対葎
「……………」
「……………」
「はい、どーぞ」
凛が少し礼儀よく振舞って接客用テーブルにコーヒーカップを2つ置く。
「ぁ、どうも」
1人の少年がそう言ってあさく頭を下げた。
紺色のスーツ。
似合わない、といえばウソではない。
だが特注のようで着れる着れないの問題はないようだった。
いえいえ♪、と凛はそのまま事務所から姿を消していく。
そしてそのまま何もない沈黙。
潤はその少年を少し不思議そうに見つめている。
少年は俯いたままテーブルに置かれたカップに目をおいていた。
ぎくしゃくしながらその少年はコーヒーカップを持って口へはこぶ。
潤が1つ忠告。
「それ、ブラックだけどかまわないのか…?」
思わず少年の手が止まる。
「え?」
少年は1口飲んで一瞬苦そうな表情をうかべた。
そしてゆっくりとそのカップをテーブルへと戻す。
もう少年はこれを飲まないだろう。
今度は潤がそのカップを持った。
口へつけて、傾ける。
すぐさま潤は口を尖らせた。
ブラックの苦味、どうやら潤にはまだ分からなかったようだ。
彼はあえてそのカップをテーブルの片隅へ。
もうあれは2人とも飲まないだろう。
突如、トコトコとやってきてそのカップを持った咲。
彼女は一口飲んで軽くうなづいた後、それをそのまま自分の机へ持っていった。
そしてキータッチ再開。
思わず咲の『何か』を疑ってしまった潤と少年。
とりあえず潤は話を切り出す。
「そういえば、まだ名前も聞いてなかったな」
「え?あ!そうでしたねっ」
少年は慌てて胸ポケットから名刺を抜き取った。
潤は滑るように置かれた名刺を取る。
『藍天那彦』
潤は何度か名刺と実物を見比べた。
特に意味はないだろうけれど。
「藍天家……」
潤はそうつぶやいて、考え込む。
何かがノドでつっかえているようだった。
「藍天那彦、藍天家現当主藍天蒼海の1人息子、次期当主」
そこに咲がキータッチをしながら、わざと聞こえるようにつぶやく。
口をはさんだというか、カバーしたというか…。
潤は少し思い出したようで、ぁー、と愚痴った。
ふぅ、とため息をついたところで彼は少年、那彦にたずねる。
「藍天家、三種の神器のうち八咫鏡を占める三大富家の一家か」
那彦は肯定も否定もしないが黙り込んだところから肯定だろう。
潤は話を続ける。
「大手有名会社を所持し、市民を従えるに苦はないそんな御家族様の息子さんがなんでこんなところに?」
その尋ね方は疑問というより確認に近かった。
那彦は少し躊躇したようだが諦めたようにため息をつく。
そしてゆっくりと口を開いた。
「ええ、確かに藍天家は三種の神器の一つである八咫鏡を占める領主ではあります。
ですが、それでも、決してボクたちは一番というワケではないんです」
潤は少し興味を持ったのか体を乗り出す。
それで、と言わんばかりに那彦を見た。
「哀河さん、紅神家がどういうものなのか、ご存知ですか?」
「紅神家?あぁ、三種の神器のうち八尺瓊勾玉を占める三大富家の一家だろ。
知ってることだけ話すなら、
紅神家は碧北家、藍天家よりも地位が低く、その影響力も小さい。
15年くらい前に難病の特効薬を発見して以来新たなことなし。
その理由としては風の噂で色々聞くが、まぁどれも大体ハズレだな。
今は大きな屋敷を1つだけ持って、それ以外は壊した、か。
八尺瓊勾玉あたりの支配力が以上に減少し、今紅神家が攻められてもおかしくはない。
そして現当主紅神陽幻64歳、息子おらず。
そのため紅神家は陽幻が最後の子孫だってことぐらいかな」
三種の神器八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉というのはただの呼称で日本を三分割した領土を示す。
八咫鏡(藍天家)は関東、東海、関西、北陸を
草薙剣(碧北家)は中国、四国、九州、沖縄を
八尺瓊勾玉(紅神家)は北海道と東北。
それぞれその領土内に屋敷を1つ持っている。
那彦は若干目を丸めながら潤に言った。
「意外と、情報収集家なんですね…!」
「まぁ、請負人なんだからな。ある程度の情報はもっておかないと」
「………確かに……」
那彦はコーヒーカップを手に取る。
もうコーヒー(マイルド)はぬるくなっていた。
コーヒーは熱いうちがおいしいとも言うが、少年は猫舌だったらしい。
2,3口、飲んで再びテーブルに置く。
「………………でも、それは公開された常識であって『黙秘された』常識ではありません」
潤の表情が変わった。
「どういうことだ…?」
「確かに一般的に紅神家は何もしていません。あくまで公開では、です。
裏では今紅神家は3大富家であるボクたち藍天家と碧北家を敵対視しています。
そして現在のところ八尺瓊勾玉は関東へ支配下を延ばしつつあります」
那彦は下唇を噛む。
「三大富家はお互いに協力し、国を発展させることを理由に三種の神器を形成したはずだ。
それをなぜ紅神家は破壊している…?
藍天家、碧北家を敵に回せば勝てるはずなんて――」
「いえ…たとえボクたち藍天家と碧北家が手を結んで紅神家と戦っても勝つことはできません。
昔なら、刀や弓を用いた地形戦闘ができたのですが、今は現代。
銃やナイフ、いまや武器はかぞえられないほどあります。
いえ……これはただの戯言ですね。
もっと率直に言いましょう。
紅神家は決して地位が一番低いワケでも支配率が低下しているワケでもないのですよ」
事実なのにあまりにも心に残りすぎている違和感。
潤は何も話さない。
「わざと、そう漏らしているのですよ。紅神家が」
「なんでだ…?そんな必要どこにも―――」
潤の口が止まった。
そしてはぁ、とため息。
「ぉぃぉぃ、それはなぁ…。秘密を守るために秘密を漏らす。なるほど。
それは人間みたいな思考だな。
本当のことを守りたいがために嘘をつくようなことだな。
たしかに『ある条件』さえそろえばその意味はでてくるな。誰も気づけないような条件。
いや、誰1人気づかせない条件ってところか。
『その確立は1%、でも0%じゃない』
って言われたこともあったけど……ほんとに…こんなの世間が知ったら大混乱じゃないか…」
「たしかにそうなるでしょうね。三大富家は名を知らぬ者はいない日本の柱ですから。
喜ぶ者、逆もまたしかり…かと」
潤はソファにもたれかかる。
首を大きく反らせて天井を仰いだ。
「ぁーぁ。まったく、今回はとんだ厄介ごとに巻き込まれそうな予感だな…まったく…」
表情にみえる笑みは何かを期待するかのように少し楽しそうな。
コホン、と那彦が1つ咳払い。
そして
「もう分かっているようなのであまり深くは言いません。
紅神家現当主陽幻の子孫は既に――」