銀色の六夜目
金髪ショート作戦も、失敗した。
エマの言う通り、ユリエル風ヘアスタイルはギルに大変不評だったのだ。翌朝目を覚ましたら、渋い表情をする彼に金髪と短髪の厳禁を言い渡されてしまった。
エマが、私から満足そうにかつらを受け取る。
「ええ、そうだと思いました。これを被ったリリィ様を見て、ギルフォード様はひどく落胆されていたでしょう?」
「落胆というか……怒らせちゃったみたいね……」
昨夜のギルは様子が変だった。
ユリエルそっくりの髪をした私を見て、優しい彼が珍しく感情を高ぶらせていたのだ。おやすみのキスがなぜか一度だけでは収まらず、幾度も額や頬に降り注ぎ、そして――……
指先をそっと唇に当てる。
彼の辛そうな表情が脳にこびりついて離れない。ギルは金髪の私を見て、間違いなくユリエルを思い出していた。
そして叶わぬ恋と現実のギャップを改めて思い知らされ落胆したのだろう。苛立ちのまま私に触れ、最後に口づけをしようとして――――結局、出来なかったのだ。
「もう、ユリエルから離れることにするわ。そうね……今日も刺繍の練習をしようかしら……」
「リリィ様……」
「もうすぐ一枚目が完成しそうだもの。頑張らなきゃ」
ユリエルの真似をしてもどうにもならない。
私は、私なりに愛される方法を考えなくちゃいけない。
――――そんな上手い方法は、いくら頭をひねっても、なにも思いつかないのだけれど。
◆ ◇
晴天だったはずの空は、いつの間にか暗い雲で覆われていた。
雨が降るかもしれない……
晴れない気持ちで広間の窓から空を眺めていると、不意にギルがやって来て、背後から私を抱きしめた。
「さっきから何を見ているんだ?」
「……っ!」
突然の感触に驚いて、びくっと大袈裟に身を竦めてしまった。ギルはそのまま離れるどころか、私の肩に頬をすり寄せてくる。彼の吐息が首筋に触れ、くすぐったくて余計に身体が固くなってしまう。
「……あ、あそこの木の枝よ……。ほら、コマドリが見えるでしょ?」
「リリィは俺よりも、あのコマドリの方が気になるのか?」
「気になるだなんて、そんな大袈裟なものじゃないわ。可愛いと思って眺めていただけよ」
「ああ……確かに、可愛いな」
蕩けそうな甘い声が耳元で響いて、私の腰に絡まるギルの両腕にキュッと力が込められた。力強い彼の腕の感触に内心ドキドキしながら、それでもなんとか平静を装う私を更に追い込むかのように、ギルが私の耳朶に音を立ててキスをする。
みんな、見ているのに……
窓硝子越しに室内の様子が薄っすらと映っている。はっきりとは分からないけれど、それでも室内にいる皆が私たちを見ている事だけは確かだ。アドルフ様も、ジゼル様も、使用人たちも、そして――――私の両親も。
「あらあらあら。二人ともとっても仲が良いのねえ。ねえジゼル、いつもこうなの?」
「そうなのよデイジー。朝のお見送りの時なんて、ギルってばものすごく名残惜しそうに行ってきますのキスと抱擁をリリィちゃんにしてるのよ?」
「まああああ! リリィってばギルくんにすごく愛されているのねえ。お母さん安心したわ」
ああ。みんな見ているから……か。
今日はいつもの定期交流会。結婚して以降、初めて私の両親がランドルの屋敷にやってきた。だからギルは普段よりも張り切って、私の両親の前で仲良し夫婦を演じているのだろう。
お母様、とても嬉しそうね。
お父様も、微妙な表情をしつつも優しい目をしている。2人とも、私が幸せな結婚をしている様子を心から喜んでいるのがとても伝わってきて……、胸が、ちくりと痛んだ。
本当は、白い結婚なの。
寝室だけは辛うじて同じだけれど。手を繋ぐことも、おやすみのキスも、もうなくなってしまったの。
喜んでいる2人にはとても言えないけれど……。
雲が厚くなり、外が暗くなってきた。コマドリもどこかへ飛び立ち、小さな雨の粒が窓を濡らし始めている。そろそろソファに戻ろうかと思ったけれど、ギルは私の身体を抱きしめたまま離そうとしない。
窓には背後のギルがはっきりと映し出されている。困惑する私を両腕で抱えながら、真っ直ぐに窓の外を見つめているギルは、どこか辛そうな表情をしていた。
そんなに嫌なら、無理して演じなくてもいいのにね。
私がユリエルの真似をしたあの事件以降、ギルはみんなの前では、今まで以上にベタベタと触れてくるようになった。屋敷の皆からも、以前にも増して仲良し夫婦だと思われている。
けれど、夜は真逆。あの日からぱったりと、ギルは私におやすみのキスをしなくなってしまった。手すら繋ごうとせず、初めての夜と同じように今夜も私から背を向けて、ベッドで横になっている。ギルの広い背中は、まるで私を拒絶しているかのようで……あまり見ていたくなくて。私も自然と彼に背を向けて寝るようになってしまった。
「おやすみ、リリィ」
「おやすみなさい、ギル」
顔も合わせずに告げる言葉が、今の私たちの本当の距離を突きつけられているみたい。私はじくじくと痛む胸を抑えながら、今日もどうにか眠りにつくのだった。
◆ ◇
鬱々とする気持ちを少しでも紛らわせたくて、ちくちくと今日も私は縫い続けていた。
そうしてついに、一枚目のハンカチが完成した。
「できたわっ!」
白いハンカチの右下には、ランドルの家紋が銀の糸で縫い付けてある。その真下にはギルのフルネーム、こちらは彼の瞳の色にした。左下には港領らしく船の図を入れ、更にはハンカチ全体にピンクローズをあしらってみた。私たちが婚約をした時に咲いてた、思い出の花だから。
……ちょっと盛り込み過ぎたかしら?
下手なのに、つい欲張って色々と模様を入れてしまった。こういうところがダメなのかも……。おかげでただでさえ汚い模様が、余計にごちゃごちゃして汚らしく見えている。よし、次はシンプルに名前だけ入れてみよう。
「リリィ様、頑張られましたね!」
エマが涙ぐみながら私の手を取った。ちょっとエマ、あまり強く握らないで。さっき盛大に針を刺したから、圧迫されると痛むのよ。
「ありがとう、エマのお陰よ。じゃあ、暖炉にくべましょう」
刺し終えたばかりのハンカチを握りしめ、ソファから腰を上げると、エマが驚いて私の腕を掴んだ。
「え、燃やしてしまわれるのですか? 勿体ない!」
「燃やすわよ。こんな下手くそなもの、必要ないでしょ?」
「リリィ様、折角ですしこれ、ギルフォード様にプレゼントしましょうよ」
「なにを言うの? こんなものをギルに渡したら、嫌がらせだと思われてしまうわ。これはいらないものなのよ、エマ」
出来上がったハンカチは、我ながら膝をつきたくなるほど酷い出来栄えだ。模様の形は歪だし、あちこち糸がほつれている。いくら優しいギルでも、これを渡したら表情を引きつらせてしまうだろう。いや、ギルのことだからそれでも無理して笑ってくれるかもしれない。
そんなの、余計に辛いわ……
ただでさえ日々無理をさせているのに、これ以上彼に負担をかけたくない。
こんなハンカチ、捨てる一択なのよ!
「いえ、必要です! これがないと、次回縫われた時に上達したかどうかが分からないじゃないですかっ!」
確かに……そうだけど。
「リリィ様。刺繍とは、ただやみくもに練習しても意味がないのです。具体的にどこをどう直していけばいいのか、過去の作品を反省の材料にしながら進めていかないといけません。そのハンカチは上達の糧になるのです。超!重要なものなのです!」
な、なるほど……
この失敗作も上達に必要ってわけね。
「じゃあ、次の練習作が完成するまで、置いておくことにするわ」
「ぜひ、そうなさってください」
エマのいう事にも一理ある。
私は世にも不出来なハンカチをくるくると丸めて、そっと引き出しの奥にしまいこんだ。




