白い4日目
ギル視点です。
厚いカーテンに閉ざされて、外からは一筋の月明りすら俺たちの元には届かない。華やかな時間は既に過去のものとなり、薄暗い部屋には、しかし初夜という名にそぐわない静寂が広がっている。
今日は幼い頃から好きだった女の子との結婚式。
そして夢にまでみた夜なのに……俺はなぜか広いベッドの端で背を丸め、じっと身を縮こませていた。
背後からはすやすやと安らかな寝息が聞こえてくる。
余程疲れていたのだろう。俺に背を向け、5分と経たぬ間にリリィは寝入ってしまった。
人の気も知らないで……
たまらず半身を起こし、隣に眠る彼女を見遣る。華奢な肩にかかる艶やかな黒の髪は少し寝乱れていて、情欲を煽られそうになる。18年の歳月を経て美しい女性へと成長した彼女。しかし、幸せそうに頬を緩ませた無邪気な寝顔は、昔から変わらないな、と思った。
明かりに導かれる羽虫のようだと自嘲しながら、ふらふらとリリィの近くに身を寄せる。手を伸ばし、ふっくらとした頬に指を添わせて、そのまま紅く色づく場所へと指を滑らせた。
昼間にほんの少しだけ触れた、リリィの唇。
こいつ……俺とのキスを嫌そうにしていたな……。
思い出して苦いものが込み上げる。神父から誓いのキスを促された後、不安そうに揺れる瞳で俺を見上げていたリリィ。頬に手を差し込むと、微かに震えているのが分かった。
俺は、もっと触れていたかったのに。
「……っ!」
指先に湿り気を感じて、どくりと心臓が脈打つ。慌てて指を引っ込めた。
ベッドから離れて窓際に向かう。カーテンを開けると、そこから見えるものはいつもと変わらない日常で、張りつめていたものがほんの少しだけ軽くなる。窓を開けて冷たい空気を肺に取り込み、こもる熱を静めていった。
「はぁ……」
人生の分岐となったあの日を思い浮かべる。あの時、俺はリリィにプロポーズをするつもりでいた。それなのに、なぜか逆に俺がプロポーズをされていた。
『ねえ、ギル。私、好きな人がいるの』
右頬を殴られたかのような衝撃を受けた。
少なからず勝算はあると思っていた。
リリィにとって、一番近い男は常に俺だったから。
そうなるように、寄り付きそうな虫の類は全て威嚇してきたし、排除だって怠らなかったつもりだ。
俺の想いと意味は違えど、リリィだって俺に好意自体はあるはずだ。彼女も子爵家の娘、いずれ誰かに嫁がねばならない身。恋人になってくれと言えば断られるかもしれないが、結婚を持ちかければ、妥協して頷いてくれるのではと淡い期待を抱いてた。けれど。
――――まさか、リリィに好きなやつがいたなんて。
『どうしてもその人でなきゃ嫌なんだけど、絶対に叶わない相手なの』
誰だよ。リリィの心を奪った奴は、誰なんだ。
俺は……彼女を手に入れられないのか?
衝撃の告白に目の前が暗く沈んでいく。息をするのも忘れて呆然と固まっていると、なぜか結婚しようとリリィに持ちかけられた。まるで意味が飲み込めず、それでもリリィと結婚できるのだと喜んだのも束の間で、俺は彼女から、実態の伴わない結婚を約束させられてしまった。
許されるのなら、今すぐにでも甘い夜を過ごしたい。
しかし、我慢するしかない。今しがたリリィから、俺ははっきりと拒絶されてしまったばかりだ。
どうしても諦めきれなくて、勇気を出してみたのだが……やはり聞き入れて貰えなかった。
「仕方ない、寝るか」
再びベッドの隅に潜り込む。リリィの気配を背後に感じ、なかなか寝付けない。そうしているうちに、寝ぼけた彼女が俺の領域までゴロンゴロンと転がってきた。ぎょっとして固まる俺の身体に、しなやかな腕が絡みついてくる。
おいおい。
寝返りを打っても平気なんて言ったの誰だよ。
全然平気じゃねーよ!
触れ合わなくて済むどころか、今俺お前に、背後からがっちり抱き着かれているんだけど……
甘い匂いが鼻孔をくすぐったく掠めていく。丸めた俺の背中には柔らかな感触がぴったりと張り付いている。やけに薄い布地のせいで、彼女の温もりがダイレクトに俺に伝わってくる。
全身から汗が噴き出てきそうだ。
心臓がドクドクと勢いよく音を立てる。
……くっそ、眠れねぇ……
悶々とする俺をよそに、リリィは可愛い声でむにゃむにゃと幸せそうに寝言を口にしている。いい夢でも見ているのだろうか。彼女は懐いた子猫のように、時折俺の背に頬をすり寄せてくる。甘えるようなその仕草に、しかしそれを向けられているのが自分ではないという現実に胸が痛くなる。
あぁ、好きだ。
好きなんだ、リリィ。
振り向いて抱きしめてしまえたらいいのに。