表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/33

第14話:優しい嘘の終焉


囲炉裏の火が、爆ぜた。


お婆ちゃんが去った後、座敷には耐え難いほどの沈黙が降りていた。 私は、冷たくなった蓮司さんの位牌を抱きしめ、畳の上にうずくまる。


自分の袖口からは、あの甘く不気味な『赤い花』の香りが、刻一刻と強まっていた。 お婆ちゃんの言った通りだ。私は――私は、人間ですらない、ただの『器』なのだろうか。


「……朱里」


位牌の中から、掠れた声が響いた。 今まで沈黙を守っていた蓮司さんの姿が、位牌のヒビから漏れ出す青い光と共に、ゆっくりと実体化する。


けれど、その姿は驚くほど透き通っていて、今にも風に溶けてしまいそうだった。


「蓮司さん。……どうして。どうして、私に何も言ってくれなかったんですか」


私は震える声で問いかけた。 あの日、突然突きつけられた解雇通告。 冷たい瞳。残酷な言葉。 あの日からずっと、私の心には消えない傷が残っていた。


「……言えるわけ、ないだろ。……お前が九条の『器』で、橘がそれを安定させる『スペア』だなんて」


蓮司さんは、力なく笑った。 彼が語り始めた真実は、あまりに悲しい『嘘』の積み重ねだった。


九条宗次郎が狙っているのは、朱里という器に異界の存在を降ろし、橘というスペアでその力を制御すること。 そして、二人が共に過ごし、強い絆を結ぶこと自体が、儀式の成功率を高める『苗床』になってしまうということ。


「俺がそばにいれば、お前ら二人は自然と引き寄せられる。……俺が最強の探偵としてお前らを守れば守るほど、九条の筋書き通りに儀式の準備が整っていくんだ」


蓮司さんは、苦しげに顔を歪めた。


「だから……嫌われるしかなかった。お前を罵倒して、探偵の世界から追い出して、橘からも遠ざける。俺が『最低の男』になって二人の縁を切り裂くことだけが、九条の計画をぶち壊す唯一の方法だったんだよ」


あの日、蓮司さんが流した冷たい涙の理由。 私を守るために、彼はたった一人で『悪役』を演じ続けていたのだ。


ーー


「……馬鹿ですよ、蓮司さん。本当に、大馬鹿だ」


襖の向こうから、低い声が響いた。 橘さんが、静かに部屋に入ってくる。その拳は、血が滲むほど強く握りしめられていた。


「お前、一人で何を背負ってやがったんだ。……俺たちを、そんなに信じられなかったのか」


「……あぁ、信じていたさ。……お前らが、俺を憎んででも、まっとうな世界で生きてくれるってな」


蓮司さんと橘さん。親友同士の視線が、虚空で重なる。 幽霊と、人間。 触れることすらできないけれど、そこにはあの日失われたはずの絆が、確かに戻っていた。


「でも、結局こうなった。……俺が死んで、幽霊になってお前の元に戻った瞬間に、俺の勝ち(プラン)は全部台無しだ。九条の言う通り、俺は今や、お前の命を吸って現世に留まる『寄生虫』にすぎない」


蓮司さんの姿が、チカチカとノイズのように明滅する。 お婆ちゃんの言う通り、彼を成仏させることが、私を救う唯一の道なのかもしれない。


「……嫌です」


私は白木の位牌を、さらに強く抱きしめた。


「私の命なんて、いくらでもあげます。蓮司さんがいなくなったら、私は……! 器だって何だってなります! だから、勝手にいなくならないで……!」


「……朱里。お前、本当に無能だな。……自分の命より、こんな板切れの方が大事なのかよ」


蓮司さんの口調はいつもの不遜なものだったけれど、その瞳には、隠しきれない情愛が溢れていた。 彼は透き通った手を伸ばし、私の頬を撫でようとする。


けれど、その指先は温度を伝えることなく、空しくすり抜けていった。


ーー


その時だ。


ドォォォォォン!!


家全体を揺らすような、凄まじい衝撃が走った。 囲炉裏の火が吹き消され、座敷が深い闇に包まれる。


「――来たねぇ。しつこい連中だよ」


廊下から、お婆ちゃんの鋭い声が響く。 窓の外。 御影家の強力な結界を、文字通り『腐らせる』ほどの赤い霧が、押し寄せていた。


むせ返るような、赤い香水の匂い。


「……見ぃつけた。……器の娘。……スペアの息子。……そして、出来損ないの亡霊」


障子の向こうに、あの『赤い香水の女』の細長い影が映る。 彼女の手には、九条宗次郎から授かったであろう、霊力を強制的に引き出す『呪具』が握られていた。


「朱里、位牌を持って俺の後ろにいろ!!」


橘さんが叫び、護身用の警棒を構える。 蓮司さんも、消えかかっている体を奮い立たせ、鋭い眼光を闇に向けた。


夜明けまで、あと数時間。 お婆ちゃんの儀式が始まる前に、九条の牙が私たちの喉元に届こうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ