第二話 シートの黒い影(四)
駐車場の脇に、黒い軽自動車がある。平井は、それでこの二人の恩人が駆けつけてくれたと知った。落下する彼を抱き留めてくれた霧島譲葉に礼を言った。長身で結構なイケメンの譲葉は、ふだんは今のような背広のサラリーマンだが、時折こうして闇介イチロウの手助けをする。
電柱から降りてきた闇介が、平井に笑いかけてきた。
「よかった、なんとか間に合ったね」
だが、向かいの譲葉は妙にご機嫌ななめだ。
「まったく、あっちの仕事が済んでないのに、お前が逃げ出すもんだから。先方は絶対怒ってるぞ」
「お札貼っといたし、大丈夫だよ。それより、こっちのが大事だ」と、無残にへこむバンまで行ったが、顔を振って戻った。
「ダメだ、全員死んだ」
「じゃ、サンプルはナシか……」
と言ったとき、譲葉は少年がうつむいて震えているのに気づいた。平井はボロボロ泣き出して言った。
「ぼ、ぼくのせいだ」
「えっ」
「ぼくが、あいつらを呼んだんだ」と、しゃくりあげる。「ぼくのせいで、あの影たちが……それで、秋山が、みんなが……」
譲葉は闇介を見たが、彼は黙ったまま平井を見つめるだけだ。
「ほ、本当は、誘われたとき、ちっともうれしくなかった。すごく悲しくて嫌だった。本当は今日、来たくなかったんだ」
両手で顔を押さえ、泣きながら続ける平井。
「あいつらが本心では妬ましかった。恨んでさえいた。なんで今さら、こんなぼくなんか誘うんだ、ふざけてんのか、どうせ冷やかしのつもりだろ、って。本当は、そんなこと全然なかったのに……」
そして、拳を堅く握りしめて足元を見つめる。
「……だから、ぼくのそんな心がきっと、あの化け物たちを呼んだ。そうに決まってる。きっとそうだ。ああ、ぼくはなんてことを……」
「ちがうよ」
闇介は真顔で言った。
「あいつらは、ただの闇の存在で、人に乗り移って悪さする連中だ。君は何も関係ない」
「ほ、ほんと……?」
顔を上げる平井に、闇介はうなずいた。隣で譲葉が何か言おうとしたが、手で制した。
「よ、よかった……」
平井は、ほっとした。
だが、ふとバンの方を見たとたんに、顔色が変わった。
(あれ、待てよ……?)(影は全部の席にいたよな。ぼくが乗らなかったということは……)
まだ一匹、残っている……!
「まあ、気にすることないよ」
平井が見れば、闇介がそう言って、電柱に寄りかかろうとしていた。
「奴らは憑依対象が死ぬと消えるから。もうここには――」
電柱には、あの人型の黒い影がべったりと張り付いている。平井が「あっ!」と叫んだときはもう、闇介は恐ろしい怪物の上に背をもたれていた。
(しまった――!)と譲葉も気づいたが、遅かった。闇介の顔つきは突如まがまがしく豹変し、離れた電柱はまっさらで、もう影はなかった。
「は、入りやがったな!」
歯噛みする譲葉に、闇介は猫背になり、うめくような不気味な声を発した。
「ひひひひ、この社会に適合するムカつく会社員の陽キャめ! どうせ俺のことを笑ってやがるんだろう!」と指さす。
「ば、バカ、そんなわけないだろ! 闇介、目を覚ませよ!」
相棒の必死の言葉にも、まるで耳をかさない少年。
「うるせえ! お前なんか大っ嫌いだ! 今すぐここで殺してやる! そこで転がってるリア充どものようにな!」
そして吹き矢を取り出したので、譲葉は平井をかばって前に出た。
「こ、こいつは陰キャだし、仲間だろ? やるなら俺だけにしろ!」
「同業なんでしょ?! なんとかならないの?!」と平井。
「すまん、俺はこいつの付き人みたいなもんで、運転しかできないんだ」
「まぁた、カッコつけてかばいやがって!」と怒鳴る闇介。「お前のそういうとこがムカつくんだよ! 死ね!」
そして矢をくわえる。
「いつもの麻酔じゃないぞ。猛毒だから、確実に死ぬ! ざまあみろ!」
「うわああー!」
だが、譲葉が叫んで手でさえぎったとき、不意に闇介は自分の口に左手の指を突っ込み、中から黒く細長い塊をずるずると引き出して、地面に叩きつけた。
「ぼくに取り憑くとは、いい度胸だ」
そう言うとしゃがみ、矢を右手で影にぐさりと突き刺した。影はびくびくと痙攣し、串団子一個ほどの大きさに縮んで固まった。
それをビンに入れて蓋をすると、彼は驚く二人に、にやっと笑いかけた。
「サンプルが取れてよかったよ。平井くんのおかげだ」