婚約者の誤解
しんしんと降る雪がひとつの王都を覆い始めた。
西の大陸の北部にある、ここグランディーナ王国の冬は長い方だが、降雪量はそこまで多くはなく、針葉樹の森と湖が美しい国だ。冬の長さから農耕には不向きであるが、この国で育てられる騎馬は強さと美しさを兼ね備え国外からの人気も高い。また金と銀鉱山を有しており、それもまた国の大事な収入源だ。
王都グランザは国の南部に位置しており、冬には北部の半分の人口がやってきては冬を越す城塞都市となっている。
三方をくろがねの高い城壁に囲まれ、頑丈な鉄の城門が北南の一般街道、西は貴族街道に設置された都。
東側は山脈に囲まれているので自然の城壁とでも言うべきか、その一部が鉱山であり鉱夫たちの出入りする道となっているが、鉱夫は国の登録下に置かれ国の職人として厳重に出入りが記録されている。
このため、密輸などは余程のことがない限り出来はしない。
元々、鉱夫は下級職と言われて罪人などが使われていたが、国の登録下に置き国家の事業として職人を保護することで、これまで以上の採掘の安定と落盤事故の防止などにも繋がって国益をあげた。
これは外側から召喚された王妃の功績の一つである。
王妃は聡明だ。
これが今の王都での王妃の評価である。
...............が。
「王太子殿下不測の事態です!!!」
王都にある王宮、その王太子執務室の扉が、切羽詰まった侍従長の悲鳴のような声とともに開かれる。
実際心の悲鳴だろうとは思う。執務室にいた全員、その声を聞いた瞬間死んだ魚のような目になったのは今に始まったことではなかった。それは呼ばれた自分も含めて。
「...あの人今度は何をやらかしたんだろうか…」
あの人こと、この国の王妃である母は突拍子がない。侍従長が不測の事態と言って駆け込んでくるのは、大抵その母がやらかした…もしくはやらかしそうな時である。今回はどっちだ。
やらかしそうならまだ救いが残っている。だがやらかした後は問題しかない。
せっかく国の威信をかけて王妃の印象を最高のままで保ててる今、何かあったら後始末に奔走するのは自分と、この執務室にいる側近たちと関係者各位の長である。
いや、別に王妃が非常識な訳ではない。
むしろ常識と礼儀にはめちゃくちゃうるさい。子供の頃どれだけ礼儀作法を懇懇と教え込まれたか、未だに思い出しても気が遠くなるぐらい怖いし几帳面である。
何がまずいか。
それは、自分たちには無い異国の地の自由発想の無限引き出しにある。
自由すぎるのだ、発想が。
"ないなら作ればいいじゃない?"は王妃である母の格言だ。しかも人を使って作る前に、自分で作ってみてから人に依頼するため危険度が2割増す。
王族がボロを着て平然と木材加工から土弄りまでこなしてしまう。挙句の果てにこないだなんて、新人騎士の体力訓練と称し騎士団を連れて森へゆき、自ら斧を振って木を間引いて来年の薪作りをしていた。
気付くのが遅れたために新人騎士の諸君にどれだけの心労を負わせたのか分からない。
そして帰ってきた王妃は当然のようにこう言った。
"あそこ間伐しないと、多分春に光が届かなくて秋の収穫に影響でそうだったんだよね〜"
そういう事は先に説明して担当者に仕事させてくれ!!!
「...王太子殿下、説明しても宜しいでしょうか?」
「すまない現実逃避していた頼む...」
顔を覆って天井を仰いでいた自分に対し、侍従長が逆に冷静を取り戻した声で問いかけてきた。
「ファーレン侯爵家ご令嬢、ミリアレア様が先程王城に登城され..」
「ミリィが...」
ファーレン侯爵家のミリアレアは、赤毛の美しい小柄な令嬢である。ひとつ違いの年齢で幼い頃からの顔見知りであり、そして王太子である自分の婚約者でもあった。朗らかに微笑む姿がとても愛らしい。
本人は薄いそばかすを気にしているが、それもまためちゃくちゃ可愛い。母と姉がアレなので自分の中で女性と言えば一番に思い浮かぶのはミリアレア以外にはいないくらいだ。
愛しい婚約者の姿を思い浮かべていた次の瞬間、
「王妃様と姫様よりお声が掛かり"赤薔薇の庭"へ向かわれました」
「うそだろ今日は薔薇の茶会か!?」
聞いたと同時に執務室の椅子から立ち上がると、人目も気にせず走った。
"赤薔薇の庭"と言うのは王妃の庭の一つで、王妃がごく稀に行う秘密の茶会でしか解放されない、親族でも姉姫以外入れない庭である。侍女や近衛すら王妃自ら行ったテストを通過しなければ入れない特別な庭。
そこに呼ばれることはとても名誉なことだ。その茶会は薔薇の茶会のと呼ばれ内容は徹底的に秘匿されているうえ、招待される基準も分からないという。
普通に考えたら婚約者がそこに呼ばれたのはとても喜ばしいことだ。
普通なら。
普通なら!!!
全速力で脇目も振らず場内を走り、最短距離で赤薔薇の庭へ向かう。
幸いにも庭へ続く細い格子の門の前でミリアレアを見つけることが出来た。
荒い息を整えながら近付いて名を呼べば、きょとんとしてまぁるくなった黄金の瞳がこちらを向く。
「まあ...どうなさったの? 」
「ミッ...ミリィに会いたくて急いだんだよ」
「それはとても嬉しいですわ。...ですが、ああ...ほら王太子殿下、騎士団長様が貴方様をご心配されて追ってこられておりましてよ?」
「そうだねさっきまで同じ部屋で執務の話をしていたからね」
「まあ...同じ部屋で...」
と呟いたミリアレアの頬が赤くなった。
両手の指先でその赤く染った頬を押えて視線を下げる姿は可愛い。婚約者が今日も可愛い。
幸せに浸ろうとした刹那、追いついた騎士団長が真面目な顔で囁いてきた。
「殿下...早く訂正せねばまたややこしい事に」
「はっ...」
「王太子殿下...わたくしはそろそろ王妃様と姫様の元へ参りますね」
「待ってミリィ!それよりも僕とお茶をしよう!」
「駄目ですわ。先にお声をかけていただいたのは王妃様方ですもの」
「くっ...正論だね。婚約者が常識人でとても嬉しいよ!?」
「わたしくの代わりに騎士団長様とお茶を楽しんでくださいませ…それでは」
間髪入れないお断りに締め付けられた胸を押えている間に、婚約者は優雅な一礼をして門に手をかけ中へと入ってしまう。我に返った時には遅かった。
「しまった悪魔の巣にミリアレアが踏み込んでしまった!」
「お早くと言ったじゃありませんか…」
「くっ.....何故だミリィ!何故...僕と騎士団長が何故恋仲と勘違いしてるんだ!」
ここ赤薔薇の庭は魔法が掛けられている。
茶会の間は外界と遮断され、門を潜れば出るまで外の視線も声も遮断してくれる。密かに行われるその茶会は、参加者達の真の意味での楽園のような秘密の花園。
数年前より開催されるその秘密の茶会。
王妃が1度だけ誰もいないと思って呟いた一言を自分は忘れていない。
"次のコミケの新刊は何にしようかしら?"