白い1日目
ギルのことは、昔からおかしいと思っていた。
女の子にちやほやされても、嬉しそうにしないのだ。
いつもめんどくさそうな顔をして、私のところに来てしまう。
薄っすらとした疑惑が、確信に変わったのは、16になって迎えたデビュタントの翌々日。
ギルが級友のユリエルと口論している姿を、偶然見かけてしまったのだ。
「おい、ユリエル」
人気のない中庭を通り過ぎようとしていた、その時。
凄みのあるギルの声が聞こえてきて、思わず立ち止まる。
「なんだよ、ギル。怖い顔して……」
木の陰からこっそり覗くと、困惑するユリエルにギルが怖い顔をして詰め寄っていた。
ユリエルは金髪碧眼の小柄な少年だ。彼は顔立ちが幼く、絵本に出てくる可愛い王子様のような見た目をしている。そんなユリエルが美形のギルと至近距離で向き合う姿は、絶妙に絵になった。
食い入るように見つめてしまう。
ユリエルは壁を背にし、すっかり逃げ道を失っていた。
「こないだのデビュタントで、リリィを口説こうとしてただろ」
「はあ? あんなのちょっとした社交辞令じゃないか。そんなに怒るなよ」
「うるさい」
確かにユリエルとは会場で出会ったけれど、ありきたりな社交辞令を交わしただけだ。綺麗だねと言われたので、ユリエルも素敵よと無難に返しておいたけど……
それの何が気に入らないのかしら?
「お前、俺の気持ちを知ってる癖に……っ!」
えっ!!!
ガシッという音が聞こえて目を見張る。
ギルが、ユリエルの背後の壁に勢いよく両手をついていた。
長身のギルに囲われたユリエルは、息を呑んでギルを見上げている。
……なによこれ。
もしかして……ラブシーンっ!?
緊迫感のある空気に、こっそり見ている私の方がドキドキしてしまう。
ギルがユリエルを睨んだまま、2人は見つめ合っている。
――え、もしかしてギルってば、ユリエルのことが好きだったの!?
ユリエルが私を褒めたから……嫉妬しているの……?
2人の距離が近い。
私の心臓がバクバクと音を立てている。ギルの顔が、ゆっくりとユリエルに近づいていく……
嘘。嘘……っ!
ギルがユリエルとキス……しようとしている……
「もう2度と……あんなこと言うんじゃないぞ……」
その決定的な場面を見たくなくて。私は、早急にその場を離れていった。
その後まもなく、ユリエルには綺麗な婚約者が出来た。
先日のデビュタントで仲良くなった令嬢だそうだ。
ギルとユリエルの関係は、どうやらギルの一方的な片想いだったらしい。可哀想に、美形でもどうにもならないことが世の中にはあるのだと知った。
ギルをユリエルに奪われなくて安堵したものの、女の私では永久に彼の愛は得られない。元々望みは薄かったけれど、これで失恋は確定となってしまった。
でも……
この先ギルが誰を好きになろうとも、結婚という形で叶うことだけはないのよね。
と、いうことは。
ギルの恋人にはなれなくっても、これまでのように側にい続けることなら……私にでも出来るんじゃないかしら?
◆ ◇
「え? 白い結婚……?」
ぽかんと口を開けるギルに、こくりと頷く。
「いい提案だと思わない? ギルも好きじゃない人と結婚させられそうなんでしょ。それなら私と手を組みましょうよ! 実体のない結婚なら、いけそうじゃない?」
――幼い頃から、ギルのことが好きだった。
でもギルは、あの煌びやかな令嬢たちですら落とせないような人なのだ。黒い髪に黒い瞳の地味な私が相手にされるわけがない。そう、私は人気者の彼と違って、求婚はおろか夜会のダンスですらギル以外の男性に誘われたことがないような、魅力のない女なのだ。
……そう思って諦めていた。
彼の性癖を知って以降は、より一層、自分の気持ちを封じ込めることにした。
だってこの想いを告げてしまったら、今の心地よい関係が崩れてしまうもの。
仲のいい幼馴染としてでいいから、彼の側にいたかった。
だけど……ギルが好きな人と結ばれるならまだしも――――嫌々で他の女の子と結婚するくらいなら、別に私でよくないっ!?
大丈夫。私ならギルの趣向を理解してあげられるし、尊重だってしてあげられる。
彼と触れ合えなくてもいい。
今までのように側にいられたら、それで私は十分だもの。
ギルとなら家格も釣り合うし、親同士も仲が良い。
たぶん反対されないと思う。
「って、ちょっ……リリィ!」
「なに? 形だけでも私と結婚するのは嫌なの?」
「形だけの結婚とか、そんなの嫌に決まってるだろ!」
「じゃあ、誰か他に結婚したい女の子でもいるの?」
「そんなの、いる訳がない! リリィ、お、俺が結婚したいのは……」
ギルの口元がわなわなと震えている。
知ってる。ユリエルと結ばれたいのよね。
「でもそれじゃ、あなたのご両親は納得しないでしょ? まぁギルが嫌なら仕方ないわ、その釣書の中から手頃な相手を探すことね。私も覚悟を決めて、親の勧めてくる縁談の中から、少しでもマシな相手と結婚を……」
「待ってくれ!」
ティーカップがぐらりと揺れる。ギルがテーブルに手をついて、勢いよく立ち上がった。
「分かった、その条件でいい。結婚しよう」
「なら決まりね。お父さまやお母さまたちに、お話をしに行きましょう!」
幸い、お互いの両親はすぐそこにいる。
私とギルは、お茶もそこそこに屋敷の中に戻っていった。
◆ ◇
結婚の話は、お互いの両親にすんなりと受け入れてもらえた。
反対されるどころか、むしろ歓迎ムードだ。突然の話なので、もっと驚かれると思っていたのに、拍子抜けするくらいみんな私たちの関係を疑おうとしなかった。
特に母親たちからは、こちらがドン引きするくらい、熱烈に歓迎されてしまった。皆の前でギルが求婚を切り出すと、母親同士が手に手を取り合いながら、目にうっすらと涙まで浮かべている。
……ねえ、ちょっと大袈裟過ぎない?
「ああ嬉しいわ、ジゼル。ようやくこの日が来たのね……!」
「感激だわ、デイジー。やっと上手くいったのね……やっと!」
まぁね。ずっと結婚する気のなかったギルが、やっとその気になってくれたんだもの。親として安堵するその気持ちは分からなくもない。私の母も、結婚したくない!と常日頃から騒いでいた私がどうにか片付きそうなんだもの。そりゃ嬉しいわよね。
ただし、この結婚は普通の結婚じゃない。
形だけの結婚だ。孫だって抱かせてあげられない。浮かれている4人にはとても言えないから、こっそりと心の中で懺悔しておこう。
ほんっと、ごめんなさいっ……!
「ギル、あなたもやる時はやるのね。お母さん見直したわ」
ジゼル様からの特上の笑顔に、チクリと良心が痛む。申し訳なく思いながら隣の彼を見上げたら、ギルも気まずそうに母たちから目を逸らしていた。