『私が死んだら骨は翠に渡してくれ』
丘野碧は膨大な量のアルバムを前に立ち尽くしていた。
砂浜がすぐ目の前にある鄙びた家は、生前、叔父の青野一真が活動拠点にしていた作業場兼住居だ。
一真は海洋写真家として、今でこそ世界でも名が知れる人物になったのだが、碧が知っている彼は、最初で最後に会った20年前から何ひとつ変わらない、風変わりで破天荒な、ひと処に落ち着かない凧のような、そんな叔父だった。
そんな一真が先日、アメリカで亡くなったとの知らせを受けたとき、父がなんとも言えない安堵の息を漏らしたのが碧には忘れられない。
私はそんな叔父に似ている。いや、こんな出来損ないの自分と一緒にされたら嫌がるだろう。叔父は最後まで自分を貫いたのだから。そう思えてならない碧は、引き取り手のない一真の遺骨を密かに帰国させ、遺品を前に立ち尽くしていた。
「それにしても、すごい量の写真ね」
河野澄子はそう言うと、冊子や書類の山をかき分けて麦茶を差し出してきた。
「もう、どこから手をつけて良いやら……」
「その『翠』さんとやらの手がかりになるようなものよね?私も地元に赴任して3年になるのだけれど、……ご近所さんもまったく検討がつかないって」
「ですよねぇ」
キンキンに冷えた麦茶が美味しい。
五月下旬にして、その日は汗ばむほどの陽気だった。
碧が対峙するそこはオフィスとして使われていたとみえ、アルバムや資料が整然と並べられ、様々なカメラ機材がケースにしまわれていた。
室内は全体に白を基調としていたが、玄関ホールの壁に向かって濃淡の蒼い模様が写し出されている。海の中をイメージして作られたという天窓のステンドグラスは、一真が一目惚れして購入したものだと、いつかのインタビュー記事で読んだ。
その奥、カーテン一枚で仕切られたそこは一変して薄暗く空気が澱んでいるようだった。冊子や書類、はたまた衣類などが蟻塚のように積み上げられ、ストーンサークルのように円を描いている。その中央には2人掛けソファがひとつポツンとあるだけだった。
「叔父はここで寝起きをしていたんでしょうか?」
エスニック調のブランケットがきっちりとたたまれて置かれていた。擦り切れて入るものの、見るからに温かそうで、それにくるまって眠る一真が思い浮かばれる。
「そうね、とても気に入っているんだって言って、最期まで大事に使っていたわ」
「……叔父は苦しまずに逝けたんでしょうか」
「……そうであったと願ってる。いまでも。だから、最期のお願いは絶対叶えてあげたいわよね」
そう言って、澄子は手帳がしまわれた内ポケットに手を当てた。そんな彼女に碧は頷いた。
澄子は緩和ケアラーとして一真を担当し、彼の最期を看取ったひとりだった。
今までに色々な人を看取ってきた彼女は、化粧っ気のない、健康的なしっかりとした体格をしている。時々お節介なところがあるが、豪胆な性格は碧には頼もしいと感じており、だから叔父もこの看護師のことは信頼していたに違いない、そう彼女は確信している。
「……澄子さん、本当にありがとうございました」
「え?何?」
「あの日、私に叔父の遺書を届けてくれて……」
澄子は思い出したように苦笑した。
「こっちこそ碧ちゃん、ありがとうね。受け取ってくれて……」
あの日、近所で待ち伏せされたときはひやりとしたが、一真の最期の言葉を届けてくれた澄子には頭が上がらない。マットレスの下に挟まれてあった叔父の遺書を、やっとの思いで碧にまで届けてくれた人物だった。
「一真叔父さん、必ず翠さんに会わせてあげますから、安らかに眠ってくださいね」
蒼い天窓を見上げながら碧はつぶやいた。
「さっ、碧ちゃん、私、病院に戻る時間だわ」
澄子がポケットから鳴る呼び出し音を消した。
「今日は準夜勤ですか?」
「うん、そう。明日はお休みだから、息子と一緒に来るわね。重いものとか何でも運ぶのに使ってやってちょうだい」
「いつもすみません」
蟻塚を器用に跨ぎながら澄子は裏口から出て行った。
潮風が一周して室内に吹き渡る。
碧は意を決して手前の蟻塚に手を伸ばした。