銀色の八夜目
週末に用意された馬車は、初デートの時に乗ったものよりも一回り大きなサイズだった。
「それでは行ってくる」
「お二人ともいってらっしゃいませ」
屋敷の皆が見送る中、ギルのエスコートを受けて馬車に乗り込んだ。私にぴったり寄り添う彼に、演技だと分かっているのに頬が赤くなってしまう。そんな私たちの姿を皆が微笑ましく見守っている。
――相変わらず、皆の見ている前では別人のような態度だわ。
エスコートとして彼が触れてきたのは、手でも腕でもなく、腰だった。ギルの偽装っぷりは今日も徹底している。2人きりになったとたん離れちゃうくせに……。
馬車に乗り込むと、予想通りギルは私から離れていった。前回の偽装デートの時とは違い、今日はゆったりした車内で向かい合わせになって座っている。さっきまでとは全く違う態度に、ため息が零れそうになる。
今日はミュミュの喫茶ルームでお茶をして、それから依頼しているペアリングを受け取りに行く予定。どちらも楽しみ、といいたいところだけど……
『実はユリエルに誘われて、一緒に予約を取ったんだ』
ユリエルと行くつもりで予約した場所に、私が行ってもいいのかしら……。
ユリエルにそのつもりはなくても、ギルにとっては楽しみにしていたデートだったはず。それなのにどうして私を誘ったの?
ユリエルの都合がつかなくなって、キャンセルでもされちゃった?
半年も前から予約してたのに。可哀想なギル…………
「どうしたリリィ、浮かない顔をして」
「え、いいえ。眠くて、ちょっとぼんやりしていたの」
「そういえばこのところ寝付きが悪いようだが、なにか気にかかることでもあるのか……?」
ギルの手が私の頬に伸びかけて、止まった。
彼がはっとしたような顔をして、伸びかけた手を自分の膝へと引っ込める。触れてくれるかと期待したのに。やっぱり2人きりだとギルは何もしてくれない。
「ううん。楽しみにしすぎて、寝付けなかっただけよ」
「そうか。それならいいが……何かあるなら言えよ」
「ふふっ。心配してくれたのね。大丈夫、なにもないわよ」
半分は嘘。
ミュミュもペアリングもものすごく嬉しいけれど、たった一つ。ユリエルの事だけがどうしても気になってしまう。
「そういえば指輪だが、実は一つ加工を依頼してあるんだ」
「加工?」
「輪の内側に文字を入れてもらった。その方が記念になるだろ?」
「それで予定よりも完成が遅れていたのね」
「ああ。小さな文字を入れるのは大変だったようだ」
結婚の日付でも入れたのかしら。
それは、とてもいい記念になりそう。
「嬉しい……」
「……本当にそう思っているか?」
「ええ。思っているわ」
胸の内にじわりと喜びが沸き起こる。ギルが私とのペアリングに、記念になるなにかを刻もうとしてくれたのだ。
ギルはお揃いの指輪を、夫婦としての証にするつもりなのだろう。それってすごく……嬉しい。
いい加減、私もユリエルのことで頭を悩ませるのは止めにしないといけないわね。
「な、なんだよジロジロと」
「ありがとう、ギル」
にっこり笑って感謝を述べ、正面に座るギルをじっと見つめた。私から遠慮のない視線を向けられて、ギルの頬がだんだん朱に染まっていく。
ふふっ。
今日は素敵な一日になるといいな。
◆ ◇
ミュミュという菓子屋は、とても目立つ。
初めて訪れる客でも、一目見てこれだと分かるに違いない。
「まるでお菓子の家だな」
ギルが苦笑しながら前方の建物を見上げている。
彼の隣で私もうんうんと頷いた。
そう、一言で言うとお菓子で出来た家。それがミュミュの建物なのだ。
絞った生クリームのような模様をした、白い屋根。
キツネ色の壁には、こんがりと焼き目の入ったハートや星、クマなどの形をしたものが飾り付けられている。窓のぐるりには、鮮やかな色をした丸いものが等間隔で埋め込まれていた。
「いつ見ても壮観よね」
窓枠はウエハースを模していて、入り口のドアは艶のあるチョコレート色で塗られている。店の外に置いてある椅子はプティングのような色と形をしていて、そこにメイド服を着た若い女性が行儀よく腰を下ろしていた。
「ほら見てギル、あのクマなんて本物の焼き菓子のように見えるわ!」
「間違えて食うなよ」
「失礼ね、いくら私でも間違えないわよ。美味しそうだなとは思うけど……」
「慌てなくても、ちゃんと本物が食べられるからな」
ギルが笑いながら私の手を引いた。
馬車の中では指一本触れようとしなかったのに、外に出た途端にこうして手を繋いでくるんだから……。苦笑しながら店の前まで来ると、こんがりとしたバターの香りが漂ってきた。
「わぁ、いい匂い……!」
甘い香りに期待が膨らむ。ギルから貰ったミュミュのクッキーは、今まで食べたどのクッキーよりも美味しかった。今日は何を頼もうかな。喫茶ルームの一番のおすすめはベイクドチーズケーキだと聞いていたけれど、それにしようかな。
「良かったな、リリィ」
ふっと隣を見れば、ギルが私を見てゆるりと顔を綻ばせていた。幸せの匂いに包まれて私もにやにやが止まらない。楽しみ過ぎるわ!
「予約されていたランドル様ですね。係の者が案内しますので、こちらでお待ちください」
ビスケットの形をした長椅子に腰かけて、目の前のショーケースを眺めた。ガラス越しに並ぶケーキはどれもが魅力的で、どれを選ぶか迷ってしまう。
「どれも美味しそうで困るわ」
「好きなだけ選べよ。食べきれない分は俺が食ってやるからさ」
「そんなこと言うと大変なことになるわよ? 私、ここにあるもの全部食べてみたいと思ってるんだから」
「それもいいな。今日中に全部は無理だが、また予約を取って食べに来よう」
さっきからずっとギルが蕩けた笑顔をし続けている。彼もここのお菓子が好きなのだ。
以前お土産に貰ったミュミュのクッキーを、ギルにも味わって欲しくて一つだけ彼の口の中に放り込んだことがある。「俺はいいからリリィが食べなよ」なんて固辞していた癖に、あの時の彼は嬉しそうに口元を綻ばせていた。
うんうん。その気持ち分かるわ。だってとっても美味しいもの!
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
白い丸襟の服を着た若い女性がやってきた。真ん中に並ぶボタンは大粒の栗の形になっている。ボリュームのあるスカートは、表面に茶色の紐のようなものがくるくると横向きに巻き付けられていて、まるでモンブランみたい。可愛い。
店員に案内され、階段を上がっていく。ここは1階が対面販売の場となっていて、2階が喫茶ルームとなっている。2階に上がるなんて、初めてだわ……
「なんだかドキドキしてきちゃった」
「喜んで頂けて何よりだが、足元気をつけろよ。スキップしながら階段登るんじゃない、こけるぞ」
「ギルってば心配性ねえ。このくらいへーきよ、へー……きゃっ!」
「うわ!」
軽やかなステップで階段を登ろうとして、思い切り足を踏み外してしまった。一瞬冷や汗をかいたものの、真後ろにいたギルがしっかりと私を受け止めてくれたので、転ばずに済んだ。
「~~ほら、だから言っただろ」
「…………ごめんなさい」
いけないいけない。ちょっと浮かれすぎちゃった。
「足、ひねってないか?」
「ギルのおかげで無事だわ。ありがとう」
「そうか。……良かった」
見上げると、ギルが私の顔を覗き込んでふわりと笑っていた。エメラルドグリーンの瞳が愛しげに私を見つめていて、どきりとしてしまう。
これも、演技……なのよね。
ここは外で、誰かの目があるからで……
「お客様? 大丈夫ですか?」
「あ、はい! お騒がせしてすみません!」
2階に辿り着き、係の女性が扉を開けると、白い背中の向こうにマカロンのようにカラフルで丸いテーブルが並んでいるのが見えた。
「あちらの窓際のお席になります」
手のひらで指し示されたテーブルは、通りに面している窓際の席だった。
外の景色を眺めながらスイーツ、いいわねえ。
うっとりしながら足を踏み入れかけて………………その光景を見て、ぴしりと固まった。
嘘。
「どうしたリリィ、立ち止まってないで入れよ」
私たちが予約した席の隣に、ユリエルとキャサリン様がいる……
 




