自己満の
タイムラインを眺めていると、また彼の投稿が流れてきた。
「需要あるって言われたけど、これってみんな好きじゃないよね。」
そんな一文を添えて、やけに整った写真を載せている。
スクロールする指が、そこで止まった。
嫌悪というより、胸の奥にじわりとした不快感が湧いて、呼吸が少しだけ浅くなる。
まるで「本当はみんな欲しがってるんだろ?」と、遠回しに確認しているようなその言い方。
卑屈を装った自信。
自信を隠した卑屈。
どちらにせよ、誰かに「そんなことないよ」って言わせるために置かれた仕掛けのようで、どうしても好きになれない。
もちろん、本人はそんなつもりじゃないのかもしれない。
傷つく前に保険をかけているだけかもしれない。
否定されることに怯えて、先に自分で自分を軽く蹴っておく、あの癖。
わかるよ、わかる。
私だって昔はやっていた。
「どうせ大したものじゃないけど」
「下手だけど」
「誰も見ないと思うけど」
そんな前置きを盾にして、内心では“誰かに肯定してほしい”と勝手に期待していた。
でも今は、その感じがもう耐えられない。
あれは、自分の中の弱さを隠しているようで、逆にむき出しにしている表現だ。
そして、他人を巻き込んで承認欲求の穴を埋めようとする仕組みでもある。
「そんなことないよ」
「好きだからもっと見せて」
そう言わせるための伏線。
そう言わない人に対しては、心の中で勝手に「やっぱり誰もいらなかった」と傷つく。
自分で落とし穴を掘って、自分で落ちる。
それを誰かに見せる。
そのたびに、世界に小さいため息を増やしている。
画面を閉じた。
青白い光が消えて、部屋の空気がひとつ静かになる。
嫌悪なんて強い言葉を使いたくはないのに、どうしても胸の内側から押し上げてくる。
たぶん私は、彼の投稿そのものが嫌いなんじゃなくて、ああいう表現をしていた“昔の自分”が嫌なのだ。
過去の自分の影が、他人の姿を借りて目の前に現れる。
それを見ると、自分がまたあそこに戻ってしまうような気がして、居心地が悪くなる。
思えば、あの頃の私は「嫌われたくない」よりも、「好かれてる実感がほしい」でいっぱいだった。
“好かれるための言葉”を探す癖がついていたし、
“嫌われないための言い訳”を常に用意していた。
そういう投稿をすれば、誰かが優しい言葉をかけてくれる。
安心したような気になる。
けれどその安心は、すぐに不安へと裏返る。
だって本当は、褒めてもらうために卑屈なふりをしていることを、一番よく知っているのは自分だから。
だから今、タイムラインで誰かが同じことをしているのを見ると、どうしてもチクリと痛む。
まるで、胸の奥の古い傷跡を指先で触られたみたいに。
でも、だからこそ思う。
人は誰だって、誰かに認めてほしい生き物だ。
不器用な表現を選んでしまうことだってある。
「これってみんな好きじゃないよね」
その一言に詰まっているのは、嫌味や挑発なんかじゃなくて、
ほんのわずかな寂しさと、
ほんのわずかな期待と、
ほんのわずかな臆病さ。
私はその投稿を閉じたまま、ゆっくり息を吐く。
嫌悪の向こう側にある感情に触れてしまえば、少しだけ見える景色が変わる。
それは好意でも、共感でも、許しでもないけれど、
ほんの少し距離を置いて眺められる余裕のようなもの。
画面の向こう側で、彼は今日も自分の小さな世界を守ろうとしている。
その方法がたまたま私の癇に障るだけで、責める権利なんてどこにもない。
ただ私は、その前置きの中にある“自分を守るための棘”が刺さってしまうだけだ。
それは、私がまだ完全に治っていない証だ。
スマホを机に置いて、深く息を吸った。
光から距離を取ると、世界がほんの少しやわらかく見える。
他人の投稿なんて、本来はただの一枚の絵のように流れていくものだ。
そこに立ち止まってしまうのは、私の中にまだ整理しきれていない感情があるから。
だけど、それも少しずつ変わっていく気がした。
他人の言葉に揺さぶられなくなる日は、案外近いのかもしれない。
コップの水をひとくち飲んで、呼吸を整え、
そしてもう一度だけスマホを見た。
彼の投稿はさっきのまま、静かに画面の中に浮かんでいる。
それでも、さっきよりは少しだけ軽い気持ちで、私は指を滑らせて次の投稿へと進んだ。




