私があなたに恋したように、あなたも私に恋したのだろうか。
(愚かだな。)
エレナの国第4王女、ラティナ・エレナは重罪人を捉えておく地下牢に捉えられていた。枷に擦られ手首からは出血しており、鞭で打たれた背中が痛々しい。それでも匂い立つほどの美貌は衰えず、むしろ鋭い剣のような美しさを増していた。
エレナの国は、北に隣接するイリスの国に戦いを仕掛けた。理由は簡単なこと。豪勢な生活がやめられない王侯貴族により傾いた国庫を、奪い取った豊穣な土地で正常化させようとしたのだ。
しかし、返り討ちにあい敗戦、エレナは戦犯として今現在牢に繋がれている。
エレナは父王の血も引いているが、母は平民だ。ラティナと瓜二つの美貌で当時はまだ王太子だったサラディバ・エレナの心を射止めた。卑しい生まれとして王城で冷遇されて育ったラティナはしかし、炎の精霊の加護を持ち、自在に苛烈な炎を操ることができる。忌み嫌われるラティナが戦場に立たされることになったのは自然の理といえよう。
(愚かだな。)
ラティナは思う。父王に戦を仕掛けるよう唆した傾国の魔女として、ラティナはイリスの国に引き渡されるだろう。そしてそこで処刑されるのだ。きっと、絶対に、そうなる。そうなるのが筋だ。
なのに、希望が心から消えない。
ラティナは戦場で運命の出会いを果たしていた。相手はイリスの国の第3王子であるリシオン・イリス。かの君もまた王子でありながら剣を手に戦場に颯爽と現れた。
ラティナとリシオンの攻防は激しかった。戦線を押し返し押し返される。多くの血が流された。特にラティナは炎を、リシオンは雷を操るから、ふたりの戦いにはどんな歴戦の猛者でも間に入ることは許されなかった。
長期戦に入ると国の地力が試される。戦線の戦士たちを支えるだけの資金も物資も、エレナの国にはなかった。後方からの支援が途絶え、ラティナは敗走した。生き残った兵を無駄死にさせるわけにもいかず、王都に逃げ帰ってきた。それも激しく父王に叱責されたが、すぐさまリシオンに王城を包囲され怯えた王は慌てて娘を牢に繋いだ。
今頃地上は敗戦処理に追われているだろう。どのような条件を飲まされるのか、このエレナの国は国として存続できるのか、ラティナには皆目見当もつかない。
噂ではイリスの国の王は女好きの愚王だと聞く。しかし、リシオンの理知的な瞳を見ると、そうでもない気がしてくる。
父王はリシオンと相対しているのだろうか。戦を仕掛けてきた愚かな王を、彼はどう思っているだろうか。
(愚かだな。)
ただそれだけを胸中で繰り返す。もう己は全ての罪を押し付けられ死ぬだけだというのに、リシオンがここから救い出してくれるのではないかと夢見てしまう。
互いに剣先を突きつけあったあの時間は、ラティナにとっては逢瀬の時間だった。リシオンにとってもそうであったらいいのにと、甘い願望が首をもたげる。
「愚かだな。」
甘い希望を断ち切るように、声に出してそう言った。しかし乾いた口と喉ではうまく声にならなかったのか、見張りがラティナを振り返る様子はない。
コツン。
石造の階段を、誰かが下りてくる音がする。
コツン。
父王だろうか。またラティナを打ちにきたのだろうか。そうかもしれない。きっと自分に不都合な条約を飲まされてイライラしているだろうから。
(いや、父上ではないな。)
すぐに、足音が父王のものではないと気づく。あの男はもっとセカセカと歩くのだ。この足音はもっと落ち着いており、上品ささえ感じられた。
「見つけた。」
その声は、夢見た声だった。しかし、下手な希望を持つのはご法度だ。これから移送されるのかもしれない。でも、彼の手からであるならそれは幸せかもしれない。
そんなことを考えていると不意に腕が自由になり、体が前方に倒れた。それを優しく受け止められる。
ラティナは緩慢に顔を上げた。顔を上げるのが嫌になるほど弱っていた。視線の先に、求めた青い瞳があった。
「リシオン、殿下。」
「ただ、リシオンと。ひどい怪我だ、治療しましょう。」
リシオンはラティナの体を抱き上げると、地上に向かい階段を上がっていった。控えていた誰かがリシオンの後に続いているのがわかる。側近だろうか。
それからは早かった。どこぞの小綺麗な部屋に連れていかれて、治癒師から治療を受けた。治癒は風魔法の両分だ。炎の精霊より、風の精霊に好かれる人間の方が多いようで、簡単な擦り傷なら治せる平民もいる。
「新しい傷は治せましたが、古い傷の跡は消せません」
そんな会話が朦朧とする意識に聞こえてくる。状況がわからない。なぜリシオンが自分の下にやってきたのか、ラティナには混乱する体力も残ってはいなかった。
※
ふと、意識が浮上する。ベッドの天蓋が目に入った。こんな上等なベッド、今まで寝たことなどない。どこの部屋だろうかと、自分の城なのにわからなかった。
手を上げてみれば、手首の傷は綺麗に癒えていた。それをぼうっと見つめる。
(確か、リシオンがやってきて–。)
地上に出て治療を受けたのだ。そこから記憶がないから気を失ったのだろう。体を起こして大きな枕に背を預ける。ラティナは今清潔な白い寝着をまとっていた。誰が世話してくれたのだろうか。少なくともこの城にラティナの面倒を見てくれる者はいない。なら、リシオンが連れてきた誰かか。
「お目覚めになりましたか。」
そう声がかかって、ラティナは扉の方に苦首を巡らせた。そこにいたのは侍女だったが、見たことのない顔だ。困惑が伝わったのだろう、侍女は名乗った。
「イリスの国のシモン男爵が娘、メリア・シモンにございます。これからは私がラティナ様のお世話をさせていただきます。」
「–そうか、よろしく頼む。」
ラティナは凛と答えた。それに小さくメリアは笑んで、水差しから水をコップに移すと差し出してきた。
「お声が掠れています。お飲みになった方がよろしいでしょう。」
「ああ、ありがとう。」
確かに喉がカラカラで、ラティナはありがたく水を受け取った。久しぶりのまともな水分が喉を潤す。生き返るような心地に、ラティナは自然と目を細めた。
コップを空にすると、ラティナはメリアに問いかけた。
「私がどうなるか、メリアは知っているか?」
「ええ、存知ておりますが、それはご本人からお聞きになった方がよろしいかと思います。」
「本人?」
「はい、リシオン殿下から直接お聞きになった方が。」
メリアは力強くこくんと頷いて見せた。なぜだろう、すごく応援されている気がしてきた。年齢はラティナとそう変わらないように見えるメリア。彼女の瞳はキラキラしているように見えた。
「空腹ではございませんか?軽食をお持ちしますね。」
そういうと、メリアは連れていた護衛の兵士と一緒に部屋を出ていってしまった。力が抜けて、一層枕に沈み込む。ふぅと小さく息を吐いた時、バタバタと外が慌ただしくなった。
『–様、まだ–!もう少々–』
そんな声が聞こえる。力強い足音は慌てたような足取りで近づいてくる。扉がノックなしに開かれた。
そこにいたのはリシオンだった。黒い短髪、青い瞳。それは戦場で見た時と何も変わらない。ゆらゆらと、リシオンはベッドに歩み寄ると、力なく脇に膝をついた。うつむき、ぎゅっとシーツを握る。
「よかった。もう目を覚まさないかと。」
「お医者様は大丈夫だとおっしゃっていたではありませんか」
大袈裟ですね、と扉で青年が笑っていた。それに戸惑いながら、ラティナはリシオンの後頭部を見つめることしかできなかった。
「ほら、殿下。ラティナ様が困っておいでですよ。」
「ああ、すまない。」
顔を上げると、リシオンはラティナの許可を取りベッドに腰掛けた。
「どこから話しましょうか。」
そう呟きながら、視線をゆっくりと部屋に視線を走らせる。
「いえ、何から聞くべきか、でしょうか。」
その声は低く冷たく、ラティナは軽く目を見張った。
「殿下、まずは状況の説明を。」
青年が促してくれたおかげで、話が進みそうだ。ラティナも話してくれと目で訴える。
「そうですね。ご存じだと思いますが、この王城は私たちが占拠しました。今は講和条約を結ぶべく話し合いを進めているところです。」
「そうですか。」
あの父王が大人しく話し合いの席に着くとも思えないが、ラティナはとりあえず小さく頷いて答えた。
「しかし、あなたのお父上も手強い。なかなか調印してくれませんでした。」
「そうでしょうね。」
軽く頭痛がして、ラティナは額に指を添えた。
「いえ、あなたのせいではありません。」
言い方を間違えたと、リシオンは首を横に振った。しかし、すぐに真剣な表情をすると、説明を再開した。
「イリスの国の王、アララディア・イリスはエレナの国の支配を望んでいるわけではありません。条件を飲めば、今まで通り独立を認めるつもりです。」
「条件?」
ラティナは戸惑った。今後の独立を認めるほどの条件とはなんだろうか。港を譲るとか?しかし、エレナの国の港は砂漠を越えないといけないため使い勝手が悪い。
「はい。あなたに関わることです。」
「私が条件?」
「はい。–私の妻になっていただけませんか?」