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怪物は気づいた

――相良が致命傷を負った。

 生き餌の契約から感じ取れた事実を信じたくなかった。契約者に座標を定め転移した先が劇場で、見なくても理由を悟った。

 相良は兄を庇った。せかえるほど満ちる彼女の血の匂いは、俺が過敏になっているせいか、実際にそれほどの出血があるのか。せめて前者であれと祈る。

 舞台に向けられた銃を手首ごと蹴り、犯人を殴って失神させた。顔を見て絶句する。

 相良の母親を脅し、相良本人まで加害した貴族名家。取り潰され離散した一族の縁者だ。相良から切り離した怨恨の死縁は、双子の兄へと繋がったのだろう。


 犯人の手首が鋭角にひしゃげ、砕けた銃から弾が散らばっていた。

 浄められた銀――純銀の弾丸。悪魔祓いの信仰が込められた、吸血鬼の弱点。

 吸血鬼おれの呪力に歪められ、不死性を獲得し始めていた相良には致命的な毒だ。

 あの銃創は再生できない。いや、彼女の身体から弾丸を除けば――駄目だ。


 心臓が損傷している。治療を待てる猶予は無い。

 相良が兄に最期の言葉を告げ、事切れた。



 辺りが静まり返っている。照明の戻らない劇場で、舞台だけが煌々と明るい。

 茫然と涙を流し続ける兄の目前に、相良が眠っている。血溜まりは刻々と広がり、兄の涙までも溶かしこんで赤を増す。彼女の濡鴉の黒髪がほつれ、血に染められていた。

 悲劇の双子の画を眺めた。どうして相良に「死」が付きまとうのか、解った気がした。


 好かれていたわけではない。

 それは、まるで「ふたり分の質量だった」。


 相良について回っていたものは、自分と、兄。ふたり分の「死」だ。

 どうして彼女だと疑問だった。母の死を悼む間もなく懸命に弔った挙句、村人から中傷を受ける役割。加害貴族に引き取られ虐待を受ける役割。母親が用意していた後ろ盾の支援も受けられない立場。歌を諦めざるを得ない精神外傷――最後の怨恨の清算まで。

 相良は、兄の不幸を肩代わりする依り代人形も同然じゃないのか。


 彼女を救うなら、真っ先に兄を殺すべきだった。

 舞台に足を向ける。吸血衝動など憎悪がねじ伏せた。集まってきた人間の中に座長の顔を見つけ、めつけて黙らせる。

 舞台に立つと、彼女の兄が泣きながら俺を見上げた。一切が相良と似つかなかった。

 兄の口が動く。何を言うつもりだと思った。むしろよく喋れるなと感心する。

「忘れて……って。あったかい声が、消えないんです」

 最期に相良は、兄の中から自分の存在を消した。彼女の魔法は言葉の毒だ。

 真意は何だろう。自分を庇って犠牲になった家族がいることで、自身を責めてほしくなかったのかもしれない。兄を案じたのだろう彼女には悪いが、いい気味だと思った。

――彼女の苦痛など知りもしなかったお前には相応の結果だ。

 相良の銃創に触れ、表層だけでも傷を塞いだ。衣服をきちんと整えて、まだ暖かい血塗ちまみれの身体を抱き上げる――俺よりずっと小さな身体だ。重さを確かめ、丁重に扱う。

 服の裾が引かれた。何も解らないだろう兄が、最後の抵抗に俺を止めようとする。

「……つれて、いかないで」

 涙目の媚びを振り払った。

 観客ひとりが身を呈して歌姫を守った。悲劇の美談だ。凶行に及んだ怨恨は絶やされ、歌姫を脅かす因縁は尽きる。するとこれは一生のびのびと歌えるに違いない。

 楽団も、双子の支援者達も、所詮見ているのはこれだけだ。無知のまま、庇われるだけ庇われて生きながらえ何の損害も負わなかった愚鈍を慰めて――考えるだけで反吐が出る。

 うんざりだ。何もかも。

「そのまま生きろ。お前はもう、関係ない」

 お前は一生欠けたままだ。受信の兄と発信の妹、二人で一つに完成する稀代の奏者は永遠に喪われた。だがその話は今更だろう。

 お前の知る妹など既に殺されていたと指摘してやる気にもならない。

 苦悩の正体も解らないまま生きながらえればいい。呑気に暮して平凡に幸せになれ。相良は恐らくその為に死んだ。そんなものの為に死んだ。けれど彼女の願いだから。彼女の命を無駄にしないために、俺はこれから何としてでも叶えてやる。

 だからお前は幸せになれ。


 一生いつまでも無自覚なまま、死ね。


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