白い0日目
後書きのところにイラストがあります。
ずっと、好きな人がいる。
「汝、ギルフォード・ランドルは、リリィ・ハーソンを妻とし、健やかなる時も、病める時も、これを愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
「汝、リリィ・ハーソンは、ギルフォード・ランドルを夫とし、健やかなる時も、病める時も、これを愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
「では、誓いのキスを」
純白のベールがそっとめくられた。
目の前にいるのは、まばゆい銀の髪を風になびかせた、見目麗しい青年だ。金の刺繍を施した白の衣装を身にまとい、端正な彼をいっそう華やかに仕立て上げている。
「ちょっとだけ、我慢しろよ」
タキシードを着たギルが、私にだけ聞こえるような小さな声でささやいた。
無言でこくりと頷く。彼が苦しそうに眉を寄せながら、私の顔にゆっくりと近付いてくる。
そんなにも私とのキスは嫌なのか……。辛そうに顔をしかめる彼を見ていたくなくて、私はギュッと目を閉じた。
唇に軽く掠める感触。
愛のないキス。ギャラリーを納得させる為だけに行われたそれは、私にとって生まれて初めての口づけだった。
―――今日。私は大好きな人と、白い結婚をします。
◆ ◇
それは、3カ月ほど前のこと。
私はランドル邸ご自慢の庭園内にあるガゼボにて、ギルと食後のティータイムを楽しんでいた。
「ギル、あなた昨日も女の子を泣かせたでしょ」
「人聞きの悪い事を言うなよ、リリィ。俺はただ、付き合えないって言っただけだ」
すっかり恒例となっている、ランドル子爵家とハーソン子爵家の定期交流会。昼食を終えた後、親たちが屋敷の広間で談笑する中、いつものようにギルと2人で抜け出してきた。
ギルことギルフォード・ランドルとは、物心つく前からの知り合いだ。
私の両親とギルの両親が、学生時代からの友人なのだ。
親に連れられて、ギルと初めて会った時のことなんて、もはや幼すぎて記憶にない。気がつけば側にいた彼は、私にとって大事な幼馴染であり――――なおかつ、一番仲の良い友人でもあった。
季節は初夏。辺りにはピンクローズが美しく咲き誇っている。それらをうっとりと眺めながら、それよりも美しい目の前の青年にちらりと目を遣った。
銀色の髪が陽に当たり、まばゆく煌めいている。
「全く、これで何人目よ。婚約者がいるならともかく、フリーなのにどうしていつも断っちゃうのよ。結構可愛い子だったのに、勿体ないわね」
「うるさいな。リリィには関係ないだろ」
「大ありよ。みんな、私のところへ文句を言いに来るのよ?」
宝石のように綺麗なエメラルドグリーンの瞳に、華やかで甘い顔立ち。けれども凛々しい眉が精悍な印象をも与えてくる。小さな頃、天使のように可愛い顔をしていたギルは、成長して華麗な王子様へと変貌を遂げてしまった。
そんな彼は、当然のようにモテまくっている。
「っ! もしかして苛められていたりするのか!?」
「違うわ。中途半端に期待をさせないでとか、もうすぐ卒業なのに何をぐずぐずやってるのとか、意味の分からないことを一方的にまくし立てられるのよ」
ギルが頭を抱えてうつむいた。頭を抱えたいのはこっちの方だ。とばっちりもいい加減にしてほしい。
ごほん、とわざとらしい咳払いを一つして、ギルが居住まいを直す。エメラルドグリーンの瞳が真っ直ぐ私に向けられて、心臓がどくりと一拍、音を鳴らした。
「それより、今日はリリィに話がある」
なに。なんなの。改まった顔しちゃって。
「ほら、俺らもさ、もうすぐ学園を卒業するだろ?」
「そうね。あと一ヶ月で卒業ね」
「そのこともあって、昨日改めて父さんと母さんから言われてしまったんだよ。お前も18になるのだから、いい加減結婚を視野に入れろって。学生のうちは見逃してくれたうちの両親も、さすがにそろそろ、婚約者どころか恋人すらいない状態の俺をまずいと思ったらしくてさ」
「まあ、そうでしょうね」
ギルは子爵家の一人息子だ。下位とはいえ一応貴族の端くれである。お世継ぎの問題もあるし、いつまでも結婚せずに逃げ回れるわけもないだろう。
「で、婚約者が決まったの?」
「まだそこまでは決まってない。これといった相手がいないのなら、この中から選べと言われて、釣書をどっさり渡されたけどな」
「へえ、すごいわね。選択肢が多くて良かったじゃない」
ティーカップに口を付けてから、にっこり笑ってそう言うと、現実を受け入れたくないのか、ギルが不満気に口を尖らせた。
「……。ちっとも良くない。興味のない女ばかり勧められたって、迷惑なだけだ」
端正な顔立ち。高い背丈に、すらりと均整のとれた体つき。見目のいいギルは、学園中の子女から熱視線を送られまくっている。それなのに、なぜか彼は誰とも浮名を流したことがない。
夜会でも私と申し訳程度に踊るくらいで、あとはずっと壁の花と化している私の隣で、不機嫌そうに周囲を睨んでいるだけだ。
エメラルドグリーンの瞳をじっと見つめる。
たぶん彼は。―――ギルには、心に決めた人がいる。
私の推測が間違っていなければ、それはギルにとって、結ばれることが叶わないようなお相手なのだ。
……いや、はっきり言おう。
彼の想い人は、級友のユリエルなのだ!
ちなみにユリエルとはれっきとした男である。
「そんなに結婚したくないの?」
「あ、いや、結婚したくないわけじゃなくて……その、俺はただ、好きでもない相手と結婚するのが嫌なだけで……。そりゃ跡継ぎが必要なことは分かっているが、だからといって、どうでもいい女と結婚して閨を共にするだとか……そういうのは嫌なんだ」
「ギルって潔癖なのね。女性ならともかく、男性は誰でもいけるものなんじゃないの?」
「リリィは俺を節操のない人間だとでも思っているのか!?」
「いえ、一般的に、許容範囲が広いのではと思っただけよ」
ほら、ギルは女の子に興味がないんだわ。
だって、普通はここまで嫌がらないと思うの。
ブレッドお兄様は仰っていた。愛はなくとも行為はできると。屋敷に押しかけてきた女の子にそう言って、頬に立派な手形を作ってた。
前々からおかしいと思っていたのよね。あんなに女の子に言い寄られているのに、誰にもなびかないなんて。女の子が好きになれないのなら、あの素っ気ない態度も納得だ。
中にはすごく可愛い子もいたのに、ギルは全然見向きもしなかった。理由を尋ねても、いつも不貞腐れてそっぽを向いていたけれど……
そりゃ大っぴらに言えないはずだわ。男がいいなんて。
「リリィ……」
ギルが私の手を取った。救いを求めるような真剣な眼差しを向けられて、胸がつきりと痛む。
可哀想なギル。ギルの想いは一生叶うことがないだろう。ユリエルも子爵家の一人息子なのだ。ギルの想いには応えてあげられない。まあそもそも、ユリエルはノーマルだし、綺麗な婚約者にめろめろなのだけど。
「今まで気まずくなるのが怖くて、ずっと言えなかったけど」
「なに?」
「お、俺は……、その……」
もしかして、ユリエルへの熱い想いを、カミングアウトしようとしているの!?
ギルが白い頬を赤く染めながら、何やら言いにくそうに口をもごもごと動かしている。こういった趣向は珍しくないとはいえ、中には蔑む人もいる。でも私まで同じだと思わないで欲しいわ。
「ギルの気持ちは分かっているわ」
「そ……そうなのか?」
「馬鹿ね。あなたとは長い付き合いなのよ。もうとっくに気付いていたわよ」
しっかりとその視線を受け止めて、深くうなずいた。
そりゃそうよね。好きな人がいるのに、好きでもない人と結婚なんて。ましてや触れ合うなんて嫌よね。
その気持ち分かるわ。だって私も同じなんだもの。
好きでもない人と結婚なんてしたくない。
誓いのキスでさえ嫌なのに、その先なんてもっとごめんだわ。
「ねえ、ギル。私、好きな人がいるの」
「は…………」
ギルが驚愕に目を見開いている。
そういえば18年も一緒にいたけれど、恋のお話なんて一度もしたことがなかったわね。だって本人相手に、好きな人の話なんて出来るわけがない。
「好きな人、ってまさか、絵本に出てくる王子様とか言わないよな?」
「失礼ね、私をいくつだと思ってるのよ。現実の人間に決まってるでしょ。まあ、王子様みたいな人ではあるけれど……」
「お、王子様……」
――え? ギルってばまさか、私が初恋もまだだと思っていたの?
そんな訳ないじゃない。
ちょっと驚きすぎ。
「どうしてもその人でなきゃ嫌なんだけど、絶対に叶わない相手なの」
「…………」
「だから私と結婚しない?」
「………………は?」
ギルが詰めていた息を吐いた。
私は、畳みかけるように続きを言い放った。
「私もギルと一緒よ。好きでもない人と結婚して、触れられるなんて冗談じゃないの。でも親は結婚しろってうるさくて。――――だから私と結婚しない? 私なら、あなたと白い結婚をしてあげられるわ!」