橘さんの動かない頬を濡らした。


「バカ野郎……! 独りよがりなんだよ、お前は……! 最後まで、俺に貸しを作りやがって……!!」


 蓮司さんの震える指先が、橘さんの左手首に触れた。


 そこには、かつて蓮司さんが生前愛用し、橘さんが引き継いでいた地味で頑丈なクロノグラフが巻かれていた。


 以前、蓮司さんが「勝手に使うな、オーバーホールの時期なんだ」と怒っていた、あの時計。


 衝撃で風防には蜘蛛の巣状のひびが入り、針は橘さんの鼓動が止まったその瞬間に停止している。


「……返してもらうぞ。これは、俺のだからな」


 蓮司さんは、震える手でその時計を外し、自らの腕に巻き直した。


 それは、天才探偵としてではなく、一人の男としての、魂の慟哭と誓いだった。


  聖域の崩壊


 悲しみに浸る時間は、一秒も残されていなかった。


 主である宗次郎を失ったことで、屋敷に固定されていた「門」の力が暴走を始めたのだ。


 バリバリバリッ!!


 天井から巨大な亀裂が走り、異界の紫色の霧が滝のように流れ込んでくる。


「――あんたたち! 泣いてる暇はないよ! この屋敷ごと地獄へ連れて行かれたいのかい!」


 階段の上から、お婆ちゃんの鋭い声が飛んだ。


 彼女は数珠を限界まで引き絞り、迫りくる異界の圧力を必死に押し留めている。


「沙也加! あんた、さっさと二人を連れて行きなさい! ここは私が……っ」


「ママ、無理しないで! 慎一くんが血を流して術式を壊してくれたんだから、あとは私たちが逃げるだけよ!」


 母がバイクのエンジンを吹かし、ホールの中心まで突っ込んできた。


 蓮司さんは、橘さんの亡骸に最後の一瞥をくれると、力強く立ち上がった。


「……行くぞ、朱里」


 蓮司さんが私の手を掴んだ。


 熱い。


 火傷しそうなほどに熱く、力強い手のひら。


 かつてはすり抜けていたその手が、今は私の骨が軋むほどの強さで握りしめられている。


「……はい、蓮司さん!」


  二十五メートルの異変


 崩れ落ちる回廊を、蓮司さんに引かれるままに走る。


 背後では「門」がすべてを飲み込むブラックホールのように広がり、聖域を内側から食いつぶしていた。


「出口はあっちだ! 走れ!!」


 蓮司さんの背中を追いかけ、崩落する庭園へと飛び出したその時。


 一瞬、蓮司さんの足が止まった。


「……っ、が……っ!?」


 蓮司さんが突然、胸を押さえてその場に膝をついた。


 顔面は蒼白になり、全身から滝のような冷や汗が吹き出している。


「蓮司さん!? どうしたんですか!」


「……わから、ない……。急に、鼓動が……止ま、りそうに……」


 私は慌てて蓮司さんに駆け寄り、その体を抱きかかえた。


 不思議なことに、私が彼に触れた瞬間、蓮司さんの呼吸は劇的に安定した。


「……朱里。お前、離れるな」


「え……?」


「お前から離れると……魂が、肉体から剥がれ落ちそうになる……。橘が血を流して呪いを上書きしたが……代償は残ったか」


 スペアを失った「器」と「魂」。


 三人のバランスが崩れた今、蓮司さんの命をこの世に繋ぎ止める楔は、朱里の霊力だけになっていた。


 ――半径二十五メートル。


 かつて幽霊だった彼が移動できた限界距離が、今度は「肉体を維持するための生存圏」へと姿を変えていた。


「ハッハー! 密着デートは後にして! 全員、伏せなさい!!」


 母の叫びと共に、背後の屋敷が凄まじい轟音を立てて爆発した。


 異界の力が臨界点に達し、すべてが虚無へと吸い込まれていく。


 私たちは夜明け前の静まり返った街に放り出され、ただ燃え盛る屋敷の残骸を見つめていた。


 朝日が、ゆっくりと地平線から顔を出す。


 その光は、犠牲になった橘さんの魂を、優しく弔うように輝いていた。


「……終わったんですね」


 私は、隣で荒い息をつく蓮司さんの肩を支えながら呟いた。


「……あぁ。……いや、ここからだ」


 蓮司さんは、腕に巻いた止まったままの時計を、愛おしそうに撫でた。


「俺たちが、あいつの生きた証を……守っていくんだよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ