白い3日目
屋敷に戻り、夕食を頂いた後、私はランドル邸の侍女達に周囲を取り囲まれてしまった。
そういえば、今夜はいわゆる初夜だったわね。
まあ私たちには関係ないけれど。
「なんてお可愛らしい。これは磨き甲斐がありそうですわ!」
「私どもにお任せください。リリィ様を真夜中の妖精にして差し上げますわ!」
「は、はぁ……」
侍女たちの目が輝いて見えるのは気のせいかしら……
1人で入れます、と哀願するもむなしく、数名がかりで浴室に連行されてしまった。結婚して初めて知った。どうやら初夜というものは、侍女にとっても気合が入るものらしい。
「うふふ。頑張りますわ、リリィ様っ!」
「……なんだか楽しそうね、エマ」
ピンクのふわふわな髪を肩まで垂らした少女が、くふくふと楽しそうに笑っている。私よりも2つ年下のエマは、ハーソン家から唯一連れてきた私付きの侍女だ。
彼女はとりわけ張り切っているようで、非常にワクワクした様子で私の身体を磨き上げていく。全身を爪の先まで丁寧に洗われて、仕上げといって、妖艶な芳香を放つ香油をたっぷりと塗りこめられてしまった。
いや、そんな必要どこにもないですから〜!
と内心突っ込みつつも、表立ってはなにも言えない。
正直なところ、私は今回の結婚について軽く考えていた。本人同士が納得していれば、実態がなくても問題ないと考えていたのだ。反対されたら厄介だから、結婚するまでは黙っておこうと思っていたけれど……
まさか、あんなに喜ばれるなんて。
――――お父さま、泣いてたわね。
昼間の式を思い出す。父はタキシードを着たギルに、咽びながら娘を頼むと言っていた。
こうなったら隠し通すしかないわよね。
喜んでいる両親たちをがっかりさせたくない。
ちなみに私たちの正しい関係を知っているのは、私とギルと、恐らくギルの侍従であるケインと、あとは昔から私の側にいるこのエマだけだ。
本当はエマにも内緒にするつもりだったけど……
『ギルフォード様と結婚ですか? うわぁ、おめでとうございますっ! 想いが叶って良かったですね、リリィ様』
『ちちち、違うのよエマ。この結婚は形だけなんだからっ!』
ギルへの想いは厳重に秘めていたはずなのに、なぜバレていたのかしら……
動揺して、ついうっかり口を滑らせてしまった。
「我ながら素晴らしい仕上がり……これならギルフォード様も、リリィ様にめろめろなのですよ」
「なに言ってんのよ……」
じとりとエマを見る。
今回の結婚について、私とギルは普通に相思相愛だろうとエマは言うけれど……
それは、ない。
それだけは、ない。
だってギルと一緒にいて、甘い雰囲気になったことなんて一度もない。これといったアプローチを受けたこともないし、そもそも彼には好きな人がいる。
ちなみに、ギルの名誉のためにも彼が男色家だという事だけは黙っている。だから両想いだなんて、おかしな勘違いをしてしまうのね。
エマがにっこりと笑う。
「大丈夫、今夜のリリィ様はとてもお美しいですもの」
口元がひきつる。
エマ、それは侍女の欲目というものよ。
それにしても疲れた。今日は朝早くから式の支度に取り掛かり、重たいウエディングドレスを身に付けながら1日中立ちっぱなしで過ごしてきたのだ。こんな無駄なことをするくらいなら、さっさとベッドに入って眠りたい。
あ、でも疲れた足のマッサージは、気持ちいいなっ!
うつらうつらとなりながら、エマたちにされるがまま身を任せていると、最終的には薄いナイトドレス姿にさせられて、夫婦の寝室にぽいっと放り込まれてしまった。
な、なにこの部屋……
一瞬で目が覚める。周囲をぐるりと見回して、息を呑んだ。
部屋の中はすでに薄暗く、オレンジ色の明かりがサイドテーブルの上で煌々と灯されている。そして、部屋の真ん中で存在を強く主張しているのが……
「うわ、すごいベッド……」
豪華な細工をあしらった、天蓋付きの巨大な寝台だ。
ごくりとのどを鳴らして目を見張る。広いベッドは、2人どころか4人は並んで眠れそうな大きなサイズだ。その縁には、クリーム色のガウンを着たギルが、落ち着かない様子で腰を下ろしていた。
「あ、ああ。これちょっと立派過ぎるよな。俺も運ばれてきた時には驚いた。やりすぎだって言ったんだが……母さんが止まってくれなくて」
「おばさま、ロマンチストよね」
「今回の結婚ですごくはしゃいでいて……リリィの部屋の内装も、全部母さんの趣味なんだ。ごめん」
「いいえ。とても素敵な部屋だったから、それはちっとも構わないわ。むしろ色々と用意して下さって、ありがたいと思っているわ」
「そうか……そう言って貰えるとホッとする。ありがとう、リリィ」
洗いたての髪はまだほんのりと濡れているようで、銀の髪が水気を纏いキラキラと輝いている。ガウンから露出している腕や足の、想像以上にしっかりとした骨格に思わず目を奪われて、どきりとしてしまった。
そろそろとベッドに近づく。
なんて破壊力のある光景なのだろう。ここに来るまでも、支度の時点でむず痒いような恥ずかしさを感じてはいたけれど、今の状況はそれの比じゃない。どうしよう。めちゃくちゃ緊張しちゃってる。
すぐそこにギルがいるから、なおさら……
なにもないと分かっているのに、ドキドキしてしまう。
頬が熱いわ……
ちらりとギルに目を遣ると、彼も真っ赤になりながら、落ち着かなさそうに視線を左右に揺らしていた。その様子を見て、この落ち着かなさが自分だけではないのだと少し安堵する。
「ごめんなさい、ギル」
「な、なに謝ってんだよ」
「白い結婚なのだし、本当は別室に行った方がゆっくり休めていいんでしょうけど、さすがに初夜からそれだと皆に怪しまれてしまうから……今日はここで一緒に寝てくれる?」
夫婦の寝室とは別に、それぞれの私室も用意されている。
もちろん就寝だって可能だ。しかし新婚初夜から別室で眠るのは、疑ってくださいと言っているようなものだ。だからギルには申し訳ないけれど、今日はここで寝てもらわないと。
「そのことだけどさ」
ギルが神妙な顔をして、私を見つめている。
「うん」
沈黙が降りる。ギルの言葉が続かない。彼なりに、この状況に不安を感じているのかもしれない。私をじっと見つめたまま、言いにくそうに口をパクパクと動かしている。
――私が彼に提案したのは、白い結婚だ。
白い結婚とはつまり、夜の営みを伴わない結婚のことだ。この条件があるからこそ、ギルは私との結婚に頷いてくれたのだ。
好きでもない相手とは触れ合いたくない――……そんなギルの意思を、私は尊重しようと思っている。
大丈夫、襲いかかったりしないから安心して欲しい。
跡継ぎに関しては、数年経過してから子供が出来ないという事にして、遠縁から養子を迎えればいいと思っている。特に珍しいことでもない。
ギルに安心してもらえるように、にっこりと笑ってみせる。
「大丈夫、ここで眠るのも今だけよ。ささ。今日は疲れたでしょうし、もう寝ましょ」
「ま、待ってくれ、リリィ!」
布団をめくりあげて中に入ろうとしたら、ギルに肩を掴まれた。
やけに真剣な眼差しを受けて、ドキリと胸が鳴る。
「なあ、リリィ。やっぱり、結婚までしてしまったことだし……、俺と、その……ちゃんとした夫婦にならないか……?」
――――――え?
そりゃ私は全然構わないけれど。ギルは嫌なんじゃないの……?
とっさに返事が出来ない。肩に細かい振動を感じて、よく見ると彼の指先が小刻みに震えていた。
そんな、無理しなくてもいいのに――……
「いいえ、止めときましょ。無理をするのは良くないわ」
「で、でも」
「言ったでしょ。私も好き合った相手とじゃなきゃ嫌なの」
私の言葉に、ギルがぐっと押し黙る。
――――ちゃんとした夫婦にならないか?
それは私にとって非常に魅力的な提案だった。ギルと普通の夫婦になれるのなら、そりゃなりたいに決まっている。だってギルが好きなのはユリエルだけど、私はギルが好きだから。
でも、嫌々で相手されるのなんて、ごめんだわ。
好きでもない相手ならともかく――――
好きだからこそ、心が伴わないなんてきっと虚しいもの。
えいっ!
ギルの大きな手を振り払う。未練を絶ち切るように、広いベッドの中に素早く潜り込んだ。次の瞬間、私の関心はあっさりとギルからベッドに移動した。
――わ、すごい。なんてふかふかのベッドなの!
あまりの心地よさに、思わず笑みが零れてしまう。柔らかな毛布はビロードのように滑らかな肌触りがして、式で疲れ切った身体を癒すように私を優しく包みこんでくれた。さらさらの清潔なシーツからは、お日様の温かな匂いがする。
過去最高の寝心地の良さに、私はすっかり感動してしまった。ああ、出来るものなら、この気持ちのいいベッドの上でごろごろ転がりたいっ……!
ギルがいるからぐっと堪えておくけれど。
はしゃぐ気持ちをどうにか押さえ、ギルに背を向けて寝台の端に寄る。
「私はこちらの端で寝るから、ギルは反対側の端で寝るといいわ」
「…………」
「ほんと広いベッドね~。これだけスペースがあれば、寝返りを打っても触れ合わなくて済みそうね」
「…………」
「じゃ、おやすみなさ~い!」
「…………」
背後で、もそもそと毛布に潜り込む音がする。
後ろの様子は見えないけれど、きっと今、ギルもこの素敵な寝具に包まれて、安堵の吐息をついているでしょう。
――――ゆっくり休んでね、ギル。
昼間の疲れが相当たまっていたらしい。
あんなにドキドキしていたのに。温かな毛布に包まれて、私はあっさり意識を手放した。