真実の愛があれば男女の垣根なんて関係ないでしょう?
物語の一部にセンシティブな要素が存在しますが差別や偏見を助長する意図はございません。
また物語はすべてフィクションであり特定の人物や団体とも一切関係ありません。
「ウィーリア、悪いけど僕はこれ以上君とは一緒にいられない。だから婚約破棄させてもらう」
夜会の最中、そこかしこで交わされる出席者たちの歓談の中においても彼のカナリアを思わせるその美声はよく通った。
ミリアム=バルシア殿下。
王族の色でもあるサラサラと肩口まで流れる金髪に、澄んだ青空をそのまま透過したかのような紺碧の瞳。
すらりと均整の取れた肢体にはまるで余分な肉がついておらず、上質な仕立ての燕尾服をああも見事に着こなす様は実に上流階級の人間らしく、華麗な外見から醸し出される雰囲気もあいまってさながら精緻な芸術品かのよう。
そんなわたくしウィーリア=エルロンド伯爵令嬢の婚約者はしかし、将来のパートナーに対して蕩けるような愛の囁きではなく婚約破棄を切り出した。
「……突然なにを申されるのかと思えばそのようなこと。もしもご冗談なのでしたら、大事になる前にどうかご発言を撤回なさってくださいませ」
わたくしは冷静に殿下からの弁解を待つ。
婚約者として幼少のみぎりより顔を突き合わせていた彼はこのように突発的な言動をしでかすきらいがあった。
まったく、思慮がないというかなんというか。
そのたびに振り回されるのはいつだってわたくしだというのに、懲りないお方。
「いいや今度ばかりは僕も本気だよ。本気で君との婚約を解消したいと考えている」
確かにこの上なく真剣な表情。
どうやら本人の意志は既に固まっているらしく、いつもみたいにため息混じりでわたくしが彼の拙い言動を諌めておしまい、とはならないみたい。
「理由をお伺いしても?」
問いただしたところで詮のないことだと頭で理解しつつも、ひとまずこれだけは聞いておく。
まあ聞かされたところで納得できるかはまた別の話だけれど、少なくともわたくしに非がない場合に限り体裁を最低限保つことはできるからだ。
でなければ、わけもわからず一方的に婚約破棄をされてしまったとお父様に報告をするはめになる。
万が一そのようなことがあっては伯爵令嬢としての箔に傷がつくことは想像に難くない。
「僕は真実の愛に目覚めたんだ」
一拍置いてから殿下が口にしたのはひどく単純なもの。
単純であるがゆえに、明瞭かつ簡潔な婚約破棄の理由。
とはいえ、なんて自分勝手で、自由気儘で、自己中心的な内容なのでしょう。
まあ殿下らしいといえばらしい。
……それにしても真実の愛ときましたか。
まるでこの間殿下に連れられて鑑賞した劇の台詞のようでいて、思わずはしたなく口を開けて大笑いしてしまいそうになるのをぐっと堪える。
「お相手の方はどこのどなたなのですか?」
「いや名前までは知らない。さっき初めて見かけただけで、いわゆる一目惚れというやつなんだ。でも僕の運命の相手ならあそこにいる」
殿下が示した方を見れば、部屋の片隅で壁の花となっている者が一人。
その人物は確かに小柄で愛らしい容姿をしているものの、でもあの立ち振る舞いや体つきから察するにどう見てもお……いえ、殿下のご意志に水を差すのも無粋というもの。
代わりに尋ねるべきは別のこと。
「――ではわたくしとは偽りの愛だったとでも殿下はおっしゃるのですか」
「そうだ。君にとってもこれは父親が勝手に決めたただの政略結婚だろう。そこに当人の意志はなく、だから僕らの間に愛情も介在しない。違うかい?」
「その質問にはお答えしかねます」
本音を言えばわたくしとて、殿下に異性としての好意をもっていたわけではない。
お互いに用意されたお飾りの婚約者であり、それ以上でもそれ以下でもない。
兄や弟のような存在、或いは友人といった距離感とも違う。
言い方は悪いけれど腐れ縁と評するのがおそらく一番近いだろう。
けれども少なからず情はあった。
当然だ、殿下に対して一欠片も想いがないことは自覚をしていても、彼とはこれまでに家族ぐるみの関係を築いてきたのだから。
「ウィーリア、確かに君は同年代のどんな貴族令嬢より見目麗しく聡明で、それでいて男をたてる器量も持ち合わせていると父上や母上、それに弟からはすこぶる評判だったよ。だけど残念ながら君は僕の好みの女性ではない」
「まあ(照れ)」
「いいかい、僕は君のように大人びたフェミニンな女性よりもキュートでプリティーでガーリーな女性を伴侶にしたいんだ!」
「まあ(困惑)」
「それから小動物でも愛でるかの如く何度も口づけを交わして、彼女の小さく柔らかい手を握りながらベッドの上で情熱的に愛を語らいたい!」
「まあ(軽蔑)」
「触れれば壊れてしまいそうなほど華奢なその体を優しく抱きしめ、湯たんぽのように彼女の温もりを全身で感じたいんだ!」
「まあ(絶望)」
「今までは王子としての責任感から自分の気持ちを押し殺してずっと我慢してきたが、こうして真実の愛に目覚めてしまった以上もはやこの気持ちに嘘をつくことなどできやしないと悟ったんだ!」
「まあ(諦念)」
しかしそんな情も、殿下の発言を耳にするたびに少しずつ欠け落ちていく。
色々と表現をオブラートに包んではいるものの、要するにこの殿下は単に見た目の幼い女性とあんなことやこんなことをしたいからわたくしと別れると言っているわけで。
前々からあどけない子どもを見る目が怪しいとは思っていたものの、まさかそのような嗜好の持ち主だったとは。
「だから君に非があるわけではない、ないのだが、これからの僕と彼女の幸せのためにも、どうか素直に婚約を白紙に戻してほしい。君だって、愛のない堅苦しい夫婦生活は疲れるだろう?」
「ええ、現状ですらかつてないほど疲労感を覚えております」
すっかり目の前の男に引いてしまっているので、返事も適当になってしまう。
なんにせよとりあえず殿下から言質は取れた。
わたくしに非がないという、婚約を破談にする上でもっとも必要だった言質が。
これで心置きなく行動に移せる。
だから――返事はもう決まっていた。
「分かりました、(殿下の頭が)残念ではありますが殿下からの婚約破棄の申し出、このウィーリアが謹んでお受けいたしますわ」
「ありがとう、君ならばそう言ってくれると思っていたよ。さすがは僕の元婚約者、理解が早い」
強引な婚約破棄に同意を示した次の瞬間にはもうこれだ、やはり思慮もなければ配慮もない。
好みでない女と別れることができて彼はよっぽど嬉しいのか、傍から見て分かるほど上機嫌で今にも鼻歌を口ずさんでしまいそうなご様子。
「いやぁそれにしても君と婚前交渉をしていなくて本当に良かった。していたら今頃その既成事実を盾に婚約破棄を渋られていたかもしれないからね」
「殿下、そのようにわたくしの尊厳に関することを声高に喧伝されるのはお止めくださいませ」
歓談に興じていた夜会の出席者たちはぴたりと話をやめ、さきほどからこちらのやりとりを興味津々とばかりに傾聴していた。
もっとも無理もない話ではある。他人の不幸は蜜の味ともいうし、目の前でこのような見世物同然のやりとりを繰り広げられれば彼らの興味を刺激するのも当然だ。
ましてそれが王太子殿下と伯爵令嬢の突然の破談ともなれば、翌日からの会話の種にするべく聞き耳をたてられるのは避けることができないだろう。
だが見方を変えると好都合とも言える。
なにせ話を聞いていた彼らにも婚約破棄に至った一連の出来事の証人になってもらえるからだ。
もしこれから殿下に不都合が起こったとしても、彼がこれまでに行った発言を容易に撤回することはできないというのはこちらとしてもありがたい。
だから殿下を諌める振りをして、更に必要な発言をひきだすことにした。
「まったく、もう。皆様方にわたくしたちの会話をお聞きになられているというのにお恥ずかしい」
「すまないね、僕なりに今後の君の縁談を想ってのことだったんだけどな。ほら、淑女らしく操を僕に捧げていないってことを説明しておいた方があとで困らないだろ? 貞操観念の低い女性はいくら伯爵令嬢だろうと貰い手に窮するからね」
「いいえ、殿下のご心配には及びませんわ。正式に婚姻を結び、初夜を迎えるまで純血を保つのは淑女として当然のこと。ですから、わざわざそのようなご証言をなさらなくても結構でしてよ。わたくしのことよりもどうか、ご自身を第一にお考えくださいませ。陛下に黙って婚約破棄を決めたことといい、これからが大変なのですから」
「なに、真実の愛のためならばそのくらいのことはやぶさかではないよ」
皮肉を込めたつもりだったのに浅学が滲んでいる殿下にはどうやら気が付かなかったようで、それはもう見事なしたり顔を浮かべて見せるのだった。
「身を焦がすようなこの愛さえあればたとえどんな障害でも乗り超えてみせる。今はまだ知る由もないだろうが、真実の愛と出会えばきっとこの気持ちが君にも分かるはずさ」
どうにも焼け焦げているのはその足りない頭な気がしないでもないが、まあ口にはしない。
でもどんな障害でも乗り越えてみせる、ねぇ。
……ええ、そう断言したからにはその覚悟のほどを見させていただきましょうか。
「長年のよしみで最後に一つお伝えしておくことがございます。殿下の真実の愛のお相手ですがあちらの女性、実は――でいらしてよ?」
わたくしは殿下にだけ聞こえる声の大きさで現実をそっと告げる。
このことを信じる信じないは向こうの勝手。
だからこそ。
「では殿下のお気持ちが盛り下がるといけないのでわたくしはこれで。どうかその恋が、男女の垣根を超えて成就するといいですわね」
そしてトドメの一言。すると殿下の表情は瞬間的にサッと青くなる。
「ーっ、待てウィーリア! 今のは本当の話か!?」
「ごめんあそばせ。早く帰らないとかぼちゃの馬車にかけられた魔法が解けてしまいますもの」
などと冗談を残し、殿下の制止を振り切って夜会の会場を後にする。
足取りは軽く、気分は晴れやか。
それとは対称的に、案の定遠くからはわたくしにとっても元婚約者のものと、それから彼の悲鳴とも取れる大声が聞こえてきて――。
「こ、こいつマジで男の娘かよぉぉぉっ!」
「ひぇえええみんなの前でスカートをめくるなんて酷いですこのセクハラ王太子ぃぃぃ!」
「黙れ! なぜ男のくせに女装なんてしているんだ紛らわしい! 男なら男らしくしてろ!」
「あーっ! 今の言葉は差別です偏見です! このご時世にその手の発言はアウトですよぅ」
「知るか人の純情を弄びやがって! ――返せ! 僕の真実の恋を返せーっ!」
ぎゃあぎゃあと言い争う声。
誰かが「王太子殿下がご乱心なされた! ああっ公衆の面前で婦女の格好をした、れ、令じょっ? じゃなくて令そ……? の下着を剥ぐなどとお気は確かか!?」と叫んだところでわたくしは耐えきれずに一人笑みをこぼし、慌ててコホンと咳をしてから歩みを止めていた足を再び前に動かした。
◆
後日、陛下からこっぴどく叱られたであろう殿下から「なあウィーリア、婚約破棄は撤回するから僕ともう一度やり直してくれないか? 真実の愛より目の前にある現実の恋に生きることにした」などと厚顔無恥な申し出があったがもちろん丁重にお断りさせていただいた。
どうかこれからは独りよがりの妄想ではなく確実に実る恋をお探しください、と一言添えて。
――これは余談だけれど、あの一件をきっかけにしてひそかに女装願望や性自認に悩んでいた一部の令息たちがこぞって王太子の心すら奪った彼女――もとい男の娘の真似をするようになったとか。
彼を師事し、その卓越したメイク技術と美意識に感化された令息たちは、後にジェンダーレス男子と呼ばれてちょっとしたムーブになるのだが、それはまだ先の話である。
(了)
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