白い6日目
後書きのところにイラストがあります。
「いつまで寝ていらっしゃるんですか、ギルフォード様」
朝日を浴びた部屋の中で、ため息をつきながら毛布をかぶっていると、今一番会いたくない奴の声が聞こえてきた。
顔だけ毛布の外に出すと、そこには呆れた視線を向けてくる俺の侍従がいる。
「ケイン……この部屋に入ってくるなよ。夫婦の寝室だぞ」
「なにを仰っているんですか。リリィ様はもうここにいらっしゃらないでしょう? 可哀想に、お一人で朝食をとっておられましたよ。こんなところでぐずぐずせずに、さっさと起きて支度をして、ギルフォード様もご一緒するべきです」
「うるさいな。昨夜はあまり眠れていないんだ、放っておいてくれ」
「……おや。形だけの結婚だと伺っておりましたが?」
ケインが口の端をにやりと持ち上げる。ぐっと言葉に詰まり、視線を逸らした。
ああもう、だからコイツは嫌なんだ。
どうせ分かっているくせに。昨夜、俺とリリィの間には、何もなかったという事ぐらい……。
ケインは昔から俺の側にいる侍従だ。
年齢は28歳。深い蒼の髪を長く伸ばし、後ろで一つに束ねている。元々、ここの使用人同士の子どもであったケインは、幼い頃は俺の遊び相手でもあった。あの頃は純粋に頼れる兄のようだと慕っていたっけな……
今ではすっかり、口うるさくて人をからかってばかりいる、嫌味なヤツだけど!
俺とリリィの結婚が形だけだという事は、ケインには一瞬で見抜かれてしまった。うるさいから黙っていようと思っていたのに、なぜバレたんだ。俺がこの期に及んでプロポーズも出来ないようなヘタレだとでも思っているのかよ。
苦々しく思いながら問い詰めてみたら、それも勿論ありますが、喜び方が予想よりも随分薄いですので……と遠慮もなくしれっと答えられてしまった。
勿論ってなんだよ、勿論て。
そう。口調だけは丁寧なものの、こいつは俺に対して遠慮がない。
腹は立つけれど、言っていること自体はおおむね正しいので、俺も上手く言い返せない。それが余計に腹が立つ。そして、そんなケインは父と母から絶大な信頼を得ていた。
まぁな。確かに俺が悪かった。
リリィ……昔から馴染みのある家とはいえ、来て早々一人の朝食とは、随分と心細い思いをさせてしまったな。
「ギルフォード様、」
「何度も言われなくても分かってるよ。起きればいいんだろ」
「はい。今日は天気が良いですから、食後にどこかお出かけになられるとよろしいかと」
「…………それもそうだな」
悔しいがケインの言う通りだ。リリィの気持ちが俺に全く無いからといって、こんなところでいつまでも落ち込んでいる場合じゃない。
結婚するにあたって、俺は3日ほど休暇をもぎ取っている。
その間にリリィと少しでも仲良くなり、本物の夫として受け入れて貰えるようにならなくては。
……まあ、もともと仲、いいけどな。
友達どまりなんだよな。どうすればそこから恋人に昇格するのか、正直、全く道筋が見えん。
「そうですね。友人の枠を超えたいのでしたら、ただの外出にしてはいけませんね。きちんとデートを意識しなくては」
「で、デート、だと?」
「ええ、デートです。リリィ様を女性扱いして、きちんとエスコートをするのです。手を繋いでみたり、なにか贈り物をされるのも良いですね。友達ではなく、恋人のような振る舞いを心掛けるのがよろしいかと」
含みのある笑みを浮かべながら、つらつらとケインが道筋を語っていく。
ちょっと待て。俺の心を読むんじゃない。
ケインめ、なぜ俺の考えていることが分かるんだ……
「どうして自分の考えていることが分かるのか、ですか? そりゃあ、ギルフォード様は非常に分かりやすいお方ですから」
「わああああっ! 読むなっ! これ以上、俺の考えていることを当てるんじゃないっ!」
ガウンを脱ぎ捨て、ケインが手にしていた服を奪い取る。手を伸ばそうとするケインに鋭く睨んで制止をし、俺は一人で素早く服を着た。
恋人のような振る舞いか…………
ケインが後ろで何かブツブツと呟いているけれど、ゆっくり聞いてやるほど今の俺は暇じゃない。かつかつと足音を響かせながら、俺は急いでリリィのいる食堂へと向かった。
「……まぁ、そのような事をされなくても、リリィ様もギルフォード様の事がお好きだと思いますけどね……」
◆ ◇
ランドル邸の食事はとっても美味である。
とても腕のいい料理人を抱えているようで、たまに招かれる会食時はウキウキしながら母の後をついて行ったものだ。ギルと結婚して、ここの食事を毎日味わえるようになったのは、何よりも嬉しい。
ふわふわの白いパンに、甘酸っぱい木苺のジャムを塗る。半熟のオムレツからはミルクとバターの良い香りが漂っていて、食欲をそそられる。湯気の立ち昇るカップを覗くと、とろりとしたカボチャ色のポタージュが見えた。
美味しいって正義ね。ギルに嫌がられて落ち込んでいたけれど、復活できたわ。
パンをかじる。綿雲のようにふわふわと柔らかい。最高だ。朝っぱらから贅沢な味わいに身を震わせていると、ギルが食堂にやってきた。
「待たせたな、リリィ!」
わ、ジゼル様に起こされちゃったのかしら?
「どうしたのよ、ギル。もっとゆっくり寝ていて良かったのよ?」
もぐもぐと柔らかなパンを頬張りながら眉を下げると、ギルがぐっと息を呑んで私を見下ろした後、ふぅと長い息を吐きながら対面の席に腰かけた。
「俺が悪かった。新婚早々、一人きりの朝食なんて寂しいことをさせてしまったな……と言おうと思っていたんだが、リリィ。俺がいなくても全然平気そうだな」
え、よくわかんないけど、拗ねてるっ!?
「そ、そんなことないわよ? そういえば私、一人きりで寂しいな~なんて思っていたのよね~。ギルが一緒で嬉しいわ。やっぱり、一人で食べるよりも二人よねっ!」
「寂しいどころか、最高に幸せそうな顔をしていたぞ」
「だってすんごく美味しいんだもの。ほら見て、パンがふわっふわなのよ?」
「まさかリリィが俺と結婚しようとしたのは、うちの食事が目当じゃないだろうな……」
「ま、ままままま、まさかっ!」
首をぶんぶんと横に振る。疑わしそうな視線を向けられているけれど、断じて違う。一番の目的はもちろん、ギルと一緒に居たいからだもの。
ああ……でもこのパン、最高に柔らかいわ……
ほわほわと頬を緩ませる私を見て、ギルが苦笑した。
「そんなに気に入ったのか? 良かったな、これから毎日食べられるぞ」
疑いは全く解かれてないみたい。
ごほん、と咳払いをして話題を変えることにする。
「ねえ、あまり眠れてないんでしょう? もう少し寝てきたら?」
「いや、結婚に合わせてせっかく休暇を取ったんだ。寝て終わらせるのもつまらないから、起きるよ。今日はいい天気だし、後で街にでも出掛けよう」
「それはいいわね。いってらっしゃい」
「なに言ってんだ。リリィも一緒に行くんだぞ」
「え、私も? え、なんで?」
戸惑いの声をあげていると、ギルにじろっと睨まれた。
「むしろなぜ俺が一人で行くと思ったんだ……。新婚早々、妻を放置して一人でふらふら出歩くなんて、ありえないだろう……」
「あ、そうよね。みんなに変に思われちゃうわよね」
「そういうわけで、食べ終わったら行くぞ!」
「了解よ!」
……ああびっくりした。
お出掛けに誘われるのなんて初めてだから、ちょっとドキッとしてしまった。
だって一緒に街に行くなんて、まるで本物の夫婦みたい……。
でも、そうね。
新婚らしくしてないと、みんなに怪しまれてしまうわよね。
ふむふむ。要は偽装デートということか。
……偽装とはいえ、デートか……
胸の奥がキュンと鳴る。くすぐったくて落ち着かない。頬が緩む。どうしよう、偽だと分かっているのに……嬉しい。
な、なに着ていこうかな。
ギルの色に合わせたドレスとか憧れるけど……さすがにそこまですると引かれちゃうわよね。まあそもそも、シルバーのドレスもエメラルドグリーンのドレスも、どちらも持ってないけれど。
よし、衣装はエマに任せよう。
髪型はどうしようかな。
これも後でエマと相談しないと……
「おい、そんなに慌てて食べるなよ」
くすくすとギルが笑う。その声が耳に届いて、はっとした。
いつの間にか私の頭の中は、食後のお出かけでいっぱいになっていたようだ。美味しい朝食だったのに。ろくに味わいもせずスープをすすり、オムレツを口の中に詰めてしまっていた。
う、恥ずかしい。
「だって、楽しみなんだもの。ギルとのお出かけ」
「おまっ―――――……そういう可愛いこと言うなよな」
――――え、どうしたの?
恥ずかしいのは私の方なのに。なぜかギルが顔を真っ赤に染めていた。