白い8日目
まるで王子様のようだと思った。
銀色の髪にエメラルドグリーンの瞳をした王子様。
優しい優しい……私の大好きな王子様。
いつも一緒に遊んでた。
彼とは年が同じで、とても気が合った。ちょっとしたイタズラも一緒になって盛り上がったし、馬鹿なことを真面目に競ったりもした。2人まとめて双方の親に叱られたことも数えきれないほどあるけれど、その度に顔を見合わせてはお互いふふっと笑いあっていた。
私には5つ年上の兄がいるけれど、女好きの兄は女の子とのデートで忙しいらしく、私はあまり遊んでもらった記憶がない。そんな私にとって、一番の遊び相手は両親の友人の子であるギルだったのだ。
ちなみに兄は両家の集まりにもほとんど参加しなかった。ギルに美人の姉か妹でもいれば俺もついて行くんだが、と言われて両親共々呆れたことを覚えてる。
彼と過ごす時間はとても楽しかった。なんなら、同じ部屋で別々のことをしていても心地よかったのだ。沈黙ですら2人の間に流れる時間は穏やかなものだった。
いつからかなんて自分でも分からないけれど、物心つく頃には彼に対して淡い恋心を抱いていたのだと思う。でも、それが幼心にもなんだか気恥ずかしくて、両親はおろかギルにすらこの想いはバレないように隠してた。
『リリィは本当にギルくんが好きねえ』
『ちっ、ちがうもん! わたしはおうじさまがいいんだもん!』
そう言って、誤魔化すようにいつも一冊の絵本を指さしていた。
『ギル、いっしょにあそびましょ!』
『おう! おれのへやにこいよ。リリィにみせたいものがあるんだ』
ギルに誘われて彼の部屋に行くと、机の上には一冊の絵本が置いてあった。王冠を被る可愛い男の子と、綺麗なドレスを着た可愛い女の子の絵が描いてある。
『これ、おんなのこに、にんきのえほんらしいぞ』
『へぇ、どんなおはなしなのかしら?』
『おれがよんでやるよ、リリィ』
『すごい! ギルは、もう、じがよめるのね』
『まぁな』
私が褒めると、幼い彼が得意げに胸を逸らし、それから、たどたどしく絵本を読んでいく。
話の内容は、至ってありがちな内容だった。姫のピンチを王子が助け、二人は結ばれる、というテンプレート的なもの。けれど私はその絵本が気に入って、何度も彼に読んでとせがんでた。
『またこれか? ほんとうにリリィはこのほんがすきだな』
苦笑しながらも、彼は何度でも私のリクエストに応えて、同じ絵本を読んでくれた。
優しい彼が好きだった。心から喜んでいる時の彼のゆるりとした笑顔が好きだった。それはまるで、この絵本に出てくるような……
『うん! だって、すてきなおうじさまがでてくるんだもの!』
私の大好きな絵本に出てくる王子様は、金髪に青の瞳をしていたけれど。
それでも、私にとって王子様はギルだった。
だって、銀の髪は日に当たるとキラキラと輝いているし、エメラルドグリーンの瞳は宝石のように綺麗だったから……
だからこの絵本に出てくる王子様は、ギルなんだ。
私の、すてきなすてきなおうじさま。
◆ ◇
とんとん、と肩を優しくノックされた。
「到着だ、リリィ」
甘やかな声がして、銀色のシルエットがぼんやりと視界に映る。
「おうじさま……?」
「――――は?」
「う、ううんなんでもないっ! あ……あれ? 早いわね。もう街に着いてるじゃない」
「……もしかしてずっと寝てたのか?」
ギルに図星を刺されて頬が赤くなる。
そうよ。ギルの体温が温かくて、心地よくて……つい、まどろんでしまった。
懐かしい、子供の頃の夢を見た。
「……ねえギル。ギルはあの絵本、―――さすがにもう捨てちゃった?」
「あの絵本って、リリィに何度も音読させられたやつか? いや、まだ置いてある。読みたいなら俺の部屋にあるから、いつでも入ってくればいい」
そっか。ギルはまだ……持っていてくれたのね。
「どうしたんだ? ぼんやりして、もしかしてリリィも寝不足だったのか?」
「ちっ、違うわよ。少し昔を思い出していただけ。もう大丈夫よ。さあ、行きましょ!」
窓の外からは賑やかな街の音が聞こえている。ギルに寄りかかっていた身体を起こすと、愛おしそうに微笑む彼と目が合った。
……ギルってば、演技、上手すぎない?
心臓がどくりと跳ねる。本当は愛されているのかもしれない……なんて。自分に都合のいい思い違いをしそうになる。
いけないいけない。これはただの演技だ。間違えちゃいけない。
「さあ、行こうか」
「ええ……」
先に降りたギルが私に手のひらを差し出した。陽光の元でふっと笑みを見せた彼は、光の粒子を纏っているかのようにキラキラと輝いていて、思わず見とれてしまう。
「なにやってんだ、ほら」
照れくさそうなギルの声が降ってきて、はっとして自分の手を重ねた。慣れないエスコートがくすぐったい。ギルも同じように感じているらしく、頬がほんのり赤く染まっている。
「ありがとう」
「ん、じゃあ行くか」
馬車から降りて、重ねた手を引っ込めようとすると、それよりも早くギルの手が私の手に絡まってきた。そのまま手を繋ぐ格好になる。
一瞬うろたえたけれど、エマの教えを思い出して私からもギュッと握り返してみた。これでいいのかしら……。ちらりと隣を仰ぐとギルの口元が綻んでいる。どうやら正解らしい。
こうしていると、まるで本当の恋人同士みたい。
ギルの手、あったかい…………
って、何胸ときめかせてるのよ私。
これはただ、偽装デートの一環なんだからっ!
「おわ、何ぶんぶん首横に振ってんだ?」
「いえ、なんでもないの。デートなんてしたことがないから、ちょっと頭が混乱してるだけ」
「なんだ、緊張してるのか? 俺相手に」
ふっ、とからかうようにギルが笑った。
そうよ。
ギルだから緊張してしまう。
ギルだから……繋いだ手のひらが熱を持つ。
でもそんなことは言えなくて、ぷいと顔を逸らした。
◆ ◇
偽装デートはつつがなく進行していった。
街のメイン通りには色々なお店が立ち並んでいて、覗くだけでも楽しい。綺麗なお花や美しい模様の絵皿、珍しい茶葉やカラフルなお菓子など、ワクワクしながら眺めて歩く。
ひとしきり見回った後、小高い丘の上にある見晴らしのよいレストランで食事にした。おすすめのお店だとギルが言うから、男性が好みそうなガッツリ系のお店を想像していたのに、予想に反して可愛らしいお店で驚いた。店内も女性客が圧倒的に多い。
デート用に、わざわざ調べておいてくれたのかしら……?
まさかね。今朝突然決まったデートだもの。下調べする時間なんてないはず。
店内に入ると女の子たちからの視線を感じた。ギルが美形だからだろう、私を羨む声がちらほら聞こえてくる。偽装デートをする私たちは、周囲には普通に仲の良いカップルに見えているようだった。
だって……ギルが演技派すぎるんだもの。
デートの最中、ひたすらギルが私に甘い視線を向けてくる。
もちろん手は繋ぎっぱなし。
それに、売っている品物を少しでも「可愛い」とか「いいな」などと言うと、何でも買おうとしてくるし……
そりゃランドルの領地は裕福だから、爵位の割にお金持ちだということは、ギルに聞いていたので知っている。
それとは別に事業も手掛けていて、そちらからの収益があるというのも、以前ギルから聞いたことがある。
金なら大丈夫だから、素直に贈られとけと胸を張って言われたけど……演技の為に片っ端からモノを買うなんて、さすがに経費を使いすぎでしょう……。
最初のうちに眺めていたのは比較的安価なお店ばかりで、宝石のようにキラキラとした飴とか、可愛い模様の入った羽ペンだとか、そういうものはありがたく買ってもらっていたけれど。食後に連れて行かれた仕立て屋でドレスを贈られそうになった時は、全力で辞退申し上げることにした。
不満そうな顔をしながらその次にギルが私を連れて行ったのは、街一番の高級な宝飾店。これも力いっぱい拒否しようとしたけれど、今度はギルも引かなかった。
「俺にも少しくらい贈り物をさせてくれ」
「少しくらいって、さっきから色々と買ってもらってるわよ」
「あんなもの、贈り物のうちに入らないだろ」
「いいえ、れっきとした贈り物だわ。それにさすがに、ここのお店はお高すぎるわ」
「金のことなら気にしなくていいと言っただろ。頼むから、今日の記念だと思って受け取ってくれ」
今日の記念……か。
「わかった」
確かに、ギルの言うように今日の偽装デートの記念として、宝飾品の一つでも貰っておいた方がいいかもしれない。皆に見せつける為の証拠の品というやつだ。
となると品物は、みんなの目に留まりやすいものがいいだろう。
指輪にしようかな……
どうせならギルとお揃いであつらえてもらおう。そうすれば屋敷のみんなに、より私たちの関係を見せつけることができる。
「え、ペアリング?」
「そう! 記念というのなら、せっかくだしギルと私でお揃いの指輪にしましょうよ」
「リリィとお揃いの指輪か……それはいいな。すごくいいな!」
私の提案にギルが顔を輝かせた。偽装夫婦の証として、お揃いの指輪を身に着けるのは素晴らしい考えだとどうやら彼も思ってくれたようだ。予算が倍になるにも関わらず、躊躇なくペアリングを選択してくれた。
お互い顔を見合わせて、ふふっと笑いあう。
指輪を選んでいる間中、ギルはずっとご機嫌だった。