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怪物のすみか

 彼女を、森の奥から繋がる領域に在る「隠れ家」に招いた。

 俺が吸血鬼として暮らすため設えた本来の住処のひとつ。深い雪を踏み越えるのは骨が折れたが、それは人間が近寄り難いという事でもある。

 認知阻害や侵入妨害、幻惑機構――念のため術式の綻びを繕いながら辿り着いた古い洋館を前に、相良はしばらく絶句していた。門を開けて正面扉に至るまでの道程で既に視線が右往左往して忙しない。

 応接間の暖炉に火を入れる。近くのソファに彼女を座らせ、毛布を羽織らせた。

「此処で待っていてくれ。留守にしていたから、少し見て回ってくる」

 相良が捨てられる猫みたいな目で俺を見た。置いていくなと視線が語っている。珍しく混乱している様子に口元が緩むのを耐えながら、平静を装い荷物を預かる。

「貸す部屋も調ととのえてくる。必要なものがあれば揃えておきたいんだが、何かあるか?」

「お庭の一角でも貸していただけたら充分ですが……?」

「せめて屋内に入ってほしい」

 陽当たりが一番良い部屋にしよう。広すぎても落ち着かないだろう。何よりあの部屋は『食事』に使ったことが無い――最後は俺の気持ちの問題だ。


 元々の用途は、人間を誘い込んで血を貰うための洋館だった。女をたらしこみ「招かせて」、他所で食事した方が危険リスクが少ないため変えたが、この形式で捕食する同類もまだ居るだろう。

 使わなくなって久しい厨房と食料庫は、管理の甲斐あり問題なさそうだ。備蓄もある。

 試しに淹れた珈琲を持って行くと、彼女は応接間の内装や棚の本に興味を示していた。緊張は好奇心に負けたか。思わず笑った。

「好きに読んでくれ。書庫も後で案内する」

「! ……もしかして、以前お借りしていた本も、その書庫から」

「そうなるな。道楽で集めてきたものだが、遠方の書籍や専門書も多い」

 土地だけは潤沢な隠れ家だ。数百年にわたる長い趣味道楽の蒐集物コレクションや書庫を置くにはあつらえ向きで、此処に彼女を連れてくることが出来た巡り合わせを喜んだ。

 先ずは街へ買出しに行く。衣類――は、無くはないから本人に確認しながら。兄に別れを告げ終えた後の静養は此処が良い気がした。好奇心を満たすものには事欠かないし、外の世界を垣間見ながら人間社会を遠ざけられる。

「俺はすこし出掛けてくる。何か欲しいもの、は……」

 珈琲を飲み終えた彼女が舟をこいでいたのでそのまま眠らせ、部屋に運んで寝かせた。鎮静のため珈琲に術を掛けていたのは一時的な措置だったが、暗示が無くとも珈琲という条件付けで眠くなるようになってしまったらしい。

 その後、見知らぬ部屋で目覚めて不安になったようで、俺を探して駆け寄ってきた。習性が野良寄りだなと考えながら、この調子が続いたら愛おしさで死ぬと思った。

 保護した野良猫の挙動不審が落ち着くまで、しばらくかかった。


 北の便利屋から追放処分を受けた件は落ち込んでいないのか、それとなく探った。

「元々、居着くなと釘を刺されていましたし。さほどのことでは」

 着替えがあれば使ってほしいと通した衣装部屋で、彼女の困惑が増していくのを感じる――吸血鬼としての長い生を謳歌するうち、性別も年頃も体格も様々に変身してきた。必要に応じて標準的な服を揃えてきただけだ。

 大きさが合う服を見繕って手渡し、彼女に選ばせながら、好みの傾向を把握していく。

「……前に、自分の不在で負担が掛かるかもと、心配していただろう」

「それは問題ありませんよ。私が思っているより、あの仕事場は良心的でした。万が一その様な穴が空いたとしても、自然に埋まるものです」

 人間は、変化していく生きものですからと。相良は言った。

 思わず手を止めてしまったのは、俺が、不死で不変の怪物だからなのか。

「私と似た素質の人間はいます。そういう人がおおまかに穴を埋める。周囲の人たちが少しずつ形を変えながら、埋まりきれない空洞の隙間をなくしていく。器用なものです」

 暗いところの無い言葉は驚くほど明瞭で、さっぱりしている。これは卑屈ではなく、彼女なりの「喪失」に対する感性が極めて楽観的だということだろう。

 代わりのきかない人間などいない。そんな人間がいてしまったら、たった一人の喪失で社会が回らなくなる。極端な話だがその通りだ。どれほど大事なものを欠こうと時間は待ってくれないし、過去を改変する事も叶わない。

「変わっていくのが人の心で、忘れてしまえるのが人間で、穴が埋まるかどうかに関わらず、喪失には適応していくものなのです」

 短命で儚い人間なのに――儚いからこそ、達観しているのだろうか。

 彼女は俺よりずっと強い。急に恐ろしくなった。今でも彼女を生かし繋ぎ止めようと必死でいる不死の怪物が、そんな達観を抱けるだろうか。喪って、失意に沈んで、それから。

 忘却するのだろうか。両親の顔や、人間の頃の記憶が薄れてしまっているように。

 それが適応だと言われても、痛みを和らげる方法であっても。俺は彼女を忘れたくない。

「……俺は、そんなに器用な生き物じゃあ、ない」

 置いて行かないでくれ、とは。言えなかった。


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