辺境伯令嬢は、悪女姉を乗り越えて真の幸せを掴む
北部の辺境伯家の次女として生まれた私――アリス・イーストンは、才女と名高い姉・カトリーナの陰に埋もれるように育った。
幼い頃から姉は両親に溺愛され、周囲から持て囃された。
対する私は、平凡な容姿と取り柄のなさから、いつも姉と比べられ、見下されてきた。
「どう頑張ったって、お前はカトリーナには及ばないのよ」
「カトリーナを見習いなさい」
両親は口を開けば、そう言って私を嘆いた。
そんな状況に、私の心は日に日に荒んでいった。
「お父様、お母様。姉さまが使用人を蹴飛ばしたのをご存知ですか?」
「バカなこと言うな、カトリーナがそんなことをするわけないだろう」
「でも本当なんです、この目で……」
「黙れ! お前が嘘をついているに決まっているだろう!」
いくら訴えても、両親は聞く耳を持たなかった。
逆に、姉の悪事を告げ口した私が叱責された。
だんだんと私は、口を閉ざすようになっていった。
(きっと、私なんてこの家に必要とされていないんだわ……)
絶望的な日々を過ごしていたある日、屋敷は興奮に包まれた。
「カトリーナが、ヘンリー王子の結婚相手に選ばれたそうよ!」
「まあ、すごいわ! さすがカトリーナ様だわ!」
使用人たちがそんな会話を交わすのを、私は冷めた目で見ていた。
第二王子とはいえ、この国で一番の権力者に婚約するなんて、姉にとって、これ以上ない相手だろう。
(ますます、姉さまは高嶺の花になってしまうのね)
しかし、その予想は裏切られた。
姉の結婚式の三日前、屋敷は再び騒然となったのだ。
「カトリーナ様が、行方不明だそうです!」
「何ですって……!?」
両親は血相を変えて、必死に姉を探した。
しかし、姉の影はどこにも見当たらなかった。
数日後、姉の恋人だというチャールズ・アーヴィングという男性と駆け落ちしたことが判明した。
「あの忌まわしい男に、カトリーナを奪われたのか……!」
父は激怒したが、もう手遅れだった。
大切な娘を失った両親は、虚ろな目をして部屋に籠った。
そして、向けられた視線の先には、私の姿があった。
「アリス、お前がカトリーナの代わりをするのだ」
「えっ……?」
「ヘンリー王子との婚約は、破棄することはできない。お前が身代わりとなって、結婚するのだ」
告げられた言葉に、私の世界は一変する。
まさか、こんな形で王子妃になるなんて。
(でも、これはチャンスかもしれない)
そう思った私は、静かに頷いた。
私は姉に代わって、ヘンリー王子との結婚式に臨むことになったのだった。
私はカトリーナ姉さまに代わり、ヘンリー王子との結婚式を迎えた。
純白のドレスを纏い、ベールの奥から見た王子の横顔は、なぜか冷たい印象を受けた。
(姉さまと比べて、見劣りするのは当然だもの……)
そう思った瞬間、王子が私に視線を向けた。
「君がアリス・イーストンだね……」
あからさまに落胆の色を見せる王子に、私は言葉を失った。
式は厳かに執り行われたが、私の心は晴れなかった。
こうして私は、アリス・ドレイトンとなったのだ。
結婚生活は、まさに地獄だった。
新婚なのに、ヘンリー王子は私に一切構ってくれない。
むしろ、私を避けているようにさえ感じた。
「カトリーナ様なら、もっと上手にダンスを踊れたでしょうに」
「お茶の淹れ方も、雑ですわね。カトリーナ様の比ではありません」
侍女たちの口から漏れる言葉は、いつも姉との比較だった。
私は耐え難い屈辱感に、唇を噛みしめるしかなかった。
(どうして、私はこんな思いをしなくちゃいけないの……?)
絶望的な日々の中、私はある時、姉の駆け落ち相手のチャールズ様から密書を受け取った。
「アリス様、是非お会いしたい。カトリーナ様に関する真実をお伝えしたく思います」
それを読んだ私は、チャールズ様に会うことを決意した。
もしかしたら、姉の不可解な行動の理由が分かるかもしれない。
そんな思いを胸に、私は城を抜け出した。
チャールズ様と会った私は、信じられない話を聞かされた。
「アリス様、実はカトリーナ様は、ヘンリー王子との結婚を望んでいたわけではありません」
「え……? どういうこと?」
「カトリーナ様は、ただの玉の輿だと思っていたのです。本当に愛していたのは、私なのです」
「そんな……」
ショックを受けた私に、チャールズ様は更に衝撃の事実を告げた。
「カトリーナ様は、ヘンリー王子に飽きたら、私と駆け落ちするつもりだったのです。アリス様を、身代わりにして……」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが壊れた気がした。
姉は最初から、私を道具のように利用するつもりだったのだ。
裏切られた気持ちと、憎しみが込み上げてくる。
(許せない……こんなの、絶対に許せない……!)
その日から、私は変わった。
今まで努力を怠けていた政治の勉強に、私は没頭した。
王子の補佐役として、宮廷で頭角を現すようになったのだ。
「アリス様、今日の会議での進言は素晴らしかったです!」
「ありがとうございます。これからも精進します」
周囲から、次第に評価されるようになった私。
ヘンリー王子の態度にも、変化が表れ始めた。
「アリス、君の意見は正論だ。私も同感だよ」
「そう言っていただけて、光栄です」
少しずつ、王子は私を認めてくれるようになっていた。
私は密かに、この状況を喜んだ。
(私は、姉さまとは違う。必ず、自分の力で認められてみせる)
復讐心に燃える私は、更なる高みを目指して、邁進していったのだった。
私の活躍は、宮廷内で大きな注目を集めるようになっていった。
今や私は、ヘンリー王子の良き補佐役として、重要な役割を担っている。
そんなある日、王子が私を呼び出した。
「アリス、君は本当に頼もしい存在だ。私は君と一緒にいると、安らぐ」
「ヘンリー様……」
優しい言葉をかけられ、私は頬を赤らめた。
気づけば、王子への恋心が芽生えていたのだ。
(いけない、私はカトリーナ姉さまの代わりでしかないのに……)
そう思いつつも、王子への想いは日に日に強くなっていく。
姉への復讐心が薄れていくのを、私は恐れていた。
そんな中、衝撃の知らせが入った。
ある日、屋敷に一人の女性が現れた。
見るからに乱れた身なりで、やつれた顔をしているのは、他でもない――カトリーナ姉さまその人だった。
「お願い、私を助けて……! あの男に捨てられて、借金を背負ってしまったの!」
よろよろと近づいてきた姉は、両親に訴えかけていた。
しかし、その態度には昔の尊大さが残っていた。
まるで当然のように助けを求める姉に、両親の怒りは頂点に達する。
「お前には失望したよ。こんな恥さらしが、私たちの娘だと思われたくない」
「お父様、お願いします……。私はただ、一時の過ちを……」
「黙れ! お前のせいで、イーストン家の名誉は地に落ちた。二度と、この屋敷に戻ってくるな!」
冷酷な言葉を突きつけられ、姉は膝から崩れ落ちた。
だが、その瞳には諦めの色はない。
今度は私に、助けを求める眼差しを向けてきた。
「アリス、あなたは私の妹でしょう? 助けてちょうだい。これも全部、あなたのためにしたことなのよ?」
開き直るような口調で言われ、私は息を呑んだ。
姉は、私を利用しておきながら、まだ自分が正しいと思っているようだ。
「お願いよ、アリス。妹としての情けはないの? 昔はあんなに、私の言うことを聞いていたじゃない」
傲慢な態度は変わらない。
むしろ、追い詰められた姉は、本性を現しているのかもしれない。
私は冷たい視線を、その顔に向けた。
「姉さま、私はもうあなたの言いなりにはなりません。自業自得です。あなたを助ける理由は、何もないわ」
その言葉に、姉の瞳が恨みに染まる。
それでも、助けを求める姿勢は崩さない。
「アリス、お願い……。私はあなたの姉なのよ? 同じ血が流れているでしょう? 見捨てないで……」
その必死の形相に、私は一瞬、心が揺らいだ。
しかし――思い出す。
姉が私をどれだけ苦しめたか。
どれだけ利用してきたか。
その記憶が、私の決意を固くする。
「姉さま、もう二度と私に関わらないでください。私にとって、あなたは他人も同然よ」
冷酷な言葉を放ち、私は背を向けた。
後ろで、姉が泣き叫ぶ声が響く。
だが、私は振り返らない。
もう、姉に振り回されたくないのだ。
見るも無残な姿の姉に、私は複雑な感情を抱いた。
かつての私なら、きっと手を差し伸べていただろう。
しかし、もう私は変わってしまった。
(助けたって、姉さまは私を利用するだけよ。もう、だまされない……!)
そう決意した私は、冷たく言い放った。
「姉さま、あなたは自業自得なのよ。私はもう、あなたの妹ではありません」
「そんな……アリス、お願い……」
「さようなら、姉さま」
背を向けて立ち去る私に、姉は泣き叫んだ。
しかし、私の心は揺るがなかった。
ヘンリー王子にも、姉の窮状を伝えた私。
しかし、王子も助ける気はないようだった。
「彼女が選んだ道だ。自分で責任を取るべきだろう」
「……そうですね」
あれから数年が経った。
姉は今何をしているのかわからない。
一方の私は、ヘンリー王子の正妃となり、充実した日々を送っている。
「アリス、君と結婚できて本当に良かった。君は私の誇りだ」
「ヘンリー様……私もあなたと共に生きられて、幸せです」
互いに愛し合う二人に、姉の影は微塵もなかった。
ヘンリー王子との愛を育んできた私だが、姉への復讐心が消えたわけではない。
あの日の屈辱と、裏切りの記憶は、私の心に深く刻み込まれていた。
だが、そんな負の感情にとらわれ続けていては、前に進めないことに気づいた。
(姉さまの人生は、姉さまが選んだこと。私には、私の人生がある)
そう自分に言い聞かせ、私は微笑む。
今の私には、かけがえのないものがあるのだから。
愛する夫と、互いを支え合える絆。
そして何より、自分自身と向き合い、歩んでいく勇気。
窓の外を見やると、輝かしい未来が広がっていた。
私はヘンリー王子の手を握り、歩み始める。
新たな人生に向かって――。
過去は変えられないが、これからの未来は、自分の手で切り拓いていける。
私は、前を向いて生きていくと心に誓ったのだ。