表裏の違い
「ふぅ」
1人の青年が軽いため息をつく。
成人して間もなく、若干高めの背、足が長くクールな外見。
黒い髪は周りと同じながらも何か違う感じ。
既に全ての辛さを知っているかのように孤独で、悲しげな瞳。
その真黒の瞳は見るものを魅了し、そして魅惑する。
そして彼の仕事は。
立派な社会人でも。
仕事探しのフリーターでも。
生きることすら苦をもった貧しい人間でもない。
彼の仕事は。
命懸けで。
ハイリスクハイリターンで。
どんな仕事だろうとこなさなければいけない。
請負人。
哀河潤。
これが彼の名前。
そして裏社会での彼は。
あまりにも滑稽な
「真黒のナイフ使い」―――。
カランッ
扉の鐘が鳴った。
潤は一瞬そちらを見る。
入ってきたのは2人の女子高校生。
お得意さんだ。
彼女らは潤の前のカウンターに座ると早速こう言った。
「カルピスサワーお願い、潤さん」
「オ、オレンジジュース…」
潤はにこやかに微笑むと
「はい、かしこまりました」
と言って背後の棚をいじりだした。
彼女らの視線は先ほどから潤に向いている。
潤は少し洒落たコップを2つ取り出しそこに白い液体と橙色の液体を注いだ。
「カルピスサワーとオレンジジュースです」
とカウンターにそれを並べた。
こんなときの潤は造りの微笑が本物に見えてならない。
彼女らはそれらを自分の手前まで持ってくるが口にはまだつけないようだ。
「潤さんって…ほんっとに彼女いないんですか?」
カルピスサワーを頼んだ方の女の子が不思議そうに潤にたずねる。
運動会系、積極的で好奇心旺盛の典型的な子だ。
「ええ、いませんよ…?」
潤はわざと少し悩むように言った。
すると今度はオレンジジュースを頼んだ方の子がたずねる。
「ほんとに…ですか……?」
「ええ」
今度の潤は即答だった。
じゃ、じゃあ、と口をつむぐ消極的な方の子。
潤は少し微笑むと
「付き合うとかそういうのですか?」
とその子の言おうとしていた事を先読みした。
いや、実際先読みできて当然だ。
ギクッと若干大きめな反応を見せた積極的な方の子。
一体どっちが潤目当てなのかさっぱりだ。
潤はまゆをひそめた。
「すいません、実は私、とある事情がありまして…
それは話せませんが…そういうことは…できないんです。
すいません…、理恵さんに、巫子さん…」
彼女らは一瞬息を呑んだ。
だが驚いたのは交際不可能ということではなかった。
「何で…私たちの名前を?」
積極的な方の子、理恵が言う。
潤は満面の笑みで
「お得意様ですから」
とお得意様という理由だけではなさそうに言った。
頬を赤める理恵と巫子。
理恵はテレ隠しにカルピスサワーを一気飲み、しはじめ。
巫子はオレンジジュースに刺さっているストローに口をつけた。
潤はそれを見て少し笑う。
どうやら潤の話逸らし作戦は成功したようだ。
そして潤は1枚の小さな紙切れを取り出すとそこにペンで何かを記入しはじめた。
一気飲みして少々酔って頬を赤くしている理恵とストローに口をつけたままの巫子がそれを興味深く眺める。
その紙切れに潤が書いていたのは何かのアドレスのようだ。
@や.が書かれていた。
男とは思えない、だがしかし女々しくもない筆記体。
潤は空のコップとオレンジジュースがまだ残っているコップの間にそれをスッと置いた。
そして2人の耳元でこう呟いた。
「これ、ボクのメールアドレスです」
絶句する理恵と巫子。
この喫茶店を見つけてよかった。
そう思っているんだろう。
ケータイをいじる2人から視線を外し潤は再び扉を見た。
カランと鐘の音が鳴る。
2人のスーツを来たサラリーマンが入ってきた。
彼らはカウンターではなくテーブル席に腰を下ろす。
お得意様その2だ。
2人とも一生懸命働いていそうな外見。
乱れていないスーツからそう見える。
「潤君ッ。麒麟ビールジョッキでお願い」
とその1人が手を上げて潤に言った。
潤はその人を見て
「はい、かしこまりました」
と言うとジョッキ2つを手にとってビールを注ぎだした。
いつも彼らは麒麟ビールのジョッキを注文する。
この4人と残り1人が毎日普段の来店客だ。
理恵と巫子はおそらく学校帰り。
彼らは仕事帰りにここに寄ってくれるんだろう。
彼女らの目当ては潤。
では彼らの目当てはなんだろうか。
飲み物が比較的安いのもあるだろう。
だが彼らは少し特殊な趣味の持ち主たちなのだ。
「こちら、麒麟ビールジョッキです。どうぞ」
とまったく感情のこもってない棒読みが彼らのテーブルの前で言った。
そしてジョッキ2つをテーブルにのせるとスタスタと足早にカウンターへ。
潤の隣。
彼女らから見ると棒読み少女はカウンターから頭しか出ていない。
でも別に彼女らはそれに対して何か思うワケでもない。
彼らはいつもこの棒読み少女の棒読みを聞きに来ている。
メイド服を着ているけれど彼らはロリコンではないのでそれに反応はしない。
ただ声が好きなようだ。
何度も思うが、不思議な趣味をしている。
ロリコンじゃないのに、と。
「咲、もう少し上手くやれないのか」
潤が呆れるようにボソッと言った。
それが聞こえたのか棒読み少女、咲が答える。
「がんばったつもり」
さきほどと棒読みぶりはさほど変わっていなかった。
だが咲は後悔も反省もしていないようにただ立ちすくんでいる。
ふぅ、と潤がため息つくと
「まぁいい」
と軽く諦めたように言った。
そのときだ。
扉が開く。
鐘の音。
入ってきたたった1人の男子高校生。
髪が黒いことから遊んでいるワケではないようだ。
堂々と、というより若干おどおどしながらテーブル席に座った。
「哀河さん、いつもので」
と怯えるように潤に言う。
このなんともいえない可愛さが彼の特徴である。
潤はわざと彼にも聞こえるような声で言った。
「凛さん!出番ですよー」
ピクリと反応する彼。
なかなかおもしろい子だ。
そしてその子のテーブルの前に立った女の子。
咲と同じくメイド服。
だが咲と違ってその姿はほんとにメイドの様に見えてもおかしくない。
163cmの高校生らしい身長と高校生らしい顔立ち。
周りにいるだけでその周囲を明るく照らすようなその偽メイド、凛。
その偽メイド、凛がその子のテーブルに置いた飲み物、ピンク色のカクテル。
「はい、スプモーニ」
と凛はニコニコしながらその子に言った。
頬を赤める思春期青年。
かっわいい、と凛はそう思いながらカウンターの奥へ。
カウンターの奥には食材や飲み物タンクが置いてある。
凛はいつもカウンターの奥でなにかしらやっている。
特に知らないが別に知る必要もないため潤と咲は気にしない。
思春期青年はカウンターの奥をのぞいている。
見えるワケではないが凛が戻ってくるのを待っているんだろう。
ほんの情け、とでも言うのか、潤はカウンターの奥へ燐を呼びに行く。
「凛。あの子が待ってるみたいだ……が……」
思わず潤は言葉が出なくなった。
凛は潤を見て眼を丸めている。
そして逃走。
「待て…!」
潤が追いかける。
あっけなく捕まった燐。
30秒ほどだろうか、燐が逃げれたのは。
「あんた人ん家の飲み物飲むってどういう精神してるんだ…」
少し呆れながら潤がたずねた。
燐は目を泳がせた。
しかたなく凛の両頬を片手でつまむ。
「むぅぅっ!」
燐はそう唸ると両手を合わせた。
ふぅ、とため息をついて手をはなす潤。
「哀ちゃんだって知ってるでしょぉ…?家が貧乏なことぉ」
凛は軽くスねるように言う。
潤の頭に軽い怒が浮かんだ。
「それくらい知ってる。あとその哀ちゃんっていうのやめてくれ…」
………了承しない凛。
再び頬をつねりようやく了承。
「分かったよぉ潤クン」
ふぅ、一息つく潤。
とっととこの場から逃げたい凛は強行作戦へ出た。
「んじゃあこれ謝罪のつもりね♪」
と言い出す。
一瞬反論しようとした潤。
ほんの一瞬、そんな時が過ぎると
「んじゃあね〜!あ〜いちゃんっ」
と凛は潤をすり抜けカウンターへすっ飛んでいった。
逃走…
唇をおさえる潤。
「はぁ」
と声にもなるようなため息をついてカウンターへ戻った。
もう潤には怒る気力も失せていてただ後悔することしか。
そう、ただ1つだけ、あの子に悪いな、と後悔していた。