3.
ぷるるるる、鳴り響いた黒電話に、僕は苛立ちを覚えた。
「……」
生憎ルカは仕事で家を開けている。誰も出る人はいない。
仕方ない、僕が出るか。
上記の考えで纏まった瞬間にがちゃと受話器をあげた。耳に当て、もしもし、と声を出す。
「ルカさんのご自宅で間違いないでしょうか?…実はこの度、ルカさんが不慮の事故で亡くなってしまい…。」
「悪戯電話は、切りますよ。」
受話器を手に取り、耳に当てた途端に流れ出した雑音に、そう忠告した。
ルカが死んだ?
巫山戯るな。
ルカが医者になると決意したあの日からまだ2ヶ月足らずしかたっていなかった。
にも関わらず、ルカは医者になるという夢をもう間もなく叶えようとしていた。
「今日は受験なの。お医者さんの免許とるための。」
朝、ルカはそんなことを言っていた。
無理だ、と伝えたあの日が、遠く昔のことのように感じられる。
寝る間も惜しみ勉学に慎むルカの姿は、まるで何かを投影しているようであった。
尤も、僕の記憶にはそのようなもの存在しない為、断片的に残る記憶の何かがそう感じさせているのだろう。
元気に今日の朝家を出たルカが、
__死んだ?
「いえ、そういう訳ではなく…。丁度ルカさんの歩いていらっしゃった歩道へ車が運転ミスにより突っ込んだようでして。引き取っていただきたいものがありますので、ご都合の着く時間を教えて頂けますか?」
バァン!!!
盛大な音を立てて受話器を叩きつけた。
「巫山戯るな巫山戯るな巫山戯るな……!!!!!」
死ぬわけが無い。その一心だった。叩きつけた受話器を蹴っ飛ばし、部屋へ戻った。
ふて寝するように倒れ込むと、無心に何も存在しない一点を見つめた。
__、死ぬわけない。
脳裏に笑うルカの姿が思い浮かんだ。
__、事故になんて。
ふっと、ルカの作ったオムライスの香りが鼻腔を擽った気がした。
__、巻き込まれるはずがない。
それを確かめるべく、さっきの人に電話を掛けた。
「あの、何処なのでしょう。現場は。」
そう問いかけると丁寧に住所を教えてくれた。
切り際に、"先程は取り乱してしまい、誠に申し訳ないことを致しました。どうか御無礼、お許しください"。いつもより丁寧にそう謝った。
受話器の先の女は、「いいえ、取り乱してしまうのは仕方ないことですから」と、言ってくれた。
電話を切ると現場に一目散に向かった。
普段動かさない足が悲鳴をあげようと、自らに鞭を入れるようにただひたすらに走った。
現場はもう既に大方片付いてしまっていた。
警察と思わしき人が現場検証をしている。
微かに残る血痕と、ルカの香りがそこで彼女が死んだことを示していた。
「ご家族の方ですか?」
呆然とその場で立ちすくんでいるとふと声をかけられた。
「…いえ、僕は……。」
__僕は、ルカの何なんだ。
姉弟かといえばそうでもない。それどころか血の繋がりは微塵もない。
友達……、友達なのだろうか。
ルカは僕のことを友達だと思っていたのだろうか。
今となってはどうしようもない。聞きようがない。
「ルカさんは、病院に搬送される間もなく死亡が確定していました。恐らく事故時に強く後頭部を打ったことによる脳内出血が原因です。」
淡々と話すその人間に苛立ちを覚えた。
何も出来なかった自分に対する怒り?
話すばかり、状況を確認するばかりで助けてくれなかった人間共への怒り?
ルカを殺したこの世界への怒り?
「……ルカさんのご遺体なのですが……に、……………ます。」
長ったらしく続く人間の話は聴く価値すら無い。
「……で、…焼いた後…………、だと…」
きこうとしなくても断片的に脳内へ流れ込むそれらに苛立ちは募る一方。
気分が悪い。…
話を遮るように無言でその場を離れる。何かを言っていたような気もしたが流れ込んでこなかったあたりを見ると大して関わりのないものなのだろう。
何処へ向かうでもなく動かした足は自然と思い入れのある場所へ向かっていた。
現場へ向かう為に鞭を入れながら動かした足。それらはもう既に限界を超えていた。
出来るなら切り取って捨てて新しい足を付けたい。
…そんな叶わぬ事を望みながら、とぼとぼ、1人で帰路を歩いていた。
あの家はルカの家だ。
所有権はルカにあるだろう。追い出されるのもまもなくだ。
ルカ、ルカ。嗚呼、その名を呼ぶ度、愛おしく感じた。
記翔は狂気的な笑みを浮かべた。
__嗚呼、ルカを殺した世界なんてもう要らないや。