新実
喫茶店休業日。
その喫茶店にある階段。
上ればそこにあるのは、事務所だ。
横長の鉄製机を窓側に窓と平行に設置。
他、学校で使われるようなサイズの同じく鉄製机を4つ真ん中に4:6の割合の長方形になるよう設置。
それだけなら十分とある中小企業オフィスに見えなくもない。
そして接客用に横長机の横に2人用ソファをお互い睨みあえるようにセット。
真ん中にかるく小洒落たテーブル。
まさに中小企業オフィスそのものだ。
仕事に接客、うん完璧。
ちなみに机に配置される椅子はすべて回転式。
中には移動可能式まである。
がちゃりと
ドアが開くとともに、そこから潤が現れた。
スーツなんて着て、いかにもサラリーマンらしさが漂う。
「お?おっかえりぃ〜」
凛が潤に大きく手を振った。
潤は返事をすることなく横長机に向かいながらネクタイを緩める。
凛に向かい合って座っている咲は相変わらずキータッチを続けていた。
机の半分を占める本体とデスクトップとキーボード。
だがそこにはPCの周りには必ずあるはずのものがない。
咲はずっと「マウス」を使うことなく様々な作業をこなしているらしい。
一瞬それを見て感心する潤。
だがまだ無視できない人がソファに座っていた。
女性と女の子、どうやら家族のようだ。
女性は深刻そうな顔でこちらを見ている。
ふぅ、潤が少しわざとらしく一息。
ネクタイをとったところで反対側のソファに座った。
「…本当に…殺したんですか…?」
とちょっと外国人訛した日本語でたずねる女性。
潤はとまどうことなくうなづく。
「ああ、しっかり殺したさ。安心してくれればいい。Ms.ラレン」
女性の名ラレン・ヴォルクライ。
その子の名エルニィ・ヴォルクライ。
……………センタ・ヴォルクライの妻と娘。
ラレンは泣くことなく、まゆをひそめる。
「…………」
エルニィはさきほどから手の平サイズのダイヤモンドを眺め楽しんでいた。
ラレンはエルニィの持っていたダイアモンドを取り上げる。
取り上げるというより、返してもらう。
「本当に、こんな『モノ』でよろしいのでしょうか?」
「ああ、そのダイアなら十分な金になる」
潤は手渡されたダイアを眺めクスッと笑った。
ムダ話をすることなく、ラレン家族は潤に一礼。
そしてそのままドアを開けて出ていた。
ドアが閉まりきる。
それと同時に凛がつぶやいた。
「大富豪親子でも虐待ってあるもんなんだね…」
眉間にしわがよっている。
潤は気づくとソファから椅子に座りなおしていた。
「……ぁぁ…」
返事は曖昧で何か考え事でもしているようだ。
視界の焦点がどこにもあっていなかった。
それを見逃さなかったのは凛ではなく咲だった。
「どうしたの」
「ん?ぁぁ……。少し気がかりなことがあってな。咲、センタ・ヴォルクライって誰かに命を狙われることってあるか?」
「潤」
「いや、オレ以外で…」
「ちょっとまって」
咲はそう言うと再びキータッチ開始。
凛も首をかしげた。
「どうかしたの?」
「……………」
沈黙する潤。
キータッチの音が事務所に響いた。
「実はオレはセンタ・ヴォルクライを…殺してないんだ…」
「…!」
目を丸める凛。
そしてガタ、と椅子から立ち上がった。
「え!?何で!?殺したってあの女の人には言ってたじゃない!」
「ああ、だが実際殺してない」
「じゃあセンタ・ヴォルクライは今!?」
「いや、死んでたんだよ。オレが来たときにはもう死んでた」
「あ!……そぅ」
ふしゅぅ、と言わんばかりに椅子に座りなおす凛。
咲のキータッチが停止した。
「…いない」
「え?」凛が問いなおす。
「センタ・ヴォルクライは環境保護にも、難民救助にも、富豪付き合いもいい…。
だから命を狙われるようなことは、まずない……」
はぁ、と潤は嘆息した。
凛は考えることにつかれたのか机に顔をうずめて睡眠を開始しようとしている。
思考型じゃない凛にとってはめんどくさい、としか言いようがないんだろう。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
凛はそう愚痴ると――沈没した。
キータッチを復帰している咲。
脳をフル回転させている潤。
そして夢境へ出かけている凛。
そんな3人。
まったく別のことをしていた3人。
だが、その3人は一瞬にして同じことを思考した。
プルル、という固定電話の着信音。
潤の横長机の上にのっている電話が鳴っている。
凛の目がパチッとひらいた。
咲のキータッチが止まる。
潤は思考世界から一気に引き戻された。
受話器をとって耳に近づける。
潤は愛想振舞う喫茶店での口調に切り替えた。
「はい。こちら喫茶店―――」
「請負人潤さんで、よろしいですか?」
潤が言い終わるまでもなく受話器から声。
若々しい、13歳ほどのお嬢様だろう。
潤は冷徹な口調へと切り替える。
「…あぁ、そうだ」
その後潤はすぐに気づいた。
こいつがヤバいやつなのか。
それとも―――。
受話器から聞こえてきたのはこの3人と2人しか知らない絶対秘密情報だった。
「センタ・ヴォルクライの暗殺失敗、心から残念に思いますわ」
潤は思わず目を丸める。
こいつ、危険だ…!
一瞬にして潤はそう悟った。
だがそれでも表にその驚きを出さない。
「あぁ、そりゃどぅも」
「ふふ、驚きを隠してるあなたも素敵ですよ?潤」
潤はまゆをひそめた。
「……それで、一体何の用だ?」
「それはもちろん。あなたに依頼を申し込ませていただきますわ」
「…内容を聞こう」
「私の挑戦を買ってくれませんか?」
「………………」あまりに唐突な…質問。
「いえ…あなたに選択肢はありません。あなたを私に挑戦させてください。
簡単に言えば、頭脳対決のようなものですかね。どうですか?」
「………………」潤は何も話さない。
「前払い金1億5千万、後払い同じく、でどうですか?」
「………………」
「そちらが何もお応えしないのは了承…でよろしいのでしょうか?」
「……………3億……か…」
「ええ、あなたはこの依頼に受けるだけで1億5千万という莫大な利益を得るはずです。なぜ悩むんですか?」
「あんたへの挑戦に3億もの価値があるのか」
「何度も申し上げますが、あなたに拒否権はありません。その質問にお答えするならば、YES。ですね。」
クスッと笑う潤。
「いいだろう。その挑戦、買ってやるよ」
「ふふ、それでは後ほど、使いのものがそちらに到着すると思いますので。
あ、あと
私を楽しませれるように愉快に踊ってくださいね?―――――――」
ツー、ツーという連続音。
その音を8回ぐらい聞いた後、潤は受話器を置いた。
私を楽しませれるように愉快に踊ってくださいね?か。
クス、いいだろう。
あんたの手の平で踊った後、そのままあんたを―――。
そういえば…条件を聞いてなかったな。
後々になって潤は、ミスを犯した。
何が勝ちで、何が負けなのかという致命的な―――ミスを。