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演技と周囲と彼女の答え①

 数日間にわたり一幕ずつ物語を紡いできた公演日程、その最終日。

 いつものように、最終幕まで演奏し終えた兄に花束を渡した。お疲れ様と笑って抱き締めた兄を楽団員のほうに送り出し、劇場裏方の控室で兄を待つ。

「初めまして、相良さん。こんな形での面会をお許しください」

 待ち合わせに現れた小柄な男性は、兄ではなかった。

「兄さんは、……もしかして、来られなくなりましたか?」

「……和泉は、皆で協力して足止めしてます。僕がここを出るまで来ません。どうしても和泉抜きで、あなたとお会いしたかった」

 男性は落ち着き払って向かいに腰掛けた。反射で微かに身を退いてしまう。

 それを認識した彼が、柔和に苦笑した。

「怖がらないでください。お話しに来ただけです」

――「弱い」人格を被ると出てくる些細な所作が、気持ち悪いなと思う。

「率直にお聞きしますが、相良さんは当楽団にいらっしゃいますか?」

 彼の声は知っている。兄と同じ舞台に立っていた演者、歌うたいのひとりだ。

 楽団員で結託して兄を遠ざけるのだから、聞かせたくない話をするのだろう。

「和泉、……お兄さんから伺ってます。音羽嬢から魔法を教授されたもう一人の歌うたい。和泉に並べる唯一無二の奏者。調声技術も正確無比で、兄の自分よりずっと秀でた才があるんだと、和泉は自分のことみたいに誇らしげに話しますから」

「……私には分不相応な評価です。兄は身内みうち贔屓びいきなところがありますので、聞き流していただければ助かります」

「いいえ、和泉は歌に関して本当に真摯しんしですよ。優しくても妥協はありません。和泉に引っ張り上げてもらわなければ、僕たちが評価されることも無かった。……その和泉が、自分以上の歌うたいであるあなたが来てくれたらと、楽しそうに話すもので」

 兄の聞き耳は厄介なので、私の経歴はほとんど真実を言い換える形で話している。

 伝えたのは二点。私が歌から離れて暮らしてきたこと、お世話になっている場所が離れがたいこと。遠回しに伝えながら、そろそろ明確に断る時機を探り始めていた。

 先延ばしにしてきたのは否定できない。子どもの頃の、母との約束を純粋に守る兄に、言い出しづらかった。身勝手な感情で裏切っているのは私だという負い目もあった。

「……兄が申しているだけです。私に、楽団へ所属する意思はありません」

「……そうですか。…………あなたの意思は分かりました。けれど」

 初めからどことなく感じていた敵意が、明確にあらわになる。

「……和泉の勧誘、迷惑みたいに言うんですね。あなた」

 応えられない期待は負担だ。

 私は歌えない。歌声が出ない。真実なのだから、誠実に断るなら明かすべきだ。でもきっと兄は原因を探って治そうとする。そういう人だ。マキさんの推測通り心因性の失声なら、私は兄に洗いざらい過去を話さなければならない。

――知られたくない、など。結局すべて我儘わがままでしかないのかもしれない。

 すみませんと言った。何が悪いと開き直りかける。でも非はやはり私にあるのだ。

「僕たちにはその方が都合がいいです。あなたが和泉を邪険にするなら構いません。だから中途半端な真似しないでください。いつまで和泉に良い顔して騙し続けるんですか」

 兄を騙していることくらい。優しい人を裏切り続けていることくらい、分かっている。

 楽団側は兄をとても大切に思っている。いきどおって当然だ。大事な同僚が、歌も手放し生きてきた半端者を信じきり純粋な親愛をないがしろにされ続けている。騙されているとも見えるだろう――歌の才とて。実際に錆び付いてしまっている。

 彼は怒気を隠さない。身体が強ばった私は、きっと怯えた顔をしている。演技に没入する自分を俯瞰ふかんしながら、感情を抑えられず身を乗り出してくる彼を見守った。

「和泉はきっと、僕らとあなたを選べと言われたら迷わずあなたをとる。とても羨ましいから、僕らはあなたが腹立たしい。……稀代きだいの歌姫の血を継いで、和泉の隣に生まれて。あの人と並び立てるほどの才もあったんでしょう。望んだって得られない最高の環境を享受しながら平然と棒に振ってあなたは、!」

 彼はとても真面目な人だ。歌に真摯だからこそ、半端者が許せない。私が「相良」として、歌に関して彼に言い返せることは何もなかった。

 母の教えに従い、日夜修練を欠かさず歌を磨き、夢を体現した兄と対照に――歌から離れ、家族を蔑ろに、喉を錆つかせた。私は完璧に魔法を受け継げなかった欠陥品だという理屈とて、逃避感情の正当化でしかないのかもしれない。

「……申し訳ありませんでした。楽団に行く気は無いと、兄にはきちんと伝えます」

 身を縮めて頭を下げた。

 この感情は演技なのか、本心なのか。どちらだろう。

「……僕があなたになれるなら、代わりたいくらいだ」

 彼はそう吐き捨てて出て行った。

 兄の足音がしないうちに置き手紙を書いた。帰りますと一言だけ書いて、裏口から足早に出て行った。降雪が珍しいという街は薄曇り、粉雪が舞っていた。

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