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闇の隙間  作者: 白夜
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第一話 螺旋階段(四)

 翌日の午後三時前。例のマンションの敷地の奥、ブロック塀の囲いの前に来た女装の少年は、黒いスーツ姿の譲葉の姿を認めると、「はあ」とため息をつき、半目で眉をひそめ、腕組みして聞いた。

「入口で待ってて、って言わなかったっけ?」

「そうだっけ? てっきり貯水槽の入り口の前、だと思ってた」

 しれっと答える男に、少年は目を閉じ、額を指で押してまたため息をつくと、顔をあげ、いささか厳しい目を向けた。

「君が操られて襲ってきたら、躊躇なく矢をぶち込むから、覚えといてね」

 言いつつ塀の囲いにあいた入口に進むと、譲葉もついてきた。

「俺を気絶させた、あの吹き矢のことか?」

「ああ」と中に入る。「矢に塗ってあるのは麻酔みたいなもんで、相手を眠らせる。霊や妖怪のたぐいにも効くけど、基本、毒で殺したりはしない。よほど、たちがわるいとき以外はね」


 貯水槽は小屋ほどの大きさの四角いタンクで、まわりを塀でぐるりと囲ってあり、民家のドアくらいの幅の切れ目から出入りするようになっていた。天井もあるので、中は昼でも薄暗い。少年はタンクの壁を懐中電灯で照らして言った。

「見た感じ、ものすごく古いし、めっちゃ汚れてる。何年も放置してあるな、これは」

「なんだ、あの客が言ってたのと真逆じゃないか」

「思わず逆を言っちゃったんだろうね」と、タンクの壁に細い鉄製のはしごがついているのを見て、屋根を見上げる。おそらく、あそこに中に入れる蓋がある。「ここなら、人目もなく、なんでも隠せる」

 聞いて譲葉の目は見開いた。

「ま、まさか、それじゃあのオヤジ、この貯水槽の中に、あの子の――」

 少年は答えようとしたとき、入口に誰かが立っているのに気づいた。譲葉も振り向き、またも驚いた。彼が冷房機を売った、あの四十前の男だった。


「なにしてんだ。不審者は通報するぞ」

 そう言う男は黒い銃を握り、二人に銃口を向けている。中が薄暗いのではっきりとは見えないが、痩せ型で、上は黄色っぽいセーターに、下はだぼっとしたズボン、顔はごつい輪郭で髪が薄く、額が出ている。その目は細く鋭く、口元が妙に笑って見える。外見はよくいる無骨なオヤジだが、手にある凶器のせいもあって、かもす雰囲気はまがまがしく、猛獣のようなヤバいオーラを放っている。バスや電車で向かいに座ってほしくないタイプだ。

 譲葉があわてて教えようとしたが、少年には相手のことはお見通しのようだった。最悪の状況にもかかわらず眉ひとつ動かさず、少しも動じている様子がない。だが、吹き矢が銃に勝てるとは思えないので、譲葉はビビリまくった。

「ご、誤解ですよ〇〇さん!」と、必死に手を振ってごまかそうとする。「やだなあ、そのう、点検してたんですよ! ほら、お買い上げの商品が適切に動くかどうか。うちは念を入れろって、ほんとうるさくてね」

「やっぱりてめえ、おまわりだったんだな」

「はあ?!」

 いきなりの一言に目を丸くする譲葉。にらみつけて苦々しく言う男。

「ったく、嗅ぎまわってるとは思ってたが、ここまでバレてるとはな」

「ち、ちがいますよ! ななな何を言っておられるんすか?!」と顔をぶんぶん振る営業マン。「ぼ、ぼくはただの家電売りで、警察だの、そんなのとは、なんの関係も――」

「娘さんを、この中に捨てたね?」


 少年がさえぎると、男は口元を吊り上げた。

「こいつは、ほんとにいい貯水槽だ。なに隠しても、三年はバレねえ。上の蓋に鍵がねえからあけ放題だし、ここでなにやらかしても外からは見えねえ。こういう、おあつらえ向きの場所を探してたんだよ」

「どこへ行っても追ってくるからね。あの子は、そうとうあんたを憎んでるから」

「なんだてめえ、なにもんだ?!」と、ぎょっとしたように怒鳴る。「なんで、そこまで知ってる?!」


 うなるように言って歯噛みしたが、すぐまた邪悪な笑みに戻った。

「まあいい、どうせてめえらもこん中で、あいつと仲良く骨になるんだ。あのガキは、とうに腐ってドクロだがよ」

「君の娘じゃないの?」

「おれんだよ。だからなんだ? 邪魔になったから、やった。よくあるこったろ」と、自慢するような口調になる。「うちの組織は、金に厳しくてな」

(は、反社だ! 本物だ!)

 相手がモノホンのヤクザと知り、譲葉は凍り付いた。一般人のように躊躇せずに、平気で人を殺せる恐ろしい連中と聞いた。だが、隣の相方は気にもしていないようだ。


「元はと言やぁ、女房がわりぃんだよ」と続ける反社。「あのヤロウが、仕事の分け前をくすねるようなことすっから。今頃は、どっかの山の土ん中で骨に――あ、俺がやったんじゃねえぜ? 

 そしたらよ、まゆ―—いや、あのガキ、それ感づきやがって。ママをパパが殺しただの、しまいにゃ警察にバラすだの、ほんとうるせえもんだから、ついな。そんとき住んでたマンションの――部屋が一番上の階だったんで、そこから出てな――目先の非常階段の踊り場から、ぶん投げたのよ」

 譲葉は聞くうちに、隣の少年の顔が、どんどん悲し気になっていくのに気づいた。

「でもすぐ頭が冷えて、こりゃやべえと思って、急いで降りて部屋に持ってったんだが――もちろん即死だったよ――で、仕方ねえから、トランクに詰めて、まあ、あしたにでもどっかに捨てりゃいいか、って軽く考えてたんだ。そしたらよ」


 この先は、普通ならおののき顔で話すはずの恐ろしい内容だったが、この男の場合は、たんに迷惑そうに顔をしかめるだけだった。

「まゆ――じゃねえ、あんガキがよ」

「まゆかちゃん……じゃ、ないの?」

 少年が押し殺すような声で聞いたので、譲葉はぎょっとした。短い付き合いだが初めて聞く、深い怒りのこもった声だった。

「名前なんざ、どうでもいい! あの糞ガキ、翌朝にゃ、もう住人を三人も殺しやがって。そんで、んなとこにいられねえってんで出てくと、どこ行っても住人を階段から落としやがる。俺が行くとこ行くとこ、幽霊だらけだぜ。それも似たような階段つきのマンションしか入れなくてよ。ちがうとこに行きゃぁ、おまわりが来たりして全部ダメになるし。ほんと、勘弁してくれよ。

 だいたい、俺のせいじゃねえよ。みんなまゆかが悪いんじゃねえか。あいつが黙っておとなしくしてりゃ、こんなことにゃならなかったんだ。俺ぐらい不幸な男もいねえぜ、まったく」


 彼がすねたように口を突き出すと、少年は目を閉じ、お経のような言葉をするすると発した。その声は低く単調だったが、同時に限りなく温かく、力強かった。

「……まゆか、こんな糞でクズでゴミのカス野郎は、恨み、憎み、復讐し続けてさしあげる価値なぞ、みじんもない。けど君には、たった一人の父親なんだよね。その愛する心の裏返し、彼をその手に入れる仕事を、ぼくは手伝ってあげたい。

 まゆか、君は素晴らしい存在だ。その真実は、ほかの誰にも、神様にも否定できない。ぼくは君の手助けがしたい。かけがえのない、君というものの――」

「なんか気に障ること言いやがったな、おい!」

 男が怒りに顔をゆがめ、カチリと撃鉄を引いたので、譲葉はあわてた。

「待ってくれ、殺すなら俺だけにしてくれ! この子は関係ないんだ!」

「言われなくたって、二人仲良く、あのタンクの中へ――」

 不意に彼の動きが止まった。


 背後に誰かいると知り、それが誰なのかすぐにわかった男は、たちまち目をむいて口があんぐりあいた。彼の肩の後ろに黒い影がゆらめくのが見え、譲葉には、それがあの子だとわかった。

「パ……パパ……」

 低くうめくような声に男の右手が下がった瞬間、少年は矢を吹いた。矢は手首にあたり、銃が落ちた。「て、てめええ!」と叫んだが、それは少年にではなかった。男は「このガキ! ちくしょう!」と叫びながら外に飛び出した。はじめ影を追いかけているのかと譲葉は思ったが、逆だった。「やめろ! 来んなバケモノ!」と怒鳴り声が響き、カンカンと階段を上がる音が聞こえた。非常階段はこの隣にある。父親は娘の霊に追われて叫びながら、螺旋の階段をぐるぐると駆け上がり、声が遠のいて一番小さくなった。

「やめろお、人殺しいいー!」

 叫びがあたりにこだましたあと、地面にどさっ、という鈍い音がして、静かになった。


 少年は外に出てすぐ戻り、恐怖に立ちすくむ譲葉に言った。

「死んでるよ」

 慣れっこのようなその顔に、譲葉は紛争地帯ででも育ったのかと思った。

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