第一話 螺旋階段(一)
登場人物
霧島譲葉……背広のイケメンサラリーマン。女性のような自分の名前を恥じている。
闇介イチロウ……素性不明の女装少年、セーラー服の男の娘。人間なのかも不明。心霊事件の現場にどこからともなく現れ、霊力を持つ吹き矢で解決する。
二十二歳になる、黒い背広にブルーのネクタイを締めたサラリーマン、霧島譲葉。長身でスタイルがよく、端正だが、クールさよりはむしろ親しみのわく柔和な顔立ちである。営業社員二年目で、客慣れしてきたせいもあるかもしれない。
春がやっと軌道に乗ったころで、その日の午後はあたたかかった。譲葉が外回りで寄ったマンションから出てきたとき、ふと敷地の奥のほうが気になった。ここへ来たときから、そっちには妙な感じがしていた。もう今日は終わりで、あとは帰るだけなので、ふらっと行ってみたところ、そこには赤さびた螺旋階段が、竜が巻き付くように天へ向かってぐるぐると伸びていた。このマンションの脇についている非常階段なのだが、その入り口へ来た時、彼はふと上が気になり、顔をひょいとあげた。とたん、後ろから右腕の袖をくいと引っ張られた。
ぎょっとして振り向けば、そこには中学生くらいに見える小柄な少女がいた。もさっと頬下まで垂れたボブヘアーに、丸顔で大きな目がくりくりした可愛い感じで、黒いセーラー服の下に見える白シャツの胸元から、ふっくらした黄色いリボンをたらしている。その長袖の口から出た、きゃしゃな手で彼の袖をつかんでいるのだが、視線を向けると、やっと離した。下はスカートでなく黒ズボンだが、最近の女子生徒にはよくあること。というか、そもそも男子生徒がセーラー服を着るはずもないが。
彼女は、真顔でしばらく彼を見つめていたが、いきなり口をひらいた。
「君……死ぬよ?」
「なっ―—!」
突然の死の宣告と、どう見ても自分よりはるかに幼いガキに、敬語もなくタメで言われた驚きとで、譲葉は言葉を失った。
が、すぐに(こんなことで熱くなっちゃいかん)と顔を振り、ここは大人らしく、冷静に対応することにした。
「ええと……死ぬって、どういうことかな?」と作り笑い。
「見上げてたでしょ、そこ」
あごで階段を指して言う。見かけどおりの女の子らしい柔らかい声だが、若干低めだ。そして言ってる内容は不穏そのもの。
「死ぬんだよ、そこ見てると」
「見てるったって、一瞬だけだよ」
「ぼくが引っ張ったからだよ」と、真顔で腕組みする。「でなきゃ君、ずーっと見てたじゃん」
「見てると、どうして死ぬことになるんだい?」
「前にあったんだ……」
眉をひそめ、話しだす。
「ある男性がさ。こういう階段を、今みたいに気になって見上げてた。すると最上階のところから、ツインおさげの小さい女の子がひょいと顔を出して、こっちをじっと見下ろした。その顔を見るや、彼は階段を一目散に駆け上がり、最上階から身を投げて死んだ。
後日、ほかの誰かがまたそこへ来て見上げた。すると、また最上階からあの子の顔がひょいと出た。そして、その下の階から、今度は身を投げて死んだ男性が、同じようにひょいと顔を出して、こっちを見下ろした」
「で、それを見た人も……」
「そう」とうなずく。「また階段をあがって……みたいに何度も繰り返して、その階段から見下ろす霊の数が、どんどん増えていったんだ」
「なんだ、よくある怪談話じゃないか」と苦笑する。「ここが、そうだっていうのかい?」
「だから見ちゃだめ、ほら」
そっちへ顔を向けた彼の袖をまた引っ張り、自分のほうに向きなおると、手を放した。
「ここじゃないけど……」
言って、嫌そうに階段の入口を見つめる。
「同じ感じがする」
譲葉はきょとんとした。こいつ、霊感みたいのがあるのか?
よくはわからないが、とりあえず変な子なのは確かだ。しかし今の言動からして、悪い奴でもないのも、また確か。
彼は、また幼い子供に接するように腰をややかがめ、笑みを作って言った。
「それじゃ君は、俺を助けてくれたわけだ。ありがとう」
だが相手は真顔でじっと見つめ、ぽつりと言った。
「ありがとう、なんて、全然思ってないでしょ」
無感情な目だった。
彼の顔は曇った。
やなガキだな。確かにそうだけどさ。
なにか心を見透かされたようで、不快になった。こんなガキに。
それで背を伸ばし、両手をポケットに突っ込むと、横目を向けて嫌みっぽく言った。
「そんなに危険なら、女の子がこんなところにいないほうがいいな。君も呪われるよ」
「ぼく、女の子じゃないよ?」
これには目が点になった。
確かに下はスカートではないし、少年でも構わないっちゃあ、そうだ。だがセーラー服はふつう女性用だし、それよりも、ある決定的なことがあった。髪は短いが、両のこめかみの部分に、ピンクのふわっとした花柄の髪留めピンが光っているのだ。ふつう男の子は髪をピンでとめないし、まして花柄だ。ちなみに足元も、女の子が履くような、かわいい濃いブラウンのローファーである。
また、相手の声が高いことも誤解を招いた。見た目は中学生くらいだが、小学生の可能性もある。どちらにせよ、まだ声変わり前なのだろう。
だがともかく、いくら子供相手でも、性別を間違うのが失礼にあたるのは事実。
彼は素直に頭を下げた。
「いや、ごめん。てっきり女の子かと」
「いいよ、よく間違われるし。ぼくほどかわいい子って、まずいないから」
「はあ……」
男と聞いて、最初は(見た目がかわいすぎて、母親なんかに強制されて女装でもさせられてるのか?)と疑ったが、そうではないらしい。たんに本人が好きでやっているようだ。なんだ、心配して損した。
「小学生と思った?」
「えっ」
不意に言われて固まる譲葉に、少年は自分を指して言った。
「高校一年生」
うそ。
と思ったが、そう言うんだから事実なんだろう。
そりゃ別に小柄な高校生がいても不思議はないが、そうなると、ある疑問がわく。声だ。
もし女だったら低い部類だが、逆に男だとすると、今度は高すぎる。十代半ばを過ぎても声変わりしていないのだろうか。それとも元々そうなのか。わからん。
というか、考えても仕方ない。そもそも相手の声がどうだろうが、自分には関係ないし。
気が抜けた彼は、「そう。それじゃ」と背を向けた。
が、歩き出そうとして振り返った。女の子のような男の子は去るでもなく、ただ突っ立ったままあごを引き、彼のほうへ、じいっと険しい視線を向けている。
あまりに気になったので、また向き直った。
「なんだい?」
少年は疑心に満ちた目のまま、ぽつりと聞いた。
「……ほんとに、なにも見なかった?」
「み―—見てないよ!」
思わず大声が出て、やばいと思った譲葉は、さっさとその場をあとにした。
彼はうつむき加減で、駅のほうへずんずん歩きながら思った。
(ああ、見たよ!)(さっきあの階段の一番上から)(ひょいっと何かが出たのを、な!)
だが、はっきり見たわけではない。袖を引かれてすぐ目をそらせたおかげで、記憶には黒い影のような残像しか残らなかった。だから、なにも見なかった、は明らかに嘘だ。
が、何か自分の落ち度のようで、生意気なガキに事実を言う気にはなれず、ついごまかしてしまった。かなり気まずかったが、歩くうち、気を取り直した。
まあ大丈夫だろう。少女の霊だかを判別もしなかったし。話では、見た男はそのまま階段をあがって飛び降りたそうだが、自分はこのとおり、なんでもない。うん、気にすることはない。
彼は駅前で立ち止まると振り向き、来た方向を見た。延び行く街道の先、ビルの谷間に見える夕日が、赤々と街を染めている。
しかし、変な子だったな。