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彼女が伝えたいこと②

 勝手知ったる住居で率先して家事を奪いながら、マキさんにお伺いを立てる。

「此処もあちらも貴方のお宅ですから、全面的に貴方の方針に従います。代わりに家事労働は教えてください。……何かありませんか。私が担えそうなお仕事は」

「……そんな事する必要無いが?」

「使用人に触らせられる程度の作業で構いませんから。頂いてばかりは、良くない」

 確かに扱いに気を遣う調度品しか無さそうだが、共用部分の掃除程度なら問題ないはずだ。

 拭き掃除を終えて「さあ」と。両手を広げて彼を見た。

「家事以外でも、私に可能なものは何でもご用意します。仰ってください」

 この話を振った時の応答は様々だ。毛布で簀巻すまきにされたり、物言いたげに圧をかけられたり、手を握っていいか聞かれ握手していたら「十分だ」と微笑まれたり。頑として行動原理が明かされないので珍獣を見守る心地なのだが彼は気付いているだろうか。

 今回は、不可解な挙動と葛藤混じりの視線だった。やはり何も言ってこない。

 彼は一体何を考えているやら。やたら貸し借りにこだわられるのも面倒なのは承知しているが、一緒に生活するなら大事なことではないのか。兄さんなら読めるのだろうなと、自分に無い特性を持つ兄が羨ましくなる。

 彼は眉をひそめ、私の両手を閉じさせた。視線は逸らされる。

「……あまり、誰彼かまわず不用意な事は言わないでくれ」

「人格を承知して話してますよ。やっぱり人のこと猫畜生だと思ってます?」

 珈琲で眠り込んでしまうのが嫌だった。無防備になるから。――けれど何もされなかった。マキさんは私を寝台に運んで、寒くないよう毛布を掛けてくれた。

 暖かい食事を一緒に囲んでくれた。彼は食べない人なのに、合わせてくれていた。

 過去に向き合う時間をくれた。言葉と気持ちを尽くしてくれた。必要に応じて無視する以外は、嫌だと言えば必ずやめてくれた。

 泣けない私に、涙をくれた。

 彼の行動は、信頼を担保して余りあるものだ。そう認識するのは変だろうか。

「……というか、マキさんがそんなに猫好きとは存じ上げませんでした。人に遊戯プレイを求めて歪んだ欲望の叶え方しなくても本物の猫飼ったらどうですか」

「違う! 猫じゃなくてお前が可愛、……から、だな…………」

「舐めてるんですか。ヒトよりネコの方が可愛いに決まってるでしょう」

「、……お前がそんなに猫好きとは知らな、っそうじゃないだろう!」

「……少なくとも私より、赤面した貴方のほうが可愛らしいですよ。鏡見ます?」

 彼の頬に触れると更に血色が増した。目に見えて狼狽うろたえだすので面白い。

 指を絡ませる。彼がびくりと震えた。そのまま引き寄せ手の甲に唇を触れたところ、すごい勢いで振り払われた。茹で蛸とはこういうものかと納得する。

「なに……っして、お前……!!」

「貴方が信頼に値する人物だということは、貴方自身が証明してくださった。私は貴方の誠意に応えているだけです。……与えられっぱなしは性に合いません。親愛として、私からも与えたいのだと言っています。おかしいですか?」

 彼は欲が無いのではなく、既に満ち足りているのだろう。

 あの洋館や道楽尽くしの品々を見て悟った。だから多分、私に用意できる程度の品などとっくに所有しているか、もっと良いものを知っている。興味が無くて当然だ。

 だから、そう。用意出来るとすれば、彼の関心がひかれる「動物」くらい。

「この身柄がお望みなら幾らでも差し上げます。全部、お好きになさるといい」

 何が楽しいか知らないが、挙動不審の家無し無職を面白がっているなら幸いだ。

 月のものも来ていない身体に女性的な曲線は無い。穴があるだけだ。性的には使いようもないが、ヒトの需要は実用性だけではないと師匠も言っていた。たいがい汚物でも眺める渋面で吐き捨てていたし詳細は語らなかったので暗部を知っているのだろう。

 私をどのように扱うかは彼の興味次第だ。正体は知らないが、彼の関心なら付き合ってみてもいいと思っている。彼は一向に得体が知れないので、中身を覗き見る事ができると考えれば興味深いかも知れない――好奇心は猫を殺すとも言うが。その時はその時だ。


 彼は頬の朱が抜けないまま真顔になった。私の両肩を痛いほどに掴む。

 言葉を選ぶ空白が長い。じっと私を見ていたが、目を逸らしてうつむいた。

「……違うんだ。俺はそういう搾取のためにお前の傍に居るんじゃあないと、前も」

「……えっ。そういう用途に使えるんです? 物好きというか、まあ……いえ。女体とみれば好き嫌いが無いということですね。たいへんお行儀がよくて素晴らしいことです」

「な、っ……よく解った。お前がそういう認識なら遠慮なく口説きにかかるぞ。後悔するなよ。……本当に、からかわないでくれ。真剣に受け取って欲しい」

 素面しらふで感心していたのだけれど、「揶揄からかう」範疇にあったなら申し訳なかった。お前には情緒が無いという指摘が思い出される。こういう所か。

 意を決した様子で、彼が息を吸った。

 言葉が形になりかけた瞬間、視線は不意に虚空へ逸れる。


 彼が手で鼻を押さえ、私から一歩離れた。


「……相良。ここ、お前以外に女はいないよな?」

「居ませんね……?」何の確認だ。

「……身体に異変は無いか。……月の、とか」

「経験が無いので分かりませんが、血が出てる感じはありません」

 話は読めないが、流石に脱いで証明するわけにもいかない。

 私の身体に異常は無かった。先程から様子がおかしいのはマキさんだけだ。

「……お前さっき何て言った」

 彼の顔色は真っ青だった。赤くなったり青くなったり、器用な人だ。

「好き嫌いが無いのは偉いと」

「その前だ」

「物好き」

「違う」

 指折り数えて挙げていく。その前、というと。

「……全部あげますからお好きにどうぞ?」

 改めて並べると気持ち悪い台詞だ。面白みを見出すなら勝手にしてくれという意味でしかないのだけれど。


 彼の反応を見る限り、問題とされる発言はこれのようだ。

 一歩ずつ、遠ざかっていく。やはり腕で鼻を押さえ――匂いを嗅がないようにした体勢のまま、力なく首を横に振った。

「……相良。……その『許可』は、駄目だ。まずい、」

「許可? とは……」

 彼は何も言わない。答える余力すら無さそうに映った。


「寄るな」という身振りの手前、近付くこともはばかられる。

 呼吸がおかしい。喘鳴ぜんめいに近い異常音が聞こえる。体調に異変をきたしているのは明白。


 既視感があった。弾き出された仮定は、あまり嬉しくないけれど。

 鬼化変異の初期発作。角の表出に伴う頭痛と異常発熱、興奮状態、錯乱――目の前で無角性変異をきたした個体の記憶が、現在の彼に重なった。十中八九、理性のたがは外れる。


 念のため、刀の所在を確かめた。猶予は無かった。


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